阿部寿準
阿部 寿準 あべ ひさのり | |
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生年月日 | 1879年10月24日 |
出生地 | 日本 山口県阿武郡徳佐村(現・山口市) |
没年月日 | 1955年8月4日(75歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学 |
前職 | 内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務 千葉県事務官 神奈川県事務官 兵庫県事務官 法制局参事官他 |
称号 | 第一回国政調査記念章(1921年) |
親族 | 里見富次(娘婿) |
在任期間 | 1919年 - 1920年 |
在任期間 | 1925年 - 1929年 |
阿部 寿準(あべ ひさのり[1]、1879年(明治12年)10月24日[2] - 1955年(昭和30年)8月4日[3])は、日本の内務・農林官僚、実業家。官選鳥取県知事、農林次官。
経歴
[編集]山口県阿武郡徳佐村(現山口市)出身[1]。山口高等学校を卒業。1905年7月、東京帝国大学法科大学を首席で卒業。内務省に入省し内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格[1][4][5]。
以後、千葉県事務官・第二部長、神奈川県事務官、兵庫県事務官、法制局参事官、兼内閣恩給局審査官、兼法制局書記官、内務監察官、兼内務省参事官などを歴任[1][4]。
1919年4月、鳥取県知事に就任。災害復旧、教育振興などに尽力。1920年9月、国勢院第二部長に転任[4]。兼同第一部長、統計局長を経て[1]、1925年4月から1929年7月まで農林次官を務め退官した[5][6]。その後、帝国海上火災保険社長、食糧営団総裁を務めた[7]。
栄典
[編集]- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[8]
親族
[編集]- 娘婿 里見富次(内務官僚)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
- 内閣「単行書・国勢院引継書類(八ノ二)・高等官履歴書」大正11年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-034-07・単02265100
公職 | ||
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先代 四条隆英 農商務次官 | 農林次官 1925年 - 1929年 | 次代 松村真一郎 |