大村和市郎
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名前 | ||||||
カタカナ | オオムラ ワイチロウ[1] | |||||
ラテン文字 | OMURA Waichiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1933年1月1日[1] | |||||
出身地 | 静岡県 | |||||
没年月日 | 2003年以前 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
静岡城内高校 | ||||||
立教大学 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
田辺製薬 | ||||||
代表歴 | ||||||
1956-1958 | 日本 | 5 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
大村 和市郎(おおむら わいちろう、旧姓: 横田、1933年1月1日 - 2003年以前)は、静岡県出身のサッカー選手。
経歴
[編集]静岡県立静岡城内高等学校(現:静岡県立静岡高等学校)時代の1950年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)静岡県予選で藤枝東高校を決勝で下し優勝。中部ブロック予選で山梨県の韮崎高校を下し代表権を獲得し、選手権ではベスト8進出に貢献した。
立教大学を経て、田辺製薬へ加入。1950年代に全日本実業団サッカー選手権大会で強さを誇った同クラブの中心選手として活躍した。
日本代表としては、1956年6月3日のメルボルンオリンピック予選、対韓国戦で代表デビュー。同年11月の本大会にも出場した。その後、1958年アジア競技大会、1959年のローマオリンピック予選など国際Aマッチ5試合に出場した。
なお、詳細な没年は不明であるが、2003年9月時点で故人となっている[2]。
所属クラブ
[編集]代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
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日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1956 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
1957 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1958 | 2 | 0 | 5 | 0 | 7 | 0 |
通算 | 5 | 0 | 7 | 0 | 12 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1956年06月03日 | 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ○2-0 | 竹腰重丸 | オリンピック予選 |
2. | 1956年06月10日 | 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ●0-2(延長) | オリンピック予選 | |
3. | 1956年11月27日 | メルボルン | オーストラリア | ●0-2 | オリンピック | ||
4. | 1958年05月26日 | 東京都 | 東京蹴球場 | フィリピン | ●0-1 | 川本泰三 | アジア大会 |
5. | 1958年05月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 香港 | ●0-2 | アジア大会 |
出典
[編集]- ^ a b 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、522頁。
- ^ “静中・静高創立120周年”. 静岡新聞 (2003年9月11日). 2014年8月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 大村和市郎 - Olympedia
- 大村和市郎 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 大村和市郎 - National-Football-Teams.com
- 大村和市郎 - WorldFootball.net
- 大村和市郎 - Transfermarkt.comによる選手データ