2004年のオリックス・ブルーウェーブ
2004年のオリックス・ブルーウェーブ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 | |
49勝82敗2分 勝率.374[1] | |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県神戸市 |
球場 | Yahoo! BBスタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 宮内義彦 |
経営母体 | オリックス |
球団社長 | 小泉隆司 |
GM | 中村勝広 |
監督 | 伊原春樹 |
選手会長 | 三輪隆 |
キャッチフレーズ | |
Believe'n GO! 〜頂点へ全力〜 | |
« 2003 2005 » |
2004年のオリックス・ブルーウェーブでは、2004年のオリックス・ブルーウェーブの動向についてまとめる。
この年のオリックス・ブルーウェーブは、伊原春樹が1年だけ監督を務めたシーズンである。キャッチフレーズは「Believe'n GO! 〜頂点へ全力〜」。
シーズンオフに球団が大阪近鉄バファローズを吸収合併して、翌年から「オリックス・バファローズ」となったため「オリックス・ブルーウェーブ」としては最後のシーズンとなった。
概要
[編集]2年連続の最下位と低迷するチーム再建の切り札として、オリックスの宮内義彦オーナーは前年まで西武の監督だった伊原春樹を新監督に招聘。伊原監督は、投手コーチに西武時代の同僚で元ロッテ監督の八木沢荘六を、打撃コーチに大学同期で球団OBの河村健一郎を、外野守備走塁コーチには西武でともに汗を流した佐々木誠を、内野守備走塁コーチにはこれまた西武で同僚の鈴木康友をそれぞれ迎えるなど、コーチスタッフを一新した。しかし、2003年と同じくエースとして期待されたユウキがシーズン絶望、抑えを期待された大久保勝信、加藤大輔も怪我の影響で1試合しか登板できずローテの左三本柱として計算されていた金田政彦も相変わらず怪我がち、具臺晟も首脳陣との対立、阪神から移籍したトレイ・ムーアも後半怪我で離脱と主力投手陣が揃わず、さらにはアテネ五輪で谷佳知、村松有人が怪我をするアクシデントもあり、3年連続の最下位に終わった。投手陣は、前年の5.95から5.66へとわずかに防御率が改善されたが被安打数はリーグワーストに終わり、打撃陣は打率がリーグ2位の.283を記録するも112本塁打はリーグ最下位で投打も噛み合わなかった。続投を希望する声も上がったが、近鉄との球団合併もあり伊原監督は1年で辞任した。新球団「オリックス・バファローズ」の初代監督には、近鉄・オリックス両球団の監督を務めた仰木彬が4年ぶりに復帰することになった。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 中 | 村松有人 |
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2 | 二 | 大島公一 |
3 | 左 | 谷佳知 |
4 | 右 | ブラウン |
5 | 一 | オーティズ |
6 | 三 | 塩谷和彦 |
7 | 指 | 山﨑武司 |
8 | 捕 | 日高剛 |
9 | 遊 | 後藤光尊 |
投 | 具臺晟 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- |
2位 | 西武 | 0.0 | 西武 | 西武 | 2.0 | 西武 | 2.0 | 西武 | 2.0 | 西武 | 4.5 | |
3位 | ロッテ | 3.5 | 日本ハム | 4.5 | 日本ハム | 7.5 | 日本ハム | 9.0 | ロッテ | 15.5 | 日本ハム | 12.0 |
4位 | オリックス | 4.0 | 近鉄 | 7.5 | ロッテ | 14.0 | 近鉄 | 12.5 | 日本ハム | 11.0 | ロッテ | 12.5 |
5位 | 日本ハム | 4.5 | オリックス | 5.0 | 近鉄 | 14.5 | ロッテ | 13.0 | 近鉄 | 15.0 | 近鉄 | 17.0 |
6位 | 近鉄 | 6.0 | ロッテ | 11.0 | オリックス | 17.0 | オリックス | 19.5 | オリックス | 24.5 | オリックス | 29.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 74 | 58 | 1 | .561 | 優勝 |
2位 | 福岡ダイエーホークス | 77 | 52 | 4 | .597 | -4.5 |
3位 | 北海道日本ハムファイターズ | 66 | 65 | 2 | .504 | 7.5 |
4位 | 千葉ロッテマリーンズ | 65 | 65 | 3 | .500 | 8.0 |
5位 | 大阪近鉄バファローズ | 61 | 70 | 2 | .466 | 12.5 |
6位 | オリックス・ブルーウェーブ | 49 | 82 | 2 | .374 | 24.5 |
- プロ野球再編問題を巡るストライキにより、本来より2試合少ない133試合。
- 規定でプレイオフ勝者が優勝チーム
オールスターゲーム2004
[編集]- 選出選手
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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内野手 | オーティズ | 初 |
外野手 | 谷佳知 | 4 |
村松有人 | 3 |
- 太字はファン投票による選出。
できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
谷佳知 | 外野手 | 4年連続5度目 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
谷佳知 | 外野手 | 4年連続4度目 |
村松有人 | 2年連続2度目 |
選手分配ドラフト
[編集]選手分配ドラフトにより、オリックス所属の選手は以下のように分配された。また、近鉄からは以下の選手がオリックスに所属することが決定したが、岩隈久志はオリックスへの入団を拒否し、楽天がオリックスに金銭を支払うことと引き換えに楽天への入団が決定した。
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ドラフト
[編集]順位 | 選手名 | 守備位置 | 所属 | 結果 |
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自由獲得枠 | 金子千尋 | 投手 | トヨタ自動車 | 入団 |
1巡目 | (選択権なし) | |||
2巡目 | 光原逸裕 | 投手 | JR東海 | 入団 |
3巡目 | (選択権なし) | |||
4巡目 | 町豪将 | 投手 | JR九州 | 入団 |
5巡目 | 田中彰 | 内野手 | 法政大学 | 入団 |
出典
[編集]- ^ a b “年度別成績 2004年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月12日閲覧。
- ^ “オリックス・バファローズ Legend Of Bs2013 Miracle!夢が叶ったあの時”. オリックス・バファローズ. 2015年10月12日閲覧。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 中日ドラゴンズ | 2位 | ヤクルトスワローズ | 1位 | 福岡ダイエーホークス | 優勝 | 西武ライオンズ |
3位 | 読売ジャイアンツ | 4位 | 阪神タイガース | 3位 | 北海道日本ハムファイターズ | 4位 | 千葉ロッテマリーンズ |
5位 | 広島東洋カープ | 6位 | 横浜ベイスターズ | 5位 | 大阪近鉄バファローズ | 6位 | オリックス・ブルーウェーブ |
:日本一 :日本シリーズ出場 :PO第2ステージ敗退 | |||||||