平林鴻三
平林 鴻三 ひらばやし こうぞう | |
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生年月日 | 1930年11月21日 |
出生地 | 日本 鳥取県岩美郡福部村大字栗谷(現・鳥取市) |
没年月日 | 2024年3月28日(93歳没) |
死没地 | 日本 鳥取県鳥取市 |
出身校 | 東京大学法学部政治学科卒業 |
所属政党 | (無所属→) 自由民主党(田中派→橋本派) |
称号 | 従三位 旭日大綬章 法学士(東京大学・1954年) |
第67代 郵政大臣 | |
内閣 | 第2次森内閣 |
在任期間 | 2000年7月4日 - 2000年12月5日 |
選挙区 | (鳥取県全県区→) 比例中国ブロック |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1983年12月19日 - 1990年1月24日 1993年7月19日 - 2003年10月10日 |
第8-10代 鳥取県知事(公選) | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1974年3月27日 - 1983年3月9日 |
平林 鴻三(ひらばやし こうぞう、1930年〈昭和5年〉11月21日 - 2024年〈令和6年〉3月28日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章[1]。
鳥取県知事(3期)、郵政大臣(第67代)、衆議院議員(5期[2])等を歴任。
来歴・人物
[編集]鳥取県岩美郡福部村大字栗谷(現鳥取市)生まれ。灘高等学校、東京大学法学部政治学科卒業[3]。1954年、自治省に入省。
1974年、自治省を退職し同年の鳥取県知事選挙に初当選。鳥取県知事は3期9年務める。1983年の第37回衆議院議員総選挙に古井喜実の後継者として鳥取県全県区(定数4)から自由民主党公認で立候補して当選。自民党では田中派→竹下派→小渕派→橋本派に所属。
1986年の第38回衆議院議員総選挙では鳥取県全県区でトップ当選し、再選。しかし1990年の第39回衆議院議員総選挙では、日本社会党の野坂浩賢に加え武部文も議席を獲得し、そのあおりを受ける形で平林が落選した(従来、鳥取県全県区では自民3、社会1で議席を分け合う構図が続いていた)。1993年の第40回衆議院議員総選挙では、自民党を離党した石破茂に次ぐ2位で当選。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、解散後に石破が新進党を離党したため選挙区調整により石破に鳥取県第1区を譲り、自身は比例中国ブロック単独で立候補して再選。翌1997年に自民党に復党した石破は、平林も所属する平成研究会に入会した。2000年の第42回衆議院議員総選挙でも比例中国ブロックで5選。第2次森内閣で郵政大臣に任命され、初入閣。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、比例中国ブロック単独で立候補したものの落選し、政界を引退。2004年、旭日大綬章を受章した[4]。
2024年3月28日、心不全のため、自宅で死去した。93歳没[5]。死没日をもって従三位に叙された[6][1]。
脚注
[編集]- ^ a b “故平林鴻三氏に従三位”. 時事ドットコム (2024年4月19日). 2024年4月19日閲覧。
- ^ 平林鴻三|衆議院議員|国会議員白書
- ^ 『地方公務員はいま: 地方の時代, 行革の中で』1982年発行、457ページ
- ^ “平成16年春の叙勲 旭日大綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2004年4月29日). 2004年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月24日閲覧。
- ^ “【速報】元郵政大臣・元鳥取県知事の平林鴻三氏が死去(鳥取県) |FNNプライムオンライン”. FNNプライムオンライン (2024年4月4日). 2024年4月4日閲覧。
- ^ 『官報』第1213号10頁 令和6年5月1日
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 八代英太 | 郵政大臣 第67代:2000年 | 次代 片山虎之助 |
先代 石破二朗 | 鳥取県知事 公選第8 - 10代:1974年 - 1983年 | 次代 西尾邑次 |
議会 | ||
先代 仲村正治 | 衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 2003年 | 次代 金田誠一 |
先代 御法川英文 | 衆議院総務委員長 2002年 | 次代 遠藤武彦 |
先代 川崎二郎 | 衆議院地方行政委員長 1995年-1996年 | 次代 穂積良行 |