車力村
しゃりきむら 車力村 | |||||
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廃止日 | 2005年2月11日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 木造町、森田村、柏村、稲垣村、車力村 → つがる市 | ||||
現在の自治体 | つがる市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 青森県 | ||||
郡 | 西津軽郡 | ||||
市町村コード | 02328-1 | ||||
面積 | 62.17 km2 | ||||
総人口 | 5,730人 (2005年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 西津軽郡:木造町、稲垣村 北津軽郡:中里町、市浦村 | ||||
村の木 | クロマツ | ||||
村の花 | クルマユリ | ||||
村の鳥 | ウグイス | ||||
車力村役場 | |||||
所在地 | 〒038-3392 青森県西津軽郡車力村大字車力字花林65 | ||||
座標 | 北緯40度56分52秒 東経140度21分35秒 / 北緯40.94781度 東経140.35961度座標: 北緯40度56分52秒 東経140度21分35秒 / 北緯40.94781度 東経140.35961度 | ||||
ウィキプロジェクト |
車力村(しゃりきむら)は青森県西津軽郡に位置する日本海に面した村である。2005年2月11日のつがる市発足により廃止された。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]- 村名由来
- 「車力」の語源は西方に広がる屏風山砂丘の砂に因み「砂力」(サリキ)とする旧地名説や、鎌倉幕府の御家人柾子弾正が京都から赴任した時に牛車を持ってきたという伝承に因む説など、集落には東部にある柾子館跡(まさこだて)に関わる名前由来の伝承が多い(車力《しゃりき》は古語で荷物の運搬を業としていた者のことをいう-車力村史)[1]。「サルキ(草原の湿地帯 = 湿原)」とするアイヌ語説も戦後に生まれたがいずれも決定的なものではない。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により車力村・下車力村・牛潟村・下牛潟村・豊富村・富萢村の6村が合併して村制施行し、車力村が発足。
- 2005年(平成17年)2月11日 - 木造町、森田村、柏村、稲垣村と合併してつがる市となる。
産業
[編集]漁業
[編集]農業
[編集]『大日本篤農家名鑑』によれば、車力村の篤農家は「佐々木三之助、相川景雄、鳴海藤助、鳴海廉之助、工藤七五郎」などがいた[2]。
姉妹都市・提携都市
[編集]- 農業技術交流
地域
[編集]教育
[編集]- 車力保育園
- 富萢保育園
- 車力幼稚園
- 車力小学校
- 富萢小学校
- 富萢小学校清水分校
- 牛潟小学校
- 車力中学校
- 木造高校車力分校
観光
[編集]- 高山稲荷神社
- しゃりきサンセットドーム
- ウェルネスセンターしゃりき温泉
- むらおこし拠点館フラット
神社・寺院
[編集]神社
[編集]- 浜明神
- 神明宮
- 伊豆神社
- 三吉稲荷神社
- 豊崎稲荷神社
- 天満宮
- 大山祗神社
- 七面大明神
- 八幡宮
- 大鳥居
- 長尾神社
- 高山稲荷神社
- 宗像神社
寺院
[編集]- 地蔵堂
- 正安寺
橋
[編集]- 権現橋
- 稔橋
- 豊富橋
- 車力橋
- 砂山橋
交通
[編集]道路
[編集]路線バス
[編集]出身有名人
[編集]脚注
[編集]- ^ 角川日本地名大辞典 1985.
- ^ 『大日本篤農家名鑑』451頁(国立国会図書館デジタルコレク井上ション)。2019年11月16日閲覧。
- ^ モンゴルに対する農業技術協力について - 車力村職員組合
- ^ 『青森県名鑑 大正四年特別大演習記念』77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 高谷繁太郎、江馬英三郎編『青森県名鑑 大正四年特別大演習記念』青森県行幸記念協会、1917年。
- 編纂委員会編『角川日本地名大辞典2 青森県』角川書店〈地名大辞典〉、1985年12月1日。