費長房 (後漢)

『仙仏奇踪』費長房と壺公
『有象列仙全伝』

費 長房(ひ ちょうぼう)は、中国後漢方士。「壺中天」「縮地」で知られる。

生涯

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汝南郡平輿県の出身であるが、生没年を含めて後漢時代の人という以外の大凡の生存年代も不明[1]

当初はとある市場の監視役人を務めていたが、市場の監視楼上から市中で売薬店を構える謫仙壺公(ここう)[2]が日没時に店先に吊した壺に跳び入る姿を目撃した事から壺公の許を訪れたところ、自分の秘密を目にし得た費に感心した壺公に連れられて壺中に入り、そこに建つ荘厳な御殿で美酒佳肴の饗応を受ける。その後、壺公から流謫も終わって人間界を去る事を聞かされると、自分も仙道を学びたいと思い、壺公の教唆に依って青竹を自身の身代わりに仕立て、縊死を装う事で家族の許を去り[3]、壺公に就いて深山に入り修行する。修行は初めの群中に留め置かれ、次いで今にも千切れんとする縄に吊された大石の下に身を横たえるといった内容で、共に成果を修めるも最後に3匹の虫[4]が蠢く臭穢な[5]を食すよう求められて遂に上仙を断念し、壺公から地上の鬼神を支配出来る1巻の護符を授かって帰郷する[6]。なお、山中での修行は僅か10日程であったが、地上での実歳月は10年以上を経るものであった[7]

帰郷後は治病に従事したり[8]、壺公から授かった護符を使って東海地方(現在の山東省南東の海岸部)の水神である東海君や、人間に化けたを懲らしめる等、社公(地示)やあらゆる鬼神を使役懲罰し、また地脈の伸縮を自在に操る能力を有して[9]瞬時にに赴いて魚類糟漬け)を買ったり、1日の中で数千里(1はおよそ550)を隔たる複数処を往来したりしたが、後に護符を失った為に鬼神に殺された。晋代葛洪は竹を自身の屍体に見せかけた費を尸解仙の例に挙げている[10]

脚注

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  1. ^ 范曄後漢書』方術列伝第27下費長房条、元嘉9年。以下の記述は別注記を除いて、吉川忠夫訓注『後漢書』第9冊(岩波書店、2005年)及び本田済編訳『漢書・後漢書・三国志列伝選』(中国古典文学大系第13巻、平凡社、昭和43年)の同条に拠った。
  2. ^ 范前掲書は「老翁」とする。「壺公」の呼称は葛洪『神仙伝』(晋代中頃の成立)巻5壺公条に拠る。
  3. ^ 葛前掲書に拠れば竹を寝台に寝かせて病死に見せかけたという。なお、以下同書に就いては沢田瑞穂訳(中国古典文学大系第8巻『抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経』、平凡社、昭和48年)に拠る。
  4. ^ 葛前掲書に拠れば虫は全長1(およそ3)もあったといい、沢田瑞穂はその虫をと解している。
  5. ^ 本田済は人糞と解している(本田前掲編訳書)。
  6. ^ 葛前掲書に拠ればこの時に壺公から数百歳の寿命も授かったという。
  7. ^ 葛前掲書に拠れば1年。
  8. ^ 葛前掲書に拠れば壺公の護符に万病を癒し災難を除く効果があったという。
  9. ^ 葛前掲書。
  10. ^ 抱朴子』内篇巻2「論仙」。

参考文献

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外部リンク

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