宮本一三
宮本 一三 みやもと いちぞう | |
---|---|
| |
生年月日 | 1931年9月7日 |
出生地 | 兵庫県南あわじ市 |
没年月日 | 2016年8月17日(84歳没) |
死没地 | 京都府八幡市 |
出身校 | 一橋大学経済学部 ハーバード大学大学院 |
前職 | 大蔵官僚 |
所属政党 | (無所属→) (新生党→) (新進党→) (自由民主党→) (新党日本→) 国民新党 |
称号 | 経済学博士(Ph.D.)(ハーバード大学) 経済学士(一橋大学)、従四位[1] |
公式サイト | 宮本一三ホームページ |
選挙区 | (旧兵庫2区→) 兵庫9区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2003年10月10日 |
宮本 一三(みやもと いちぞう、1931年9月7日 - 2016年8月17日[2][3])は、日本の政治家。大蔵省大臣官房(現財務省大臣官房)審議官等を経て退官後、自由民主党所属衆議院議員となり、金融再生総括政務次官や、文部科学副大臣を務めた。
プロフィール
[編集]兵庫県三原郡西淡町(現在の南あわじ市)出身。兵庫県立洲本高等学校卒業、1955年 一橋大学経済学部卒業。大学卒業後、大蔵省に入省。ふり出しは為替局[4]。
1960年ハーバード大学大学院に留学[5]、1962年にハーバード大学で経済学博士(Ph.D. in Economics)の学位を取得。博士論文は"The Role of Tied Aid in Indonesian Economic Developmentz"。1962年 大阪国税局桜井税務署長。
1966年から1973年まで国際通貨基金(IMF)のワシントンDC本部に出向し、対日経済審査、東南アジア経済分析などを担当[5]。1966年にはIMFからインドネシア政府に派遣され経済顧問を務める。
1974年 国税庁直税部法人税課長、1979年 大蔵省国際金融局総務課長、1980年 大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)、1981年 名古屋国税局長。
1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙で、新生党公認で兵庫2区から出馬し初当選を果たした。その後、小選挙区制で行われた1996年の第41回衆議院議員総選挙では新進党公認で兵庫9区から出馬し原健三郎らを破って再選(原は比例復活で再選、宮本自身も新進党では唯一近畿ブロックで重複立候補していた)。その後自由民主党に移籍し宏池会入会。1999年 自由民主党政務調査会財政部会長。2000年の第42回衆議院議員総選挙でも原の秘書だった無所属新人西村康稔らを破って当選し3期連続当選を果たし、金融再生総括政務次官に就任。2002年 衆議院予算委員会理事及び自由民主党兵庫県支部連合会会長に就任。2003年9月20日、文部科学副大臣に就任。直後の第43回衆議院議員総選挙では無所属の西村に敗れ比例復活もならず落選した。その後2004年の第20回参議院議員通常選挙に兵庫県選挙区から無所属で出馬したが落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、鞍替えした新党日本公認で出馬するが、自民の西村に再び敗れ落選。2007年の第21回参議院議員通常選挙に国民新党公認で比例区から出馬したが落選。2009年の第44回衆議院議員総選挙では国民新党公認で出馬したが、自民の西村に三度敗れ落選。2010年の第22回参議院議員通常選挙に国民新党公認で比例区から出馬したが落選。
その後、東北福祉大学特任教授、日本国際通商支援協同組合代表理事、NPO法人日本文字文化機構副理事長、三田メガソーラー株式会社代表取締役などを務めた[6][7][8][9][10]。2016年、死去[11]。84歳没。
政策
[編集]不祥事
[編集]国税当局への圧力問題
[編集]1996年、名古屋国税局が所得税法違反(脱税)容疑で強制調査(査察)していた宮本の知人の元会社役員の脱税事件について、当時の同局査察部長に調査内容を問い合わせ、刑事処分に手心を加えるよう圧力の電話をかけていたことが発覚した[13][14]。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
落 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 52 | 旧兵庫2区 | 無所属 | 3万4194票 | 4.35% | 5 | 10/10 | / |
落 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 54 | 旧兵庫2区 | 無所属 | 6万6423票 | 8.23% | 5 | 7/8 | / |
落 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 2月18日 | 58 | 旧兵庫2区 | 無所属 | 7万9378票 | 8.73% | 5 | 7/10 | / |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 61 | 旧兵庫2区 | 新生党 | 13万2460票 | 14.68% | 5 | 3/7 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 65 | 兵庫9区 | 新進党 | 7万5274票 | 38.41% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 68 | 兵庫9区 | 自由民主党 | 7万119票 | 33.25% | 1 | 1/5 | / |
落 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 72 | 兵庫9区 | 自由民主党 | 6万5374票 | 30.82% | 1 | 2/4 | / |
落 | 第20回参議院議員通常選挙 | 2004年 7月11日 | 72 | 兵庫県 | 無所属 | 11万1583票 | 4.73% | 2 | 5/6 | / |
落 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 74 | 兵庫9区 | 新党日本 | 2万1647票 | 9.23% | 1 | 3/4 | / |
落 | 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年 7月29日 | 75 | 比例区 | 国民新党 | 48 | / | / | ||
落 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 77 | 兵庫9区 | 国民新党 | 7万6991票 | 34.03% | 1 | 2/3 | / |
落 | 第22回参議院議員通常選挙 | 2010年 7月11日 | 78 | 比例区 | 国民新党 | 48 | / | / |
脚注
[編集]- ^ 『官報』6866号(平成28年9月27日)
- ^ “元衆院議員の宮本一三氏死去 84歳、南あわじ市出身”. 神戸新聞. (2016年8月21日) 2016年8月21日閲覧。
- ^ “宮本一三氏が死去 元衆院議員”. 日本経済新聞 (2016年8月21日). 2024年10月17日閲覧。
- ^ 『日本の官庁』国土政策研究会、1982年発行、466頁
- ^ a b 『人事院月報』1979年12月発行
- ^ 「プロフィール」宮本一三
- ^ 「宮本 一三」首相官邸
- ^ 『震災に克つ経済』幻冬舎2011年
- ^ 週刊文春2012年1月26日号140P
- ^ 月刊「正論」 2012年5月号 202-209P
- ^ “元衆院議員の宮本一三さん死去 元文部科学副大臣”. 朝日新聞デジタル (2016年8月21日). 2020年11月11日閲覧。
- ^ 読売新聞2010年参院選 各党候補者アンケート
- ^ 時事通信社 2000年9月4日
- ^ 日本経済新聞2000年9月3日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 河村建夫 渡海紀三朗 | 文部科学副大臣 原田義昭と共同 2003年 | 次代 原田義昭 稲葉大和 |
党職 | ||
先代 滝実 青山丘 | 新党日本副代表 第3代:2005 – 2006 | 次代 有田芳生 |