棟居俊一
棟居 俊一(むねすえ[1] しゅんいち、1893年(明治26年)2月28日[2][注 1] – 1954年(昭和29年)1月3日[3])は、日本の拓務官僚。樺太庁長官。
経歴
[編集]山口県出身。斎藤吉五郎の三男として生まれ、棟居保の養子となった[1]。1917年(大正6年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した[1]。大蔵属、司税官、亀戸税務署長、永代橋税務署長、税務事務官、横浜税関総務課長、門司税関監視部長・総務課長、神戸税関総務課長を務めた[1][2]。その後、拓務省に転じ、書記官、殖産局第二課長、同第一課長、朝鮮総督府事務官、警務局保安課長を歴任[1]。1936年(昭和11年)には朝鮮総督府専売局長に、1937年(昭和12年)には拓務省管理局長に、1938年(昭和13年)に樺太庁長官に就任した[1]。
退官後の1944年(昭和19年)より京都市助役を務めた[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 鈴木「棟居俊一」42頁では、明治26年1月30日。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 人事興信録 1939.
- ^ a b 大衆人事録 1930.
- ^ 鈴木「棟居俊一」49頁。
- ^ 京都市. “歴代市長、副市長・助役一覧”. 2016年10月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。NDLJP:1072991/870
- 鈴木仁「棟居俊一 - 樺太庁長官の文化政策」『北海道の文化』85号、北海道文化財保護協会、2013年。