門脇才蔵
門脇 才蔵[1](かどわき さいぞう、1871年4月6日(明治4年2月17日)[2] - 没年不明)は、日本の実業家、地主[3][注 1]、鳥取県多額納税者[5][6][7]。旧姓・河本。
経歴
[編集]河本伝九郎の二男[5][7]。先代元右衛門の養子となり、1921年、家督を相続する[5][7]。農業を営む[3][5][7]。また所子信用組合理事[1]、博愛病院監査役、米子銀行取締役[3]などをつとめる[5][7]。
人物
[編集]門脇才蔵について、『商工資産信用録 第26回』には「職業・雑、調査年月・1925年7月、正身身代・J、信用程度・A」とある[8]。
『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』には「職業・銀行重役、調査年月・1933年1月、正味身代・K、信用程度・A」とある[9]。
米子銀行の大株主である[10]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[2]。住所は鳥取県西伯郡所子村[5][7](現大山町)。
家族・親族
[編集]- 門脇家
- 祖母・よし(1838年 - ?、鳥取、河本長平の長女)[5][7]
- 養母・なみ(1867年 - ?、河本伝九郎の二女)[5][7]
- 養父・元右衛門[5][7]
- 妻・チヨノ[5]、あるいはチヨ[7](1885年 - ?、島根、園山善之助の妹)[5][7]
- 長男・章太郎[5][11](1901年 - 1971年、農業、鳥取県多額納税者[11]、山陰合同銀行常務取締役)
- 二男・禎二郎(1912年 - ?、農業)[11]
- 二女・和子(1902年 - ?、島根、大村義雄の妻)[5][7][11]
- 孫[5][7]
- 親戚
- 大村貞蔵(農業、島根県多額納税者、松江銀行常務取締役)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『大日本紳士名鑑』鳥取県24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月1日閲覧。
- ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』鳥取県97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
- ^ a b c 『大日本長者名鑑』中国9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年9月30日閲覧。
- ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第9版』カ85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第12版 上』カ119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第26回』鳥取県4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月14日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』鳥取県7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月14日閲覧。
- ^ 『銀行会社要録 附・役員録 第27版』鳥取県1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月1日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』カ100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第26回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
- 東京興信所編『銀行会社要録 附・役員録 第27版』東京興信所、1923年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』商業興信所、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。