青森インターチェンジ
青森インターチェンジ | |
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青森インターチェンジ(料金所) | |
所属路線 | E4 東北自動車道 |
IC番号 | 54 |
料金所番号 | 07-953 |
本線標識の表記 | 青森 三内 フェリー埠頭 |
起点からの距離 | 679.5 km(川口JCT起点) |
◄青森JCT (2.1 km) | |
接続する一般道 | 国道7号 |
供用開始日 | 1979年(昭和54年)9月27日 |
通行台数 | x台/日 |
所在地 | 〒038-0043 青森県青森市大字岩渡字熊沢250-259 |
備考 | 青森自動車道 青森中央IC方向とは接続されていない[1]。 |
青森インターチェンジ(あおもりインターチェンジ)は、青森県青森市大字岩渡にある、東北自動車道のインターチェンジであり、東北自動車道の終点となるインターチェンジ。
隣の青森JCTは当ICと青森自動車道の相互接続をしていないハーフJCTのため、当ICは浪岡IC方面への流出入のみ可能[2]。
東日本高速道路東北支社青森管理事務所が併設されている。
料金所を過ぎた678.8 kp付近には「E4 東北自動車道 TOHOKU EXP 全長680km 終点 おつかれさまでした」[3][注 1]、また上り線678 kp付近[3]には「東北自動車道 680km[注 2] 安全運転をお願いします」と、川口JCTまでの距離を示す標識がそれぞれ設置されている[3][注 3]。
歴史
[編集]2003年に青森自動車道が供用開始されたことにともない、約2km南側に青森JCTが設置され、JCTでは走行車線(外側)に接続するように変更された。
年表
[編集]- 1979年(昭和54年)9月27日 : 大鰐弘前IC - 青森IC間が開通し、供用開始した。
- 1986年(昭和61年)7月30日 : 十和田IC - 碇ヶ関ICが開通し、首都圏と当ICが結ばれた[5]。
- 1995年(平成7年)7月27日 : 九州自動車道の全通により青森IC - 鹿児島IC間(約2170km)が完全に高速道路(首都高速道路経由)[注 4]によって結ばれる。
- 2003年(平成15年)9月28日 : 青森自動車道が開通し、同時に青森IC出口の標識に「三内」が追加される。
周辺
[編集]- 三内温泉ヘルスセンター(国内稀に見る高濃度の温泉)
- 三内霊園(棟方志功の墓など)
- 青森県総合運動公園
- 青森競輪場
- 陸上自衛隊青森駐屯地
- 青森県運転免許センター
- 新青森駅(東日本旅客鉄道(JR東日本)東北新幹線・奥羽本線、北海道旅客鉄道(JR北海道)北海道新幹線)
- 津軽新城駅(JR東日本奥羽本線)
道路
[編集]本線
[編集]- E4 東北自動車道(54番)
接続する道路
[編集]料金所
[編集]- ブース数:9
- 出口の一般レーンは、料金精算機が設置されており、ドライバー自ら料金を精算する。
入口
[編集]- ブース数:3
- ETC専用:1
- 一般:2
出口
[編集]- ブース数:6
- ETC専用:1
- 一般:5
隣
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「青森自動車道9月28日開通 下北方面、20分短縮も=青森」『読売新聞』(読売新聞社)2003年8月9日、東京朝刊 青森、26面。
- ^ “ご利用時に注意が必要なICやJCT(NEXCO東日本エリア)”. 東日本高速道路. 2014年2月22日閲覧。
- ^ a b c d “突然「お疲れ様」標識が出現!? まさかの「いたわり標識」が存在! 長距離走行のドライバーを「癒やす」メッセージの意味とは”. くるまのニュース (kuruma-news.jp). メディア・ヴァーグ (2023年5月19日). 2024年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月14日閲覧。
- ^ “突然「お疲れ様」標識が出現!? まさかの「いたわり標識」が存在! 長距離走行のドライバーを「癒やす」メッセージの意味とは(画像2枚目)”. くるまのニュース (kuruma-news.jp). メディア・ヴァーグ (2023年5月19日). 2024年2月14日閲覧。
- ^ 「首都圏とつながった 東北自動車道 碇ヶ関-十和田の開通式」『毎日新聞』(毎日新聞社)1986年7月30日、東京夕刊 社会面、8面。
- ^ “交通アクセス”. 特別史跡「三内丸山遺跡」 (pref.aomori.jp). 三内丸山遺跡センター. 2024年2月14日閲覧。