1995年のJリーグ

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Jリーグ
シーズン 1995
優勝 横浜マリノス
ACC出場 横浜マリノス
試合数 364
ゴール数 1214 (1試合平均3.34)
得点王 福田正博浦和・32得点)
最大差勝利ホーム試合
平塚 7-0 鹿島(サントリー第13節・5月3日)
最大差勝利アウェー試合
横浜F 0-6 浦和(NICOS第1節・8月12日)
1-7 V川崎(NICOS第11節・9月23日)
最多得点試合
C大阪 3-6 V川崎(サントリー第18節・6月21日)
G大阪 4-5 清水(サントリー第20節・6月28日)
市原 6-3 横浜F(NICOS第17節・10月18日)
最多観客動員
56,652人 - 浦和 vs V川崎(サントリー第13節・5月3日)
最少観客動員
7,012人 - 広島 vs 名古屋(サントリー第8節・4月12日)
平均観客動員 16,922人
1994
1996

1995年Jリーグは、リーグ戦が3月18日に開幕、11月25日に日程を終了し、11月30日12月6日にチャンピオンシップを行った。リーグの優勝クラブはサントリーシリーズが横浜マリノス、ニコスシリーズがヴェルディ川崎で、チャンピオンシップにより決定された年間総合優勝は横浜マリノス

参加クラブ

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1995年シーズンのJリーグのクラブは以下の通り。昨シーズンのジャパンフットボールリーグ準会員かつ上位2位に入ったセレッソ大阪柏レイソルが新たに加わり、計14クラブとなった。

※前年度成績=1994年のJリーグ前後期を通算した順位を記載
チーム名 監督 所在
都道府県
ホームスタジアム 前年成績
鹿島アントラーズ ブラジル エドゥー 茨城県 茨城県立カシマサッカースタジアム 3位
浦和レッドダイヤモンズ ドイツ ホルガー・オジェック 埼玉県 浦和駒場スタジアム[1] 12位
ジェフユナイテッド市原 日本 清雲栄純 千葉県 市原臨海競技場 9位
柏レイソル ブラジル ゼ・セルジオ 日立柏サッカー場 JFL2位
ヴェルディ川崎 ブラジル ネルシーニョ 神奈川県[2] 等々力陸上競技場 1位
横浜マリノス アルゼンチン ホルヘ・ソラリ 三ツ沢公園球技場[3] 6位
横浜フリューゲルス 日本 木村文治 7位
ベルマーレ平塚 日本 古前田充 平塚競技場 5位
清水エスパルス 日本 宮本征勝 静岡県 清水市日本平運動公園球技場 4位
ジュビロ磐田 オランダ ハンス・オフト ジュビロ磐田サッカースタジアム 8位
名古屋グランパスエイト フランス アーセン・ベンゲル 愛知県 名古屋市瑞穂公園ラグビー場 11位
ガンバ大阪 ドイツ ジークフリート・ヘルト 大阪府 万博記念競技場 10位
セレッソ大阪 ブラジル パウロ・エミリオ 長居第2陸上競技場[4] JFL1位
サンフレッチェ広島 オランダ ビム・ヤンセン 広島県 広島スタジアム[5] 2位
  1. ^ 第1ステージは全面増築工事のため埼玉県大宮公園サッカー場に暫定移転
  2. ^ 横浜F=特別活動地域:長崎県熊本県鹿児島県
  3. ^ 横浜F=長崎県立総合運動公園陸上競技場熊本市水前寺競技場鴨池陸上競技場を併用
  4. ^ 長居陸上競技場が全面改築中のため暫定本拠地
  5. ^ 試合数全体では広島ビッグアーチで過半数を開催

レギュレーション

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基本的に前年のレギュレーションを踏襲している。リーグは2ステージ制で行われ、14クラブが各ステージごとにホーム・アンド・アウェー2回戦各26試合×2ステージ=52試合(総試合数182試合×2ステージ=364試合)を戦う。リーグ戦の試合数が大幅に増えたため[注 1]、このシーズンはヤマザキナビスコカップは行われなかった。

各試合の「完全決着方式」(前後半90分で決着が付かない場合、前後半15分ずつのVゴール方式による延長戦を行い、それでも決着が付かない場合はPK戦)は前年・前々年と同様であるが、この年から勝点制を採用し、「90分勝利」「Vゴール勝利」「PK戦勝利」に勝点3を、「PK戦敗北」に勝点1を与えることとした。各ステージの1位(ステージ優勝者)同士が2回戦制のJリーグチャンピオンシップを戦い、勝者が年間優勝、敗者が年間2位となる。なお、年間順位の3位以下は、チャンピオンシップに出場しなかった12クラブの間で「年間勝ち点→得失点差→総得点」の順で定めた。

前年・前々年同様、それぞれのステージならびにチャンピオンシップは冠スポンサー大会とされ、第1ステージを「サントリーシリーズ」、第2ステージを「日本信販・NICOSシリーズ」とそれぞれ称して行った。又、チャンピオンシップについてもサントリーが冠スポンサーとなり「サントリー・チャンピオンシップ」の名称で開催された。

このシーズンから、選手交代が3人まで行えるようになった[注 2]

スケジュール

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サントリーシリーズは3月18日開幕・7月22日閉幕で行われ、NICOSシリーズは8月12日開幕・11月25日閉幕で行われた。サントリーチャンピオンシップは11月30日・12月6日に行われた。

キリンカップサッカーおよびアンブロ・カップ日本代表が参加するためサントリーシリーズ第16節終了後に1ヶ月の中断期間が設けられたこともあり、ほぼ全期間にわたって週2回開催というタイトなスケジュールとなった。

リーグ概要

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サントリーシリーズは、この年前年のワールドカップサウジアラビアをベスト16に躍進させたホルヘ・ソラリを招聘し、川口能活松田直樹といった若手を積極的に起用した横浜Mが首位争いを演じるが、第16節で「個人的な理由」から横浜M監督のソラリが退任し、後任に日産OBの早野宏史を抜擢。監督交代直後には3連敗を喫するなどするものの、後続のチームのもたつきに助けられる形で横浜Mが初のステージ優勝を達成する[3]。続くNICOSシリーズは地力を発揮したV川崎が3年連続でステージを制した。

一方この年はリーグ発足当初からの「Jリーグ人気」にやや陰りが見られる年ともなり、リーグ発足当初から続いていた「テレビ地上波での中継」(関東地区・録画放送含む)がNICOSシリーズ第3節で消滅、「プラチナチケット」とも呼ばれたスタジアムの観戦チケットも当日券が販売される状況となった[4]。また、NICOSシリーズ第1節(8月12日)に横浜FのGK森敦彦が主審にボールをぶつける反則行為で3ヶ月の出場停止[注 3]、NICOSシリーズ第11節(9月23日)の試合終了後、浦和DF田口禎則がサポーターに暴行しクラブ側の自主処分として同シーズンの残り全試合の出場自粛(リーグもこれを追認)[5] など、不祥事の相次いだシーズンでもあった。

なお、清水エスパルスの清水市日本平スタジアムがサントリーシリーズから、浦和レッズの浦和市駒場スタジアムがNICOSシリーズからそれぞれ改修工事を終えて本拠地に復帰した。セレッソ大阪は長居スタジアム全面改築のための暫定処置として長居第2陸上競技場を本拠地として使用した。

順位表

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  • 以下の順位表において、勝利数・敗戦数はいずれも90分での勝利数・敗戦数を示す。
  • Jリーグ公式記録 では、両ステージ通算の順位を公表していないが、便宜上集計したものを示す。

サントリーシリーズ

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開催期間:3月18日 - 7月22日

チーム 延勝 PK勝 PK敗 延敗
1 横浜マリノス 26 14 2 1 1 2 6 47 38 +9 52 チャンピオンシップに出場
2 ヴェルディ川崎 26 11 3 2 1 2 7 46 36 +10 49
3 浦和レッドダイヤモンズ 26 8 5 2 3 2 6 41 34 +7 48
4 名古屋グランパスエイト 26 9 3 3 1 2 8 50 48 +2 46
5 ジュビロ磐田 26 11 4 0 0 3 8 48 40 +8 45
6 ジェフユナイテッド市原 26 9 4 1 3 2 7 48 40 +8 45
7 ベルマーレ平塚 26 12 2 0 1 2 9 60 47 +13 43
8 鹿島アントラーズ 26 11 2 1 0 1 11 38 38 0 42
9 セレッソ大阪 26 9 3 1 2 2 9 43 44 −1 41
10 サンフレッチェ広島 26 10 2 1 0 3 10 38 33 +5 39
11 ガンバ大阪 26 9 1 0 1 1 14 49 54 −5 31
12 清水エスパルス 26 6 2 2 0 2 14 35 63 −28 30
13 横浜フリューゲルス 26 7 1 1 1 5 11 42 54 −12 28
14 柏レイソル 26 6 1 0 1 6 12 30 46 −16 22

NICOSシリーズ

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開催期間:8月12日 - 11月25日

チーム 延勝 PK勝 PK敗 延敗
1 ヴェルディ川崎 26 18 1 0 2 0 5 60 26 +34 59 チャンピオンシップに出場
2 名古屋グランパスエイト 26 14 3 0 0 1 8 49 34 +15 51
3 横浜マリノス 26 11 1 3 1 1 9 39 37 +2 46
4 清水エスパルス 26 11 3 1 0 3 8 42 34 +8 45
5 柏レイソル 26 10 3 1 1 0 11 57 54 +3 43
6 鹿島アントラーズ 26 11 1 2 1 2 9 44 41 +3 43
7 ジェフユナイテッド市原 26 9 3 2 1 1 10 49 51 −2 43
8 浦和レッドダイヤモンズ 26 11 2 1 0 2 10 44 38 +6 42
9 ジュビロ磐田 26 10 3 0 1 1 11 40 37 +3 40
10 セレッソ大阪 26 9 1 2 1 5 8 36 39 −3 37
11 横浜フリューゲルス 26 7 4 0 1 1 13 36 57 −21 34
12 サンフレッチェ広島 26 9 0 0 1 4 12 31 43 −12 28
13 ガンバ大阪 26 5 3 0 2 5 11 38 53 −15 26
14 ベルマーレ平塚 26 4 2 1 1 4 14 34 55 −21 22

年間総合順位

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上位2チームの順位はJリーグチャンピオンシップの結果により確定する。

チーム 延勝 PK勝 PK敗 延敗
1or2 ヴェルディ川崎 52 29 4 2 3 2 12 106 62 +44 108 チャンピオンシップに出場
1or2 横浜マリノス 52 25 3 4 2 3 15 86 75 +11 98
3 名古屋グランパスエイト 52 23 6 3 1 3 16 99 82 +17 97
4 浦和レッドダイヤモンズ 52 19 7 3 3 4 16 85 72 +13 90
5 ジェフユナイテッド市原 52 18 7 3 4 3 17 97 91 +6 88
6 ジュビロ磐田 52 21 7 0 1 4 19 88 77 +11 85
7 鹿島アントラーズ 52 22 3 3 1 3 20 82 79 +3 85
8 セレッソ大阪 52 18 4 3 3 7 17 79 83 −4 78
9 清水エスパルス 52 17 5 3 0 5 22 77 97 −20 75
10 サンフレッチェ広島 52 19 2 1 1 7 22 69 76 −7 67
11 ベルマーレ平塚 52 16 4 1 2 6 23 94 102 −8 65
12 柏レイソル 52 16 4 1 2 6 23 87 100 −13 65
13 横浜フリューゲルス 52 14 5 1 2 6 24 78 111 −33 62
14 ガンバ大阪 52 14 4 0 3 6 25 87 107 −20 57

チャンピオンシップ

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Jリーグチャンピオンシップについてはサントリーが冠スポンサーとなり、サントリー・チャンピオンシップの名称で開催された。

1995年11月30日 第1戦 横浜マリノス 1 – 0 ヴェルディ川崎 新宿区
19:05 ビスコンティ 48分にゴール 48分 公式記録 競技場: 国立霞ヶ丘競技場
観客数: 47,631 人
主審: ゾラン・ペトロヴィッチ
1995年12月6日 第2戦 ヴェルディ川崎 0 – 1 横浜マリノス 新宿区
19:05 公式記録 井原正巳 29分にゴール 29分 競技場: 国立霞ヶ丘競技場
観客数: 48,271 人
主審: 小幡真一郎

合計スコアが2-0となり、横浜マリノスが年間王者に決定。

テレビ中継

表彰

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受賞者
最優秀選手賞 ユーゴスラビア ドラガン・ストイコビッチ名古屋グランパスエイト
得点王 日本 福田正博浦和レッドダイヤモンズ
新人王 日本 川口能活横浜マリノス
最優秀監督賞 フランス アーセン・ベンゲル(名古屋グランパスエイト)
優勝監督賞 日本 早野宏史(横浜マリノス)
優秀審判賞 日本 小幡真一郎
審判員特別奨励賞 日本 廣嶋禎数
チェアマン感謝状 アルゼンチン ラモン・ディアス

ベストイレブン

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Pos. 選手名 受賞回数 所属クラブ
GK 日本 菊池新吉 2 ヴェルディ川崎
DF 日本 相馬直樹 鹿島アントラーズ
日本 井原正巳 3 横浜マリノス
ドイツ ブッフバルト 浦和レッドダイヤモンズ
日本 鈴木正治 横浜マリノス
MF 日本 柱谷哲二 3 ヴェルディ川崎
ブラジル ビスマルク 2
FW 日本 福田正博 浦和レッドダイヤモンズ
日本 三浦知良 2 ヴェルディ川崎
ユーゴスラビア ストイコビッチ 名古屋グランパスエイト
日本 森島寛晃 セレッソ大阪

得点ランキング

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順位 選手 所属 得点
1 日本 福田正博 浦和レッズ 32
2 イタリア スキラッチ ジュビロ磐田 31
3 アルゼンチン ビスコンティ 横浜マリノス 27
4 ブラジル ベッチーニョ ベルマーレ平塚 25
5 日本 三浦知良 ヴェルディ川崎 23
日本 野口幸司 ベルマーレ平塚
7 ニュージーランド ルーファー ジェフユナイテッド市原 21
アルゼンチン メディナベージョ 横浜マリノス
9 日本 武田修宏 ヴェルディ川崎 20
オランダ ヒルハウス ガンバ大阪

出典: J.LEAGUE Data Site

記録

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Jリーグ準会員

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脚注

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注釈

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  1. ^ この年の「全52節(26節×2)」という試合数は後に発足するJ2J3を含め過去最多(J2の年間試合数最多は2009年のJ2における全51節(18クラブ3回戦総当り)、J3は2015年のJ3における39節(13クラブ3回総当たり=各節休みのチームがあるため1チーム36試合)だった。当初は14チーム3回総当り・39試合による1シーズン制とすることも検討されていたが、シリーズ冠スポンサー2社との契約が残っていた都合もあり断念して年間4回総当りとなった[1]
  2. ^ 選手交代を3人にするFIFAのルール改正は、7月1日から世界中で施行される予定だったが、Jリーグでその日に施行するとサントリーシリーズの開催期間中に途中切り換えになってしまう。そこでFIFAの許可を得てシーズン開幕から選手交代を3人にするルールが適用された[2]
  3. ^ この「出場停止3ヶ月」の処分は、個人に対するJリーグの処分としては2015年シーズン終了までで最も重い処分である。

出典

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  1. ^ 『1995年度Jリーグプロサッカープレーヤーズ名鑑』 日刊スポーツ出版社、1995年、135頁。
  2. ^ 大住良之 (1995年3月28日). “No.95 3人目の交代をどう使うか”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルサイト. 2018年9月9日閲覧。
  3. ^ 【Jリーグ】鳥栖と同ケースの首位での監督交代は過去にも。95年の横浜はソラリ→早野監督のリレーで優勝を果たす”. サッカーダイジェスト (2014年8月10日). 2015年1月4日閲覧。
  4. ^ 大住良之 (1995年4月18日). “No.98 Jリーグ人気低下のいまこそ理念実現へ”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルサイト. 2015年1月4日閲覧。
  5. ^ 大住良之 (1995年10月3日). “No.121 田口事件”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルサイト. 2015年1月4日閲覧。

関連項目

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