西川順之
人物情報 | |
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生誕 | 1873年2月26日 日本栃木県 |
死没 | 1951年12月10日 (78歳没) |
出身校 | 東京高等師範学校 |
配偶者 | 妻・盛 明治11生、荒木寛畝三女 |
子供 | 長男 正脩 次男 西川潤之 |
学問 | |
研究機関 | 東京高等師範学校、高知高等学校、松本高等学校 |
称号 | 正三位勲二等 |
西川 順之(にしかわ のぶゆき、1873年(明治6年)2月26日[1] - 1951年(昭和26年)12月10日[2])は、日本の教育者。
経歴
[編集]1873年(明治6年)、栃木県下都賀郡壬生町生まれ[3]。1898年、東京高等師範学校を卒業[1]。
卒業後は、栃木県尋常中学校教諭となった。兵庫県御影師範学校教諭を経て、1902年に母校でもある東京高等師範学校教諭・附属理事となった[1]。1911年、同教授に昇進[1]。その後、文部省督学官、高知高等学校校長を経て、1932年、松本高等学校校長に就任[4]。1938年(昭和13年)に退官し、松本高等学校名誉教授の称号を得た[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 下野新聞編『野州名鑑』下野新聞、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。