草間秀雄
草間 秀雄(くさま ひでお、1882年(明治15年)5月10日[1] - 1960年(昭和35年)8月30日[2])は、日本の大蔵官僚、弁護士[2]。長崎市長。
経歴
[編集]福井県出身。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、大蔵属となり、高等文官試験に合格した[1]。税務監督官補、税務監督局事務官、税務監督官、ロシア駐箚財務官、大蔵書記官、主税局国税課長、造幣局長、朝鮮総督府財務局長・朝鮮銀行監理官・東洋拓殖監理官を歴任した[1]。
退官後の1931年(昭和6年)に長崎市長に選出され、1934年(昭和9年)まで務めた[1]。
市長退任後は、満洲採金株式会社副理事長、同理事長に就任したほか、1938年(昭和13年)からは日本産金振興株式会社副社長を務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 人事興信録 第10版 1934.
- ^ a b 『読売新聞』1960年9月1日、朝刊11頁。
- ^ 人事興信録 第14版 1943.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。