1980年の野球
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1980年の野球(1980ねんのやきゅう)では、1980年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
[編集]日本プロ野球
[編集]ペナントレース
[編集]セリーグ
[編集]順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 73 | 44 | 13 | .624 | 優勝 |
2位 | ヤクルトスワローズ | 68 | 52 | 10 | .567 | 6.5 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 61 | 60 | 9 | .504 | 14.0 |
4位 | 横浜大洋ホエールズ | 59 | 62 | 9 | .488 | 16.0 |
5位 | 阪神タイガース | 54 | 66 | 10 | .450 | 20.5 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 45 | 76 | 9 | .372 | 30.0 |
パリーグ
[編集]
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 68 | 54 | 8 | .5574 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 51 | 15 | .5565 | 0.5 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 66 | 53 | 11 | .555 | 0.5 |
4位 | 西武ライオンズ | 62 | 64 | 4 | .492 | 8.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 58 | 67 | 5 | .464 | 11.5 |
6位 | 南海ホークス | 48 | 77 | 5 | .384 | 21.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月15日(水) | 第1戦 | 近鉄バファローズ | 4 - 1 | ロッテオリオンズ | 川崎球場 |
10月16日(木) | 第2戦 | 近鉄バファローズ | 4 - 2 | ロッテオリオンズ | |
10月17日(金) | 移動日 | ||||
10月18日(土) | 第3戦 | ロッテオリオンズ | 4 - 13 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
年間優勝:近鉄バファローズ |
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日本シリーズ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月25日(土) | 第1戦 | 近鉄バファローズ | 6 - 4 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月26日(日) | 第2戦 | 近鉄バファローズ | 9 - 2 | 広島東洋カープ | |
10月27日(月) | 移動日 | ||||
10月28日(火) | 第3戦 | 広島東洋カープ | 4 - 3 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月29日(水) | 第4戦 | 広島東洋カープ | 2 - 0 | 近鉄バファローズ | |
10月30日(木) | 第5戦 | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 近鉄バファローズ | |
10月31日(金) | 移動日 | ||||
11月1日(土) | 第6戦 | 近鉄バファローズ | 2 - 6 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
11月2日(日) | 第7戦 | 近鉄バファローズ | 3 - 8 | 広島東洋カープ | |
優勝:広島東洋カープ(2年連続2回目) |
個人タイトル
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 山本浩二 | 広島 | 木田勇 | 日本ハム | ||
最優秀新人 | 岡田彰布 | 阪神 | 木田勇 | 日本ハム | ||
首位打者 | 谷沢健一 | 中日 | .369 | L.リー | ロッテ | .358 |
本塁打王 | 山本浩二 | 広島 | 44本 | C.マニエル | 近鉄 | 48本 |
打点王 | 山本浩二 | 広島 | 112点 | C.マニエル | 近鉄 | 129点 |
最多安打 | 高橋慶彦 | 広島 | 169本 | L.リー | ロッテ | 175本 |
盗塁王 | 高橋慶彦 | 広島 | 38個 | 福本豊 | 阪急 | 54個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 山本浩二 | 広島 | 240個 | 栗橋茂 | 近鉄 | .412 |
最優秀防御率 | 松岡弘 | ヤクルト | 2.35 | 木田勇 | 日本ハム | 2.28 |
最多勝利 | 江川卓 | 巨人 | 16勝 | 木田勇 | 日本ハム | 22勝 |
最多奪三振 | 江川卓 | 巨人 | 219個 | 木田勇 | 日本ハム | 225個 |
最高勝率 | 福士敬章 | 広島 | .714 | 木田勇 | 日本ハム | .733 |
最優秀救援投手 | 江夏豊 | 広島 | 30SP | 金城基泰 | 南海 | 19SP |
ベストナイン
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 江川卓 | 巨人 | 木田勇 | 日本ハム |
捕手 | 大矢明彦 | ヤクルト | 梨田昌崇 | 近鉄 |
一塁手 | 谷沢健一 | 中日 | レオン.L | ロッテ |
二塁手 | 基満男 | 大洋 | 山崎裕之 | 西武 |
三塁手 | 衣笠祥雄 | 広島 | 有藤道世 | ロッテ |
遊撃手 | 高橋慶彦 | 広島 | 高代延博 | 日本ハム |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | L.リー | ロッテ |
若松勉 | ヤクルト | 福本豊 | 阪急 | |
杉浦亨 | ヤクルト | 栗橋茂 | 近鉄 | |
指名打者 | C.マニエル | 近鉄 |
ダイヤモンドグラブ賞
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 西本聖 | 巨人 | 木田勇 | 日本ハム |
捕手 | 大矢明彦 | ヤクルト | 梨田昌崇 | 近鉄 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 小川亨 | 近鉄 |
二塁手 | 基満男 | 大洋 | 山崎裕之 | 西武 |
三塁手 | 衣笠祥雄 | 広島 | 羽田耕一 | 近鉄 |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 水上善雄 | ロッテ |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 |
J.ライトル | 広島 | 平野光泰 | 近鉄 | |
J.スコット | ヤクルト | 簑田浩二 | 阪急 |
オールスターゲーム
[編集]→詳細は「1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
[編集]- 第52回選抜高等学校野球大会優勝:高知商(高知県)
- 第62回全国高等学校野球選手権大会優勝:横浜(神奈川県)
大学野球
[編集]- 第29回全日本大学野球選手権大会優勝:明治大
- 第11回明治神宮野球大会優勝:日本体育大
社会人野球
[編集]メジャーリーグ
[編集]→詳細は「1980年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- フィラデルフィア・フィリーズ(ナ・リーグ) (4勝2敗) カンザスシティ・ロイヤルズ(ア・リーグ)
できごと
[編集]1月
[編集]- 1月5日
- 1月8日 - 広島東洋カープはエイドリアン・ギャレットを自由契約にしたと発表[4]。
- 1月10日
- 1月18日 - 巨人は、ヘッドコーチの青田昇が「サンデー毎日」誌上での舌禍問題の責任を取り辞任したと発表[7]。
- 1月25日 - 野球体育博物館に表彰、掲額される野球人を選出する競技者表彰委員会が開かれ、記者投票を開票した結果、大下弘と小鶴誠の殿堂入りが決定[8]。
- 1月30日
- 1月31日 - 日本ハムは取締役会を開き、球団社長の三原脩が高齢を理由に辞任し、後任の球団社長に日本ハム東京支社長の丹羽芳道を選出。三原は今後、球団代表となる[11]。
2月
[編集]- 2月4日 - 野球体育博物館の特別表彰委員会が開かれ、千葉茂を特別表彰者として選出[12]。
- 2月9日 - 横浜大洋ホエールズは球団初となる日本国外でのキャンプ地となる米アリゾナ州メサ市に到着[13]。
- 2月13日 - プロ野球実行委員会が東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、来年1月より外国人選手の枠を現行の1球団2人から3人へ増やすことを正式に決定。一軍出場は従来通り2人まで[14]。
- 2月15日 - 阪神は米アリゾナ州メサキャンプの宿舎「ホリデーイン」にて、前ヤクルトのデーブ・ヒルトンの入団を発表[15]。
- 2月18日 - 巨人は前ニューヨーク・ヤンキースのロイ・ホワイトの入団が正式に決定。球団常務の佐伯文雄がアメリカに渡り、ホワイトの代理人と契約書に調印[16]。
3月
[編集]4月
[編集]- 4月5日 - プロ野球がセ・パ同時に開幕[18]。
- 4月6日 - 第52回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、高知商が広陵を5-1で破り初優勝[19]。
- 4月8日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対大洋1回戦の一回裏に1号2点本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[20]。
- 4月9日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対大洋2回戦の三回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[21]。
- 4月12日 - 西武ライオンズの土井正博が西武球場での対近鉄2回戦の三回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[22]。
- 4月18日 - 西武の土井正博が西武球場での対ロッテ前期1回戦の一、三回裏に四球を選び、プロ通算1000四死球を達成[23]。
- 4月20日 - 日本ハムのトニー・ソレイタが大阪球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の3回戦の第一、二、三、五打席目で本塁打を打ち、4打数連続本塁打を記録。「1試合4連続本塁打」は王貞治に次ぎ2人目[24]。
- 4月21日 - 元立教大学野球部監督の辻猛が脳血せんのため福岡市の病院にて1時30分死去[25]。
- 4月23日 - 大洋の松原誠が横浜スタジアムでの対阪神4回戦での一回裏に1号3点本塁打を放ち、プロ通算2000安打を達成[26]。
- 4月27日 - ヤクルトスワローズの松岡弘が神宮球場での対阪神2回戦の六回表から登板し、プロ通算500試合登板を達成[27]。
- 4月29日 - 西武の田淵幸一が仙台宮城球場で行われた対ロッテダブルヘッダー第二試合の5回戦の一回表に3号2点本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[28]。
- 4月30日 - 仙台宮城球場にてロッテ対西武の6回戦が行われ、ロッテの張本勲が1回裏に安打を放ちプロ通算5000塁打を達成[29]、西武の山崎裕之が3回表に5号本塁打、9回表に6号本塁打を放ちプロ通算200本塁打を達成[30]。
5月
[編集]- 5月3日
- 5月15日 - 阪神は甲子園球場にて16時より記者会見を行い、監督のドン・ブレイザーが退団し後任の監督に中西太が就任したことを発表、またデーブ・ヒルトンの解雇を発表[33]。
- 5月27日 - 巨人の柴田勲が後楽園球場での対大洋9回戦の1回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[34]。
- 5月28日 - ロッテの張本勲が川崎球場での対阪急11回戦の6回裏に山口高志から6号2点本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算3000安打[35][36]。
6月
[編集]- 6月1日
- 6月2日 - 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対ヤクルト7回戦に先発して6回降雨コールドゲームで勝ち投手となり、プロ通算200勝を達成[39]。
- 6月6日
- 6月8日 - 阪神の江本孟紀が甲子園球場での対広島7回戦の5回表に衣笠祥雄から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上59人目[42]。
- 6月11日 - 巨人のジョン・シピンが後楽園球場での対広島8回戦に出場し、プロ野球通算1000試合出場達成[43]。
- 6月12日
- 6月14日
- 6月19日 - 阪急の松本幸行が大阪球場での対南海11回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[48]。
- 6月22日 - ロッテの村田兆治が川崎球場での対南海11回戦の五回表に久保寺雄二から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[49]。
- 6月23日 - 南海の杉田久雄と広島の岡義朗の交換トレードを両球団が発表[50]。
- 6月25日
- プロ野球はこの日公式戦4試合が行われ、公式戦通算30002試合となる[51]。
- 西武が新外国人選手としてシカゴ・カブスのスティーブ・オンティベロスの入団を正式発表。登録名は「スティーブ」。これに伴い、テーラー・ダンカンを任意引退にしたと発表[52]。
- 6月26日 - 日本ハムの冨田勝が西宮球場での対阪急12回戦の一回表に3号本塁打を打ちプロ通算100本塁打、七回表に安打を打ちプロ通算1000安打を達成[53]。
- 6月27日 - 川崎球場でのロッテ対日本ハム13回戦でロッテが日本ハムに3-1で勝ち、西京極球場での阪急対近鉄12回戦で近鉄が阪急に10-12で敗れたため、ロッテの前期優勝が決定[54]。
- 6月28日
- 近鉄のチャーリー・マニエルが日生球場での対ロッテ10回戦の七回裏に21号2点本塁打を打ち、プロ野球通算150本塁打を達成[55]。
- 中日は梅田邦三を日本ハムへ金銭トレードすると発表。
7月
[編集]- 7月1日 - 西武の土井正博が西武球場での対ロッテ前期13回戦の四回裏に13号本塁打を放ち、プロ通算450本塁打を達成[56]。
- 7月4日
- 7月5日
- 7月7日 - 西武球場での西武対近鉄の後期4回戦の六回裏西武の攻撃中に、近鉄の監督の西本幸雄が球場で打ちあげられた花火の煙でボールが見えないと抗議し、試合が5分中断[61]。中断後、一死一、二塁でジム・タイロンの打席でカウント2-1となった時、西本が再び濃霧でボールが見えないので試合ができないと抗議、試合が29分中断[62]。
- 7月10日
- 7月17日 - 近鉄の平野光泰が西宮球場での対阪急後期3回戦でサイクル安打を達成。史上32人目(33度目)[65]。
- 7月19日 - オールスターゲーム第1戦(西宮)で阪神の岡田彰布が、日本ハムの間柴茂有からオールスター史上初の新人初打席初本塁打[66]。
- 7月29日
8月
[編集]- 8月1日 - 西武の野村克也が西武球場での対南海後期4回戦に先発出場し、日本プロ野球史上初の通算3000試合出場[70][71]。同年の現役引退時の記録は3017試合。
- 8月4日 - 広島の衣笠祥雄が後楽園球場での対巨人14回戦に先発出場し、飯田徳治の1246試合連続出場を更新する1247試合連続出場のプロ野球新記録[72]。
- 8月5日 - PL学園硬式野球部の新監督にコーチの中村順司が就任。
- 8月7日
- 8月8日 - 日本ハムの木田勇が後楽園球場での対西武後期2回戦で、プロ野球史上初の2試合連続の毎回奪三振となる12奪三振を記録[76]。
- 8月10日
- 8月12日 - 西武の田淵幸一が西武球場での対ロッテ後期11回戦の三回裏に29号本塁打を放ち、西武はこれで日本プロ野球新記録の24試合連続本塁打[80]。
- 8月13日 - 南海の藤原満が大阪球場での対近鉄後期3回戦の六回裏に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[81]。
- 8月16日 - 後楽園球場での巨人対阪神17回戦で、巨人の江川卓、阪神の小林繁が先発登板して両者の投げ合いが実現、試合は5対3で巨人が勝利。江川は176球を投じて完投して10勝目、小林は5回3失点で降板し、敗戦投手となる[82]。
- 8月19日 - 阪神の岡田彰布が広島市民球場での対広島15回戦の二回表に13号本塁打を放ち、これがセ・リーグ通算2万本塁打となる[83]。
- 8月20日 - 中日は兼任コーチの高木守道の現役登録を抹消して一塁ベースコーチとする[84]。
- 8月22日 - 第62回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、エース愛甲猛を擁する神奈川県代表の横浜が東東京代表の早稲田実業を6-4で破り初優勝。※容姿端麗な荒木大輔(早実)が注目を集め、その悲劇性と相まって空前の「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした[85]。
- 8月30日
9月
[編集]- 9月2日 - 日本ハムの木田勇が日生球場での対近鉄後期9回戦で毎回奪三振16を記録、日本プロ野球初のシーズン3度目の毎回奪三振[88]。
- 9月5日
- 9月6日 - 広島の衣笠祥雄が広島球場での対阪神18回戦の1回裏に阪神の江本孟紀に三振を喫し、プロ通算1000三振を記録[91]。
- 9月7日 - 広島の山本浩二が広島球場での対阪神19回戦の2回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[92]。
- 9月11日 - 広島の山本浩二がナゴヤ球場での対中日23回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上64人目[93]。
- 9月13日 - 阪急の福本豊が日生球場での対近鉄後期9回戦の1回表に三盗を成功させ、プロ通算800盗塁を達成[94]。
- 9月23日 - 中日の木俣達彦がナゴヤ球場での対巨人23回戦で12号、13号本塁打を放ち通算269本塁打を記録し、江藤真一の持つ268本塁打の球団最多本塁打の記録を更新[95]。
- 9月28日 - ロッテの張本勲が川崎球場での対近鉄ダブルヘッダーの第1試合の後期10回戦の1回裏に11号本塁打を放ち、日本プロ野球史上3人目の通算500本塁打を達成[96]。
- 9月30日
10月
[編集]- 10月2日 - 南海の金城基泰が大阪球場での対阪急後期12回戦で9回表二死一、二塁の場面でリリーフ登板し、初球を投げる前に一塁走者の福本豊を牽制球でタッチアウトしてゲームセットとなり「0球セーブ」を記録[99]。
- 10月3日 - 西武の東尾修が後楽園球場での対日本ハム後期13回戦に先発して完投で16勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[100]。
- 10月4日
- 10月5日
- 10月7日 - 日本ハム対近鉄の後期13回戦が後楽園球場にて行われ、日本ハムはこの試合が後期最終戦で、勝てば後期優勝が決定したが、近鉄が日本ハムを6-5と下し、パ・リーグ後期優勝の決定は持ち越しとなる[105]。
- 10月10日 - 西武の山下律夫が西宮球場での対阪急後期13回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[106]。
- 10月11日
- 10月17日 - 阪神対広島の26回戦が甲子園球場で14時より行われ広島が阪神を6-3と下し、2位のヤクルトが神宮球場での対中日20回戦で1-4と敗れたため、広島のリーグ優勝が決定[109]。
- 10月18日 - パ・リーグプレーオフ第3戦が大阪球場で行われ、近鉄がロッテに13-4で勝利し、3勝0敗でパ・リーグ優勝[110]。
- 10月21日 - 巨人は東京・大手町の読売新聞社会議室にて17時より記者会見し、監督の長嶋茂雄が辞任し、野球評論家の藤田元司が新監督に就任したと発表[111][112]。
- 10月23日 - 大洋はフェリックス・ミヤーンの自由契約を決定。また一軍守備・走塁コーチの森下整鎮が球団に辞表を提出し、受理された[113]。
- 10月24日 - 中日は球団OBで野球評論家の近藤貞雄が新監督に就任したと発表[114]。
- 10月27日 - 巨人はジョン・シピンを自由契約とした[115]。
11月
[編集]- 11月2日 - 日本シリーズ第7戦が広島市民球場で行われ広島が近鉄に8-3で勝利し、4勝3敗で2年連続日本シリーズ優勝を達成[116]。
- 11月4日
- 11月5日
- 11月6日 - 沢村栄治賞の選考が12時から東京・数寄屋橋のニュートーキョーにて東京運動記者クラブによる選考委員会によって行われ、「該当者なし」と決定[122]。
- 11月8日
- 11月10日 - 広島と日本ハムは江夏豊と高橋直樹のトレードを発表[124]。
- 11月12日 - 第51回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場で行われ、富士市の大昭和製紙が札幌市の札幌トヨペットを8-3で下し三度目の優勝[125]。
- 11月15日 - 西武の野村克也が池袋の球団事務所にて記者会見を行い、現役引退を表明[126]。
- 11月17日 - 巨人の高田繁が東京・大手町の読売新聞本社にある球団事務所を訪れ、オーナーの正力亨と球団代表の長谷川実雄に対し現役引退を申し出て了承される[127]。
- 11月23日 - 王貞治が巨人軍ファン感謝デーでの引退セレモニーで、山口百恵引退コンサートの演出に倣い、バットとミットをそれぞれ左打席と一塁ベースに置くパフォーマンスを見せた[128]。
- 11月26日 - 1980年度プロ野球新人選択会議が11時から東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、東海大学の原辰徳は巨人、社会人野球・プリンスホテルの石毛宏典は西武、横浜高校の愛甲猛はロッテが交渉権を獲得[129]。
12月
[編集]- 12月1日 - 大洋の松原誠と巨人の古賀正明のトレードが成立[130]。
- 12月5日 - 大洋と阪急は宮本四郎と宇野輝幸のトレードが成立したと発表[131]。
- 12月7日 - 広島はアメリカ・マイナーリーグのホリヨーク・ミラーズでプレイしていた小川邦和と正式契約[132]。
- 12月10日 - 西武は林義一が二軍バッテリーコーチに就任したと発表[133]。
- 12月22日 - 西武は広島から小林誠二を金銭トレードで獲得したと発表[134]。
- 12月23日 - 阪急の笠間雄二と阪神の片岡新之介の交換トレードを両球団が発表[135]。
誕生
[編集]1月
[編集]- 1月1日 - 鄭載勳
- 1月4日 - 細川亨
- 1月6日 - 萱島大介
- 1月9日 - 西山道隆
- 1月10日 - 仁部智
- 1月15日 - マット・ホリデイ
- 1月16日 - アルバート・プホルス
- 1月20日 - ルイス・マルティネス
- 1月22日 - 石川雅規
2月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]以下の選手は松坂世代を参照
- 4月6日 - フアン・フェリシアーノ
- 4月8日 - フレデリク・セペダ
- 4月10日 - 福井強
- 4月11日 - マーク・テシェイラ
- 4月13日 - ホセロ・ディアス
- 4月16日 - 木村昇吾
- 4月18日 - 石堂克利
- 4月21日 - 竹原直隆
- 4月23日 - 平石洋介
- 4月25日 - 多田野数人
- 4月26日 - マイク・ウッド
- 4月28日 - 橋本健太郎
- 4月28日 - 大西宏明
5月
[編集]- 5月1日 - 牧谷宇佐美
- 5月6日 - 鞘師智也
- 5月6日 - 張誌家
- 5月6日 - 長田秀一郎
- 5月7日 - 寺田祐也
- 5月8日 - 吉本亮 (内野手)
- 5月8日 - 星野八千穂
- 5月9日 - 新垣渚
- 5月10日 - クレイグ・ブラゼル
- 5月11日 - 大野隆治
- 5月15日 - 小池正晃
- 5月15日 - ジョシュ・ベケット
- 5月17日 - 木佐貫洋
- 5月21日 - 藤崎紘範
- 5月22日 - 湊川誠隆
- 5月23日 - 久保裕也
- 5月23日 - 高橋一正
- 5月29日 - 白嗟承
6月
[編集]- 6月3日 - 金川直樹
- 6月5日 - 後藤武敏
- 6月6日 - 張洪波
- 6月6日 - マット・ベライル
- 6月9日 - 長栄陽一郎
- 6月10日 - 中島俊哉
- 6月15日 - 李晋暎
- 6月17日 - 川井進
- 6月19日 - 酒井大輔
- 6月22日 - 金森久朋
7月
[編集]- 7月1日 - ネルソン・クルーズ
- 7月11日 - 侯鳳連
- 7月13日 - ジョン・コロンカ
- 7月14日 - 小山良男
- 7月15日 - 奉重根
- 7月19日 - 高橋敏郎
- 7月20日 - 堤内健
- 7月20日 - 丹野祐樹
- 7月21日 - 藤川球児
- 7月21日 - CC・サバシア
- 7月23日 - 吉見太一
- 7月25日 - サンティアゴ・カシーヤ
- 7月25日 - 寺本四郎
- 7月27日 - 加藤大輔
- 7月27日 - フェリックス・ディアス
- 7月27日 - 張建銘
8月
[編集]- 8月1日 - 小椋真介
- 8月6日 - 久保康友
- 8月8日 - クレイグ・ブレスロウ
- 8月8日 - ディエゴマー・マークウェル
- 8月9日 - 権五俊
- 8月12日 - 紺田敏正
- 8月12日 - 矢野修平
- 8月16日 - ライアン・ハニガン
- 8月16日 - ベン・コズロースキー
- 8月19日 - 飯田宏行
- 8月19日 - 青柳勧
- 8月21日 - 東出輝裕
- 8月21日 - 小林正人
- 8月21日 - 工藤和樹
- 8月23日 - 栗田雄介
9月
[編集]- 9月1日 - 赤田将吾
- 9月3日 - 江草仁貴
- 9月4日 - パット・ネシェック
- 9月4日 - 廖于誠
- 9月13日 - 松坂大輔
- 9月20日 - 入野久彦
- 9月21日 - 矢野謙次
- 9月21日 - 瑞季
10月
[編集]- 10月7日 - 植大輔
- 10月8日 - 安原政俊
- 10月8日 - 川添將大
- 10月10日 - 小谷野栄一
- 10月11日 - 梵英心
- 10月11日 - 光原逸裕
- 10月15日 - 渡辺直人
- 10月15日 - 木谷寿巳
- 10月19日 - ホセ・バティスタ
- 10月19日 - ラージャイ・デービス
- 10月21日 - 稲嶺誉
- 10月25日 - 富樫和大
- 10月25日 - 佐藤二朗
- 10月29日 - 伊代野貴照
- 10月30日 - 杉内俊哉
- 10月31日 - 山﨑浩司
11月
[編集]- 11月1日 - 河野友軌
- 11月4日 - 水田圭介
- 11月8日 - ビクトル・マルテ
- 11月8日 - 上本達之
- 11月10日 - 古木克明
- 11月10日 - トニ・ブランコ
- 11月18日 - C.J.ウィルソン
- 11月19日 - 小山桂司
- 11月22日 - ジョニー・ゴームズ
- 11月23日 - ジョナサン・パペルボン
- 11月25日 - ニック・スウィッシャー
- 11月25日 - エスターリン・フランコ
- 11月26日 - 小野寺力
- 11月30日 - シェーン・ビクトリーノ
12月
[編集]- 12月2日 - 三橋直樹
- 12月11日 - ジョー・ブラントン
- 12月14日 - 永川勝浩
- 12月18日 - 松元ユウイチ
- 12月23日 - 小森孝憲
- 12月23日 - 松本幸大
- 12月25日 - 杉山直久
- 12月28日 - 村田修一
死去
[編集]- 3月22日 - 佐伯達夫(* 1892年)
- 8月2日 - 石戸四六(* 1941年)
- 9月3日 - 藤田宗一 (外野手)(* 1914年)
- 9月17日 - 内村祐之(* 1897年)
- 10月27日 - 小川正太郎(* 1910年)
- 12月3日 - 板沢峰生(* 1961年)
- 12月24日 - エルストン・ハワード(ニューヨーク・ヤンキースの元捕手・コーチ、*1929年)
脚注
[編集]- ^ “【1月5日】1980年(昭55) 張本勲が断言「巨人は間違った方向に進んでいる」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社. 2020年5月31日閲覧。
- ^ 毎日新聞1980年1月6日15面「『巨人は間違っている』移籍の張本」毎日新聞縮刷版1980年1月p161
- ^ 読売新聞1980年1月6日14面「告知板」読売新聞縮刷版1980年1月p160
- ^ 読売新聞1980年1月9日16面「ギャレット自由契約 広島、新外人の的絞る」読売新聞縮刷版1980年1月p254
- ^ 毎日新聞1980年1月11日17面「巨人『江川体質』変わらず 青田コーチ制裁 甘えと独断繰り返す」毎日新聞縮刷版1980年1月p317
- ^ 読売新聞1980年1月10日17面「古賀・小川、巨人入り ロッテとトレード 小俣、田村、庄司移籍」読売新聞縮刷版1980年1月p331
- ^ 毎日新聞1980年1月19日15面「巨人 ついに屈服 青田問題 甘い判断、もう通ぜず 他球団、ウワサ波及に硬化」毎日新聞縮刷版1980年1月p555
- ^ 読売新聞1980年1月26日17面「故大下氏と小鶴氏 殿堂入り」読売新聞縮刷版1980年1月p891
- ^ 読売新聞1980年1月31日17面「成田、日本ハム入り」読売新聞縮刷版1980年1月p1073
- ^ 読売新聞1980年1月31日17面「ヤクルト新外人はパラーゾ内野手」読売新聞縮刷版1980年1月p1073
- ^ 読売新聞1980年2月1日17面「丹羽社長、三原代表に 日ハム首脳」読売新聞縮刷版1980年2月p17
- ^ 読売新聞1980年2月5日17面「千葉氏野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1980年2月p163
- ^ 読売新聞1980年2月11日19面「大洋、元気にメサ入り」読売新聞縮刷版1980年2月p381
- ^ 読売新聞1980年2月14日17面「プロ野球 外人ワク3人に 来年1月実施、一軍登録は2人」読売新聞縮刷版1980年2月p455
- ^ 読売新聞1980年2月17日16面「ヒルトン阪神入り」読売新聞縮刷版1980年2月p574
- ^ 読売新聞1980年2月19日17面「巨人・ホワイト正式に契約 三番・右翼、来月初め来日」読売新聞縮刷版1980年2月p649
- ^ 読売新聞1980年3月23日23面「高校野球の父 『選抜』を目前に 佐伯達夫氏が死去」読売新聞縮刷版1980年3月p855
- ^ 毎日新聞1980年4月5日夕刊8面「球春満開 プロ野球も開幕」毎日新聞縮刷版1980年4月p176
- ^ 毎日新聞1980年4月7日1面「高知商が初優勝 センバツ 帝京、もう一歩 延長10回、サヨナラ負け」毎日新聞縮刷版1980年4月p203
- ^ 毎日新聞1980年4月9日19面「山本浩300号」毎日新聞縮刷版1980年4月p285
- ^ 読売新聞1980年4月10日17面「広島・衣笠祥雄(三三)が通算1500安打」読売新聞縮刷版1980年4月p355
- ^ 読売新聞1980年4月12日16面「西武・土井正博(三八)が通算300二塁打」読売新聞縮刷版1980年4月p478
- ^ 読売新聞1980年4月18日17面「西武・土井正博選手(三七)が通算1000四死球」読売新聞縮刷版1980年4月p709
- ^ 読売新聞1980年4月21日16面「ソレイタ4発(一試合、パ新) 第二試合ハム雪辱 壮絶、10アーチ乱舞」読売新聞縮刷版1980年4月p776
- ^ 読売新聞1980年4月23日17面「辻猛氏」読売新聞縮刷版1980年4月p859
- ^ 読売新聞1980年4月24日17面「松原"ワンマンショー"2千本安打、1号、4打点」読売新聞縮刷版1980年4月p899
- ^ 読売新聞1980年4月28日17面「ヤクルト、一気の逆転勝ち 自信の武上野球 7長短打を集中 松岡、500登板を飾る」読売新聞縮刷版1980年4月p1069
- ^ 読売新聞1980年4月30日17面「田淵350号及ばず ロッテ連勝」読売新聞縮刷版1980年4月p1137
- ^ 読売新聞1980年5月1日17面「張本5,000塁打 野村、王に続いて3人目」読売新聞縮刷版1980年5月p17
- ^ 読売新聞1980年5月1日17面「西武・山崎裕之(三三)が通算200号本塁打」読売新聞縮刷版1980年5月p17
- ^ 読売新聞1980年5月4日17面「乱調村田、11四死球 阪急連勝し首位に並ぶ」読売新聞縮刷版1980年5月p117
- ^ 読売新聞1980年5月4日17面「広島・渡辺秀武(三八)が通算1000三振奪取」読売新聞縮刷版1980年5月p117
- ^ 読売新聞1980年5月16日17面「阪神ブレイザー監督が退団 後任には中西コーチ」読売新聞縮刷版1980年5月p537
- ^ 読売新聞1980年5月28日17面「巨人・柴田勲(三六)が通算300二塁打」読売新聞縮刷版1980年5月p1031
- ^ 読売新聞1980年5月29日17面「張本、史上初の3,000安打 22年目、アーチで飾る 阪急・山口から右翼上段」読売新聞縮刷版1980年5月p1071
- ^ “【5月28日】1980年(昭55) 張本勲、前人未到の3000本安打達成”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社. 2015年12月18日閲覧。
- ^ 読売新聞1980年6月2日16面「西武・土井正博(三六)が通算4000塁打」読売新聞縮刷版1980年6月p46
- ^ 読売新聞1980年6月2日16面「広島・衣笠祥雄(三三)が通算300ホーマー読売新聞縮刷版1980年6月p46
- ^ 読売新聞1980年6月3日17面「堀内やったぞ200勝 15年目、現役では2位 雨中の巨人、攻守に燃えた」読売新聞縮刷版1980年6月p89
- ^ 「近鉄が144試合連続得点 ロッテ破って新記録に花」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)6月7日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 「記録メモ 福本(阪急)通算1500安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)6月7日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 「記録メモ 江本(阪神)通算1000奪三振」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)6月9日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年6月12日17面「巨人・ジョン・シピン(三三)が1000試合出場」読売新聞縮刷版1980年6月p451
- ^ 読売新聞1980年6月13日17面「王850号、金字塔また高く 金田(広島)から豪快ライナーで ホワイト祝砲3発サヨナラ10号」読売新聞縮刷版1980年6月p491
- ^ 「記録メモ 羽田(近鉄)通算100本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)6月13日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年6月15日16面「阪神・掛布雅之(二五)が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1980年6月p578
- ^ 「記録メモ 加藤(日本ハム)通算100本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)6月15日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年6月20日16面「松本幸が100勝」読売新聞縮刷版1980年6月p774
- ^ 読売新聞1980年6月23日17面「ロッテ・村田兆治投手が1500三振奪取」読売新聞縮刷版1980年6月p887
- ^ 「杉田と岡トレード 広島、南海が合意」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)6月24日付朝刊、17面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年6月26日17面「プロ野球通算3万試合超す」読売新聞縮刷版1980年6月p999
- ^ 「ダンカンを任意引退に」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)6月26日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年6月27日17面「アーチ戦、ハム勝つ 富田100号と1000本安打」読売新聞縮刷版1980年6月p1039
- ^ 読売新聞1980年6月28日17面「"山内ロッテ"初優勝 前期 胴上げエース・村田完投 また逆転、レオン2ラン 近鉄は阪急に苦杯」読売新聞縮刷版1980年6月p1085
- ^ 読売新聞1980年6月29日17面「ロッテ"祝勝会疲れ" 近鉄・島本サヨナラ4号」読売新聞縮刷版1980年6月p1125
- ^ 読売新聞1980年7月2日17面「土井、450号」読売新聞縮刷版1980年7月p57
- ^ 読売新聞1980年7月5日17面「『パ』後期も打高の開幕 リー”兄弟アーチ” 兄17号、弟22号 ロッテーハム分ける」読売新聞縮刷版1980年7月p189
- ^ 読売新聞1980年7月5日17面「日本ハム・ソレイタ内野手(三三)がパ・リーグ新の5打席連続三振」読売新聞縮刷版1980年7月p189
- ^ 読売新聞1980年7月6日17面「南海・山内新一投手(三二)が連続200試合登板」読売新聞縮刷版1980年7月p233
- ^ 読売新聞1980年7月6日16面「広瀬監督ら3人退場 審判突く」読売新聞縮刷版1980年7月p232
- ^ 読売新聞1980年7月8日17面「モヤに花火追い打ち」読売新聞縮刷版1980年7月p305
- ^ 読売新聞1980年7月8日17面「延々29分、ファン無視の中断」読売新聞縮刷版1980年7月p305
- ^ 読売新聞1980年7月11日17面「阪急・福本豊(三二)が通算1000得点」読売新聞縮刷版1980年7月p429
- ^ 読売新聞1980年7月11日17面「松岡、粘り腰で150勝 酒井好救援 スコット、杉浦連発」読売新聞縮刷版1980年7月p429
- ^ 「記録メモ 平野(近鉄)サイクル安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月18日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年9月、24頁。
- ^ 「記録メモ 伊藤(南海)通算150本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月30日付朝刊、13面(スポーツ面)。
- ^ 「記録メモ 大宮(日本ハム)サイクル安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月30日付朝刊、13面(スポーツ面)。
- ^ 「阪急新オーナーに柴谷氏」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)7月30日付朝刊、13面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年8月2日19面「野村、輝く3000試合出場 世界に誇る"捕手一筋" 万感27年"やっと山頂"」読売新聞縮刷版1980年8月p55
- ^ “【8月1日】1980年(昭55) 「生涯一捕手」ノムさん、前人未到の3000試合出場”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2007年7月18日). 2015年12月18日閲覧。
- ^ 読売新聞1980年8月5日19面「衣笠が連続出場新記録」読売新聞縮刷版1980年8月p135
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- ^ “【8月7日】1980年(昭55) スイッチヒッター初 ケンカで転向した柴田勲 2000安打達成”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2010年8月1日). 2015年12月18日閲覧。
- ^ 読売新聞1980年8月8日16面「西武、7回二5発11点 ”飛ぶボール”に近鉄泣く」読売新聞縮刷版1980年8月p252
- ^ 読売新聞1980年8月9日19面「日本ハム・木田勇投手(二六)がプロ野球初の2試合連続奪三振」読売新聞縮刷版1980年8月p289
- ^ 読売新聞1980年8月10日18面「阪急が1試合9ホーマーのプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1980年8月p253
- ^ 読売新聞1980年8月10日18面「阪急がチーム創設以来3500本塁打」読売新聞縮刷版1980年8月p253
- ^ 読売新聞1980年8月10日18面「ロッテ・有藤道世選手(三三)が1500本安打」読売新聞縮刷版1980年8月p253
- ^ 読売新聞1980年8月13日17面「西武『連続アーチ』日本新 24試合目は田淵が29号」読売新聞縮刷版1980年8月p419
- ^ 読売新聞1980年8月14日17面「南海・高が初白星」読売新聞縮刷版1980年8月p458
- ^ 読売新聞1980年8月17日19面「江川10勝 "苦投"176球、小林に勝つ 自ら適時打、中畑15号 篠塚2打点 巨人、今季初の6連勝」読売新聞縮刷版1980年8月p561
- ^ 読売新聞1980年8月20日19面「広島本拠地19連勝 日本タイ 岡田、リーグ2万本目の記念アーチ」読売新聞縮刷版1980年8月p667
- ^ 読売新聞1980年8月21日19面「高木守一塁コーチに」読売新聞縮刷版1980年8月p711
- ^ 荒木大輔氏 44年前の「大ちゃんフィーバー」は「怖かった」あれよあれよと勝ち進み「不思議だよ、あれは」デイリースポーツ 2024.01.19
- ^ 読売新聞1980年8月31日17面「中日・大島康徳選手(二九)が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1980年8月p1105
- ^ 読売新聞1980年8月31日17面「阪急のR・マルカーノ内野手(二九)が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1980年8月p1105
- ^ 読売新聞1980年9月3日17面「3度目の毎回奪三振 木田、日本新」読売新聞縮刷版1980年9月p97
- ^ 読売新聞1980年9月6日17面「日本ハム・ソレイタが4打数連続本塁打のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1980年9月p225
- ^ 読売新聞1980年9月6日17面「ロッテ・張本勲(四〇)が通算1500得点」読売新聞縮刷版1980年9月p225
- ^ 読売新聞1980年9月7日17面「広島・衣笠祥雄(三三)が通算1000三振」読売新聞縮刷版1980年9月p261
- ^ 読売新聞1980年9月7日17面「広島の山本浩二外野手(三三)が1500安打を達成」読売新聞縮刷版1980年9月p293
- ^ 「記録メモ 山本浩(広島)通算1500試合出場」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)9月12日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年9月14日17面「福本800盗塁達成 黄金の足12年、三盗で飾る」読売新聞縮刷版1980年9月p543
- ^ 読売新聞1980年9月23日夕刊13面「中日・木俣達彦捕手(三六)が球団新の個人通算269本塁打」読売新聞縮刷版1980年9月p913
- ^ 読売新聞1980年9月29日17面「張本また勲章500本塁打」読売新聞縮刷版1980年9月p1097
- ^ 「近鉄の連続試合得点215で切れる」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)10月1日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 「記録メモ 弘田(ロッテ)通算1000試合出場」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)10月1日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年10月3日17面「ドカベン6号 南海が連勝」読売新聞縮刷版1980年10月p101
- ^ 読売新聞1980年10月4日17面「熱投・東尾 西武を救う 志願の先発、6安打完封」読売新聞縮刷版1980年10月p146
- ^ 読売新聞1980年10月5日17面「佐々木サヨナラ18号 首位並ぶ 代打島本回生の3ラン」読売新聞縮刷版1980年10月p181
- ^ 「記録メモ 弘田(ロッテ)通算1000安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)10月5日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年10月6日16面「王また日本新 張本抜く21年連続100安打」読売新聞縮刷版1980年10月p212
- ^ 「記録メモ 栗橋(近鉄)通算100本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)10月6日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1980年10月8日17面「日ハム優勝"お預け" 猛牛の意地に最終戦飾れず 頼みの木田打たれる」読売新聞縮刷版1980年10月p293
- ^ 読売新聞1980年10月11日17面「西武外人勢が2発ずつ、快勝」読売新聞縮刷版1980年10月p413
- ^ 読売新聞1980年10月8日17面「南海、ブレイザー監督を発表」読売新聞縮刷版1980年10月p453
- ^ 読売新聞1980年10月8日17面「近鉄、最終戦でV後期飾る ロッテと15日からプレーオフ 西武砕き、ハムを抜く」読売新聞縮刷版1980年10月p453
- ^ 読売新聞1980年10月18日1面「広島、2年連続優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1980年10月p689
- ^ 読売新聞1980年10月19日1面「近鉄も連続優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1980年10月p725
- ^ 読売新聞1980年10月22日1面「長島監督が辞任 巨人、後任は藤田氏内定」読売新聞縮刷版1980年10月p841
- ^ “「厳しさ」と「温かさ」原監督に通ず/藤田元司氏”. 日刊スポーツ (2019年5月29日). 2021年10月19日閲覧。
- ^ 読売新聞1980年10月24日17面「ミヤーン自由契約 ジェームスは残留」読売新聞縮刷版1980年10月p949
- ^ 読売新聞1980年10月25日17面「中日、近藤監督を発表」読売新聞縮刷版1980年10月p1001
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- ^ 読売新聞1980年11月3日1面「広島が連続優勝 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1980年11月p69
- ^ 読売新聞1980年11月5日16面「MVP 木田、新人と初の二冠」読売新聞縮刷版1980年11月p150
- ^ 読売新聞1980年11月5日22面「正力松太郎賞 広島の古葉監督 二年連続のシリーズ制覇」読売新聞縮刷版1980年11月p156
- ^ 読売新聞1980年11月5日1面「王選手現役を引退 868号残し 巨人・助監督に」読売新聞縮刷版1980年11月p135
- ^ 毎日新聞1980年11月6日18面「プロ野球だより」毎日新聞縮刷版1980年11月p168
- ^ 読売新聞1980年11月6日17面「中日『黒江コーチ』発表」読売新聞縮刷版1980年11月p199
- ^ 読売新聞1980年11月6日17面「沢村賞は該当者なし」読売新聞縮刷版1980年11月p239
- ^ 読売新聞1980年11月8日16面「パ・リーグ全日程終了 木田、輝く3冠 首位打者リー」読売新聞縮刷版1980年11月p326
- ^ 読売新聞1980年11月11日19面「江夏ー高橋直トレード 大物ストーブリーグ」読売新聞縮刷版1980年11月p377
- ^ 毎日新聞1980年11月13日1面「富士市(大昭和製紙)が優勝 都市対抗野球」毎日新聞縮刷版1980年11月p351
- ^ 読売新聞1980年11月16日17面「"生涯一捕手"野村も引退 三冠王、本塁打王9、打点王7、首位打者1 輝く3017試合出場残し」読売新聞縮刷版1980年11月p581
- ^ 読売新聞1980年11月18日17日「名手・高田去る V9の戦士 やはり体力、解説者に」読売新聞縮刷版1980年11月p655
- ^ 王貞治ベースボールミュージアム公式facebook 2012年11月25日
- ^ 読売新聞1980年11月26日夕刊1面「原(東海大)巨人入団へ ドラフト会議で交渉権」読売新聞縮刷版1980年11月p999
- ^ 読売新聞1980年12月2日17面「松原選手の巨人入り決定」読売新聞縮刷版1980年12月p63
- ^ 読売新聞1980年12月6日17面「宮本四ー宇野の交換発表」読売新聞縮刷版1980年12月p231
- ^ 読売新聞1980年12月7日17面「広島、小川投手と契約」読売新聞縮刷版1980年12月p303
- ^ 読売新聞1980年12月11日17面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1980年12月p433
- ^ 読売新聞1980年12月23日17面「西武に広島の小林 金銭トレード」読売新聞縮刷版1980年12月p869
- ^ 「笠間―片岡の両捕手を交換」『北海道新聞』(縮刷版) 1980年(昭和55年)12月24日付朝刊、12面(スポーツ面)。