輪鵬和久
輪鵬 和久(りんほう かずひさ、1960年1月22日 - )は、福岡県大川市出身で花籠部屋(入門後に放駒部屋に移籍)に所属した元大相撲力士。本名は志岐 和久(しき かずひさ)。身長178cm、体重195kg。最高位は西十両11枚目。得意技は突き、押し。
来歴
[編集]家具製造業を営む実家に生まれ、中学生の時はランニングを得意としていた。高校時代は柔道に打ち込んでおり、九州高校柔道大会で3位に入った。その活躍から多くの相撲部屋の勧誘を受けたが、花籠部屋に入門した。1977年3月場所に玄界鵬の四股名で初土俵を踏む。玄界鵬の四股名は郷土の玄界灘と横綱・大鵬に因んだ。入門直後から期待され、順調に番付を上げていった。輪島と共にランニングを行って調整していたことで知られ、その様子を収めた写真も現存している[1]。
初土俵から約1年後の1978年5月場所で早くも幕下に昇進した。その後、幕下生活が長かったが、輪島から期待を込められて1982年5月場所に輪鵬の四股名に改名してからは成績が上向きになり、1983年5月場所で十両に昇進した。しかし、この場所は5勝10敗と負け越して1場所で幕下に陥落。十両を務めたのはこの1場所のみであった。その後、部屋付きの放駒から「花籠さんはその内また問題起こす[2]から、四股名変えた方がいいよ」と勧められ、1984年5月場所は暫定的に本名を名乗って土俵に上がり、翌7月場所からは最初の四股名である玄界鵬に戻した。
1986年9月場所限りで廃業。その後は一度帰郷して家業手伝いを経て、石川県金沢市の相撲料理店「おふくろの味」で勤務した後、金沢市で相撲茶屋『玄海』を開店した。料理と共に大相撲時代の記念品が揃えられており、主に元横綱・大乃国の明荷や三つ揃えの化粧廻しなどが展示されている[1]。
シンガーソングライターで相撲甚句を担当する北脇貴士と親交がある[1]。
エピソード
[編集]- 幕下時代に太り過ぎたので絶食して急激なダイエットを行い、1982年4月には約40kg痩せて体重を172kgまで減らした。満を持して5月場所に臨んだものの、土俵際で全く残れないなど粘りがなくなってしまい7戦全敗を喫してしまった。その後は少しずつ野菜を中心とした食事に切り替えて、その年の9月場所は7戦全勝で幕下優勝を果たした[3]。
主な成績
[編集]- 通算成績:211勝170敗26休 勝率.554
- 十両成績:5勝10敗 勝率.333
- 現役在位:58場所
- 十両在位:1場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1982年9月場所)
- 三段目優勝:1回(1978年11月場所)
- 序二段優勝:1回(1977年7月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) | 三月場所 春場所(大阪) | 五月場所 夏場所(東京) | 七月場所 名古屋場所(愛知) | 九月場所 秋場所(東京) | 十一月場所 九州場所(福岡) | |
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1977年 (昭和52年) | x | (前相撲) | 東序ノ口5枚目 6–1 | 西序二段47枚目 優勝 7–0 | 西三段目50枚目 4–3 | 東三段目37枚目 2–5 |
1978年 (昭和53年) | 西三段目58枚目 5–2 | 西三段目30枚目 6–1 | 東幕下49枚目 3–4 | 東幕下59枚目 2–1–4 | 西三段目23枚目 4–3 | 東三段目10枚目 優勝 7–0 |
1979年 (昭和54年) | 東幕下18枚目 1–4–2 | 東幕下36枚目 3–4 | 東幕下49枚目 5–2 | 西幕下29枚目 4–3 | 西幕下21枚目 3–4 | 西幕下29枚目 2–5 |
1980年 (昭和55年) | 東幕下47枚目 4–3 | 西幕下34枚目 4–3 | 西幕下26枚目 4–3 | 東幕下18枚目 4–3 | 西幕下13枚目 4–3 | 西幕下8枚目 3–4 |
1981年 (昭和56年) | 西幕下13枚目 2–5 | 西幕下27枚目 4–3 | 西幕下16枚目 4–3 | 東幕下9枚目 3–4 | 東幕下16枚目 3–4 | 西幕下24枚目 5–2 |
1982年 (昭和57年) | 東幕下11枚目 3–4 | 東幕下17枚目 4–3 | 西幕下11枚目 0–7 | 東幕下41枚目 5–2 | 東幕下23枚目 優勝 7–0 | 東幕下2枚目 3–4 |
1983年 (昭和58年) | 東幕下7枚目 6–1 | 東幕下2枚目 6–1 | 西十両11枚目 5–10 | 西幕下3枚目 1–6 | 西幕下24枚目 6–1 | 東幕下8枚目 1–6 |
1984年 (昭和59年) | 東幕下30枚目 4–3 | 東幕下22枚目 0–1–6 | 西幕下52枚目 4–3 | 東幕下37枚目 4–3 | 東幕下26枚目 5–2 | 東幕下13枚目 5–2 |
1985年 (昭和60年) | 東幕下5枚目 2–5 | 東幕下21枚目 3–4 | 東幕下32枚目 6–1 | 東幕下14枚目 1–6 | 西幕下43枚目 休場 0–0–7 | 西三段目23枚目 4–3 |
1986年 (昭和61年) | 西三段目5枚目 6–1 | 西幕下34枚目 3–4 | 西幕下48枚目 3–4 | 西三段目3枚目 休場 0–0–7 | 西三段目53枚目 引退 6–1–0 | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 玄海鵬 和久(げんかいほう かずひさ)1977年3月場所 - 1982年3月場所
- 輪鵬 和久(りんほう かずひさ)1982年5月場所 - 1984年3月場所
- 志岐 和久(しき かずひさ)1984年5月場所
- 玄海鵬 和久(げんかいほう かずひさ)1984年7月場所 - 1986年9月場所
参考文献
[編集]- 相撲1982年5月号、1983年6月号(ベースボール・マガジン社)
脚注
[編集]- ^ a b c 元・十両力士「玄海鵬」大相撲甚句に登場‼ 北脇貴士の大相撲甚句 2013年9月5日(木)
- ^ 1982年4月に12代花籠の妻が自殺未遂を起こし、さらに1985年11月場所に花籠本人がいわゆる「花籠事件」を引き起こし、同年12月に実質破門される形で廃業した。
- ^ 相撲人名鑑(輪鵬 和久)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 輪鵬 和久 - 相撲レファレンス