徳安実蔵
徳安 実蔵 とくやす じつぞう | |
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生年月日 | 1900年2月13日 |
出生地 | 日本 鳥取県 |
没年月日 | 1988年2月7日(87歳没) |
出身校 | 青谷実業補習学校 |
所属政党 | (自由党→) 自由民主党 |
称号 | 勲一等旭日大綬章、正三位 |
第22・23代 郵政大臣 | |
内閣 | 第3次池田内閣改造内閣 第1次佐藤内閣 |
在任期間 | 1964年7月18日 - 1965年6月3日 |
内閣 | 第2次池田第2次改造内閣 |
在任期間 | 1962年7月18日 - 1963年7月18日 |
選挙区 | 鳥取全県区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1952年10月1日 - 1976年12月9日 |
徳安 実蔵(とくやす じつぞう、1900年2月13日 – 1988年2月7日)は、昭和期の政治家。正三位。総理府総務長官・郵政大臣。
来歴・人物
[編集]鳥取県気高郡青谷町(現・鳥取市)に農家の三男として生まれる。幼くして両親とは死別する。青谷実業補習学校を卒業後、近所の住職と神主について2年間漢学を学んだ。『大阪新報』、『東京夕刊』記者、月刊誌『運輸』発行人を経て、芝区(現在の東京都港区)会議員を皮切りに政界入りする。芝区会議長、東京市議、港区議、同区議会議長を経て、1952年第26回衆議院議員総選挙に自由党から旧鳥取全県1区にて立候補し初当選する。以後当選9回。東京市議時代から師事していた大野伴睦の派閥(大野派)に入り、大野の死去後は村上勇→水田三喜男派に所属した。
建設政務次官、衆院建設委員長を経て、1962年第2次池田内閣第2次改造内閣にて総理府総務長官となる。在任中は生存者叙勲を復活させた。1964年には第3次池田内閣改造内閣で郵政大臣に就任。続く第1次佐藤内閣でも留任し、翌年まで務めた。1976年、1979年の総選挙で落選し政界を引退する。1988年2月7日死去。84歳没。
苦労人ながら、好々爺然とした味わいで親しまれた。1976年勲一等旭日大綬章受章。没後正三位。
議会 | ||
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先代 内海安吉 | 衆議院建設委員長 1955年 - 1957年 | 次代 薩摩雄次 |
先代 綱島正興 三原朝雄 | 衆議院内閣委員長 1964年 1973年 - 1975年 | 次代 伊能繁次郎 (代理) 藤尾正行 |
公職 | ||
先代 小平久雄 | 総理府総務長官 第8代:1962年 - 1963年 | 次代 野田武夫 |
先代 古池信三 | 郵政大臣 第22・23代:1964年 - 1965年 | 次代 郡祐一 |