源精
時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従四位上、大和守 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇→光孝天皇→宇多天皇 |
氏族 | 嵯峨源氏 |
父母 | 父:源定、母:不詳 |
兄弟 | 包、宥、至、精、唱 |
妻 | 不詳 |
子 | 浮、寵 |
源 精(みなもと の くわし)は、平安時代前期の貴族。嵯峨源氏、大納言・源定の子。官位は従四位上・大和守。
経歴
[編集]貞観10年(868年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵し、貞観14年(872年)侍従に任ぜられる。貞観18年(876年)雅楽頭。
元慶3年(879年)従五位上に昇叙され、翌元慶4年(880年)大宰少弐に任ぜられ地方官に転じる。仁和元年(885年)、大宰府から4月以前に貢進すべき鵜が7月に遅延したこと(違期)を理由に、少弐以下の官人が罰せられた際、同じく少弐の御室安常と共に杖90の刑とされ、贖銅として9斤を科された[1]。
同年、少弐の任期を終えて都に戻った際に、光孝天皇に当時の日本では珍しかった猫を献上。この黒猫はすぐに息子の源定省(後の宇多天皇)に譲られ可愛がられた(『寛平御記』)[2]。
寛平7年(895年)大和守に任ぜられた。最終官位は従四位上行大和守。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 時期不詳:正六位下
- 貞観10年(868年) 正月7日:従五位下
- 貞観14年(872年) 6月24日:侍従[3]
- 貞観18年(876年) 2月15日:雅楽頭[3]
- 元慶3年(879年) 正月7日:従五位上
- 元慶4年(880年) 正月11日:大宰少弐[3]
- 仁和元年(885年) 10月19日:杖90、贖銅9斤
- 寛平7年(895年) 正月11日:大和守[3]
- 時期不詳:従四位上[3]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。