大久保徳明
大久保 徳明 おおくぼ のりあき | |
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生誕 | 1860年9月29日 土佐国 土佐郡 小高坂村後町 |
死没 | 1917年4月20日(56歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1879 - 1914 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 | 旅順要塞司令官 陸地測量部長 陸軍運輸部本部長兼宇品碇泊場司令官 |
戦闘 | 日露戦争 |
大久保 徳明(おおくぼ のりあき、1860年9月29日(万延元年8月15日[1]) - 1917年(大正6年)4月20日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1860年(万延元年)、土佐国土佐郡小高坂村後町(現在の高知県高知市)居住の土佐藩士・大久保幸策の三男として生まれた。
1875年(明治8年)、陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校(旧3期)[1][2]に進み1879年(明治12年)12月22日、工兵少尉に任官[3]。1883年(明治16年)2月28日工兵中尉に、1886年(明治19年)10月4日工兵大尉に昇進[4]。1888年(明治21年)11月17日、陸軍士官学校教官に補される[5]。
1895年(明治28年)3月23日工兵少佐に昇進[6]し、陸軍大学校教官、宇品運輸通信支部員などを経て、1898年(明治31年)10月1日、工兵中佐に昇進[7]。1902年(明治35年)5月5日、台湾陸軍補給廠長となり[2]、6月1日、工兵大佐に昇進[2][8]。1904年(明治37年)4月1日、陸軍運輸部本部長兼宇品碇泊場司令官に就任し、日露戦争の後方支援を担った[1][2]。
1906年(明治39年)7月6日、陸軍少将に進級し陸地測量部長に着任[1][2][9]。1912年(大正元年)12月26日、陸軍中将に進み旅順要塞司令官に就任[1][2][10]。1913年(大正2年)8月22日、待命となり[1][2][11]、1914年(大正3年)5月11日、予備役に編入された[1][2][12]。1917年(大正6年)4月、56歳で死去。
栄典
[編集]- 位階
- 1887年(明治20年)3月25日 - 正七位[13]
- 1892年(明治25年)7月6日 - 従六位[14]
- 1897年(明治30年)10月15日 - 正六位[15]
- 1902年(明治35年)10月20日 - 従五位[16]
- 1906年(明治39年)10月1日 - 正五位[17]
- 1911年(明治44年)10月20日 - 従四位[18]
- 1914年(大正3年)6月10日 - 正四位[19]
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[20]
- 1893年(明治26年)11月29日 - 勲六等瑞宝章[21]
- 1895年(明治28年)10月18日 - 勲五等双光旭日章[22]
- 1901年(明治34年)12月28日 - 勲四等旭日小綬章[23]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章・勲三等旭日中綬章・明治三十七八年従軍記章[24]
- 1913年(大正2年)11月28日 - 勲二等瑞宝章[25]
- 外国勲章佩用允許
親族
[編集]演じた俳優
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』143頁。
- ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』60頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』57、60頁。
- ^ 『官報』第983号、明治19年10月8日。
- ^ 『官報』第1618号、明治21年11月19日。
- ^ 『官報』第3519号、明治28年3月27日。
- ^ 『官報』第4579号、明治31年10月3日。
- ^ 『官報』第5671号、明治35年6月2日。
- ^ 『官報』第6906号、明治39年7月7日。
- ^ 『官報』第124号、大正元年12月27日。
- ^ 『官報』第321号、大正2年8月23日。
- ^ 『官報』第534号、大正3年5月12日。
- ^ 『官報』第1124号、明治20年4月2日。
- ^ 『官報』第2707号、明治25年7月7日。
- ^ 『官報』第4289号、明治30年10月16日。
- ^ 『官報』第5790号、明治35年10月21日。
- ^ 『官報』第6979号、明治39年10月2日。
- ^ 『官報』第8502号、明治44年10月21日。
- ^ 『官報』第558号、大正3年6月11日。
- ^ 『官報』第1948号、明治22年12月24日。
- ^ 『官報』第3131号、明治26年12月5日。
- ^ 『官報』第3693号、明治28年10月19日。
- ^ 『官報』第5613号、明治35年3月25日。
- ^ 『官報』第7034号、明治39年12月8日。
- ^ 『官報』第402号、大正2年11月29日。
- ^ 『官報』第6149号、明治36年12月29日。
- ^ 『官報』第7930号、明治42年11月29日。
- ^ 『官報』第7952号、明治42年12月24日。
- ^ 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年、48頁。
参考資料
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 9784829502730。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房、1981年。ISBN 9784829500026。
軍職 | ||
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先代 藤井包總 | 陸地測量部長 第4代:1906年7月6日 - 1912年12月26日 | 次代 牧野淸人 |
先代 中村愛三 | 旅順要塞司令官 第5代:1912年12月26日 - 1913年8月22日 | 次代 青木宣純 |