小笠原道生
小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年(明治32年)9月16日[1] - 1955年(昭和30年)11月27日[2])は、文部官僚。
経歴
[編集]和歌山県出身[3]。小笠原誉至夫の長男として生まれた[4]。旧制和歌山中学時代には野球部員として第1回および第2回の全国中等学校優勝野球大会に出場している[5]。 第四高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み[5]、1925年(大正14年)卒業[3]。文部省に入り、体育官兼体育研究所技師、大臣官房体育課長を経て[3]、体育局長となる[3]。体育研究所長となり、戦時中に退官した[4]。
戦後は大映監査役、同取締役[6]、文部省厚生振興会会長[7]、横綱審議委員を務めた[6]。
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第17版 上』お2頁。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、264頁。
- ^ a b c d 日本官界情報社 編『日本官界名鑑. [昭和17年版](5版)』日本官界情報社、1942年、オ(ヲ)の部1頁。NDLJP:1271159。
- ^ a b 『人事興信録 第15版 上』オ1頁。
- ^ a b 甲子園大会中止を命じた文部省幹部の苦悩〜第1回大会に出場した元球児 スポニチ Sponichi Annex 野球 - 2022年9月17日閲覧。
- ^ a b 『毎日新聞』1955年11月28日夕刊7面。
- ^ 『近世日本相撲史』第3巻、15頁。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 日本官界情報社編『日本官界名鑑. [昭和17年版](5版)』日本官界情報社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 人事興信所編『人事興信録 第17版 上』人事興信所、1953年。
- 日本相撲協会博物館運営委員監修『近世日本相撲史』第3巻、ベースボールマガジン社、1978年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。