黒闇天
黒闇天(こくあんてん[1] 、梵: Kālarātri[2][カーララートリ][3])は、仏教における天部の一尊。
黒夜天、黒夜神、黒闇、黒闇天女、黒闇神[1]、あるいは黒闇女[4]などとも呼ばれる。
概要
[編集]吉祥天の妹。容姿は醜悪で、災いをもたらす神とされている[1]。密教においては閻魔王の三后(妃)の1柱とされる[1]。彼女の図画は胎蔵界曼荼羅の外金剛部院に確認でき、その姿は肉色で、左手に人の頭が乗った杖を持っている[4]。
仏典における描写
[編集]- 『涅槃経』12には「姉を功徳天と云い人に福を授け、妹を黒闇女と云い人に禍を授く。此二人、常に同行して離れず」とある。
- 『大日経疏』10に「次黒夜神真言。此即閻羅侍后也」などとある。
日本における信仰例
[編集]日本においては貧乏神・疫病神として恐れられる一方で、貧乏を払い福を招く神として信仰された例も存在する。
北野神社(牛天神、東京都文京区所在)の末社である太田神社は、明治の神仏分離令以前は黒闇天を祭神としていた。
同社に伝わる「太田神社の御由緒」には
昔々、小石川の三百坂の処に住んでいた清貧旗本の夢枕に一人の老婆が立ち、
「わしはこの家に住みついている貧乏神じゃが、居心地が良く長い間世話になっておる。そこで、お礼をしたいのでわしの言うことを忘れずに行うのじゃ…」と告げた。
正直者の旗本はそのお告げを忘れず、実行した。すると、たちまち運が向き、清貧旗本はお金持ちになる。そのお告げとは─
「毎月、1日と15日と25日に赤飯と油揚げを供え、わしを祭れば福を授けよう…」
以来、この「福の神になった貧乏神」の話は江戸中に広まり、今なお、お告げは守られ、多くの人々が参拝に訪れている。[5]
とあり、黒闇天が貧乏神から福の神として信仰されるに至った経緯が書かれている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 「黒闇天」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ 錦織亮介『天部の仏像事典』東京美術、1983年、164頁。
- ^ 斎藤昭俊『インドの神々』吉川弘文館、1986年、105頁。
- ^ a b 「黒闇天」 - 大辞林 第三版、三省堂。
- ^ “境内のご案内 太田神社・高木神社-「牛天神」公式サイト”. 2018年7月24日閲覧。