JNNニュースコープ

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JNNニュースコープ
ジャンル 報道番組
出演者 田英夫
戸川猪佐武
古谷綱正
藤原弘達
入江徳郎
上田健一
新堀俊明
浅野輔
田畑光永
吉川美代子
平本和生
三雲孝江 ほか
出演者を参照)
オープニング こちらを参照
製作
制作 TBSJNN
放送
映像形式モノクロ放送 → カラー放送(1968年9月30日から[1]
音声形式モノラル放送 →2か国語放送1978年11月20日[2][3]から放送終了までの【月-金曜】のみ。【土日】は放送終了までモノラル放送。)
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間【月-土曜】
1962年10月1日 - 1990年3月31日
【日曜】
1965年4月4日 - 1990年4月1日
放送時間放送時間・時刻を参照
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JNNニュースコープ』(ジェイエヌエヌ - 、通称:ニュースコープ)は、TBSJNN)系列にて1962年(昭和37年)10月1日から1990年(平成2年)4月1日まで[注 1]、27年半の長期に渡って放送された夕方の報道番組である。日本初の本格的キャスターニュースショーとしても知られている。当初はモノクロ放送・モノラル放送だったが、映像はTBSがニュース番組及び報道取材のカラー化を始めた1968年9月30日からカラー放送となり[1]、音声はTBSが音声多重放送(当時は実用化試験放送)を始めた1978年11月20日から2か国語放送となっている[2][3]

タイトルはニュース(NEWS)とスコープ(Scope)を絡ませた造語[注 2] であり、その日の注目ニュースを望遠鏡顕微鏡などのスコープのように鋭く、わかりやすく注目するということで名づけられた。

なお、国内の民放ネットワークによるニュース番組で、かつ同一タイトルの夕方のニュース番組としては最長記録を誇っている[注 3]

番組概要

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1962年は、日本のテレビ受像機の普及が民放開局時の1万7000台から、1000万台に乗った記念すべき年だった[4]。と同時に、各局とも当時の娯楽番組が行きつくところまできた、という思いから、報道番組に力を入れる気運が盛り上がってきた[4]。TBSはこの年に報道部を報道局に昇格させ、日本テレビも報道番組を突破口に全日放送を目指し始めていた[4]。そんな時代背景のなかから、TBSの営業、編成、報道各局の中心人物で、"一直二博"と言われた諏訪博(のち社長)、橋本博、大森直道(のち常務)らが[5]アメリカCBSウォルター・クロンカイトニュース番組などを参考に、「日本にもキャスターを導入しよう」と基本構想を立て、当時ニュース課長だった宿谷礼一と太田浩(のち東通社長)らに準備を命じて生まれた番組である[6]

それまでは、朝、昼、夜に5~10分程度で、番組の穴埋め的な存在でしかなかったニュースを、月~土曜の夕方6時半から約30分にのばし、ニュース解説、政治や経済など映像になりにくい素材、生中継もふんだんに取り上げてスタジオ・ニュースを流すというのが、宿谷、太田らの考えで[6]、キャスター起用の他にも大型映写装置・アイドホール(今のプロジェクターにあたるもの)をスタジオに設置した。

1978年11月20日の放送分から一部系列局を除いて月~金曜日に副音声で英語同時通訳が放送されたが、これはTBSテレビにおける初の音声多重放送だった[2][3]。これ以降、JNNの月~金曜夕方のニュースは、2009年12月まで2か国語放送が実施されるが、音声多重放送の導入時期により、系列局では導入の有無や導入時期が異なる。

開始当初、地方系列局はいまだ未整備であり、正規のニュース系列がANN単独加盟であった時代の青森テレビ[注 4] に対しては、JNN協定には当てはめず、特例措置により開局当初からJNNのニュース取材・配信への参加も正式な加盟局に準ずる形で認めた上、この番組に関しては、名目上番組販売扱いでのネットを実施していた[7][8]

放送時間拡大

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1984年(昭和59年)10月から放送時間を50分に拡大し[9]、番組初の女性キャスターとして局アナの吉川美代子も起用され、特集とスポーツコーナーも設置。お天気キャスター[注 5] とスポーツキャスターも配した。TBS・JNNでは、18時からのローカルニュース『テレポートTBS6』と合わせて『ゴールデン80分ニュース』と銘打ち、80分のニュース枠が確保されることになり、番組終了後の19:20からは『Quiz Hour7:20』と触れ込み、既存のクイズ番組をルール改正や一部番組は枠移動させた上で40分に拡大し、月~木曜日までの帯で配置した[注 6]。この大改編は暫く一定したものの、結局、1987年(昭和62年)10月5日から『ニュース22プライムタイム』開始の影響で月~金曜の放送時間は19:00までに短縮された。当時の天気コーナーは日本気象協会の職員が担当していたが、この放送時間短縮時に当時同協会に所属していた森田正光が天気キャスターとして夕方ニュース枠に初登場した。以後、番組タイトルやメインキャスターの変更を経ながら現在の『Nスタ』に至るまで同局夕方のニュースで天気予報を伝え続けている(2009年4月から9月の半年間を除く)。

終了

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1990年(平成2年)3月30日の放送を最後に終了し、4月からローカルニュース『テレポートTBS6』(最終年度は『テレポート6』)と統合し『JNNニュースの森』に移行した[注 7]

メインキャスター

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初代メインキャスターは共同通信社で文化部長などを歴任。話が上手でマスクも人柄も柔和な印象を与える田英夫[10][注 8]読売新聞社政治部歴が長く、政局に明るい点が買われ、戸川猪佐武を起用した[10]。それ以降は古谷綱正毎日新聞社 論説委員)、入江徳郎朝日新聞社 論説委員「天声人語」担当)[11]浅野輔翻訳家)、田畑光永(TBS記者)、平本和生(同。後に、TBSHD専務)と報道の第一線をリードしてきたジャーナリストがキャスターを務めた。田は5年半、古谷は16年間、入江は12年間担当。ニュースを一方的に伝えるのではなく、そのニュースの背景や自らの主張を視聴者に語りかけるような感じでの伝え方と分かり易い解説が受けて、お茶の間の人気を集め、当番組を長年に渡って支えた。

田は北ベトナム報道などの影響で番組を降板するが、その理由については一言も触れず、いつもなら、「皆さん、それではまたあした」と言うところを、「それでは皆さん、さようなら」と一言変えることだけで万感の思いを込めた[12]。古谷はエンディングで「それでは、きょうはこんなところです」と必ず挨拶することで「こってすのおじさん」として視聴者に親しまれた。

出演者

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「JNNニュースコープ」歴代出演者
期間 平日 休日
メインキャスター 女性キャスター スポーツ お天気 メインキャスター スポーツ
月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
1962年10月1日 1964年3月28日 田英夫[注 9] 戸川猪佐武 なし なし なし 戸川猪佐武 放送なし なし
1964年3月30日 1965年3月27日 田英夫☆ 古谷綱正 藤原弘達 藤原弘達
1965年3月29日 1968年3月31日 藤原弘達
1968年4月1日 1968年9月29日 古谷綱正
1968年9月30日 1969年9月28日 近江正俊 近江正俊
1969年9月29日 1977年4月3日 古谷綱正 入江徳郎
1977年4月4日 1981年3月29日 浅野輔 入江徳郎
1981年3月30日 1983年10月2日 新堀俊明
1983年10月3日 1984年10月7日 新堀俊明☆ 浅野輔 浅野輔
1984年10月8日 1987年10月4日 田畑光永 吉川美代子 松下賢次☆など 浅野芳 多田護☆など
1987年10月5日 1988年10月2日 なし 森田正光1・2・3・5 木場弘子4
1988年10月3日 1989年10月1日 平本和生 三雲孝江3
1989年10月2日 1990年4月1日 吉川美代子☆2 戸崎貴広2

  • ☆-出演当時TBSアナウンサー・記者

歴代のテーマ音楽・オープニング

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初代オープニング映像で映し出された東京タワー(1961年の写真)

これらの映像は、「TBS50年史」(東京放送編、2002年刊)の付属のDVDでも視聴することが出来る[注 12]

東京タワーの空撮の映像をバックにタイトル画を表示していた。
この時期の一社スポンサーであった武田薬品工業のテーマ「♪タケダ…」の連呼を使用(タケダアワーと同じく大阪工場の空撮を使用)。
イントロにタイプライターの効果音が付いている曲。
当初は曲・タイトルともJNN系ニュース番組に共通のオープニングテーマを使用。
1980年10月からはさらに曲はそのままにテロップアニメだけを変更した。
シンセサイザー電子音を使っていた曲。テーマ曲のベースに流れる電子音はモールス信号の「JNN」(・--- -・ -・)をアレンジしたもの。
当時としては珍しいCGを用いたタイトル映像で、映像はJCGLが制作(『ザ・サスペンス』や『中村敦夫の地球発22時』といった同局系の番組のタイトルCGも同社が制作)。EDではサックスの音がバックで流れていた。

放送時間・時刻

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JST(日本標準時)で表記。

「JNNニュースコープ」放送時間の変遷
時期 月-金曜 土曜日 日曜日
1962年10月1日 - 1965年3月27日 18:30 - 18:50(20分)[注 13] 放送なし
1965年3月29日 - 1973年3月 17:30 - 17:50(20分)
1973年4月 - 1975年9月 18:30 - 18:50(20分)[注 13]
1975年10月 - 1982年3月 18:30 - 18:55(25分)[注 14] 18:30 - 18:50(20分)
1982年4月4日 - 1984年10月7日 18:30 - 18:50(20分) 17:30 - 17:50(20分)
1984年10月8日 - 1987年10月4日 18:30 - 19:20(50分)[注 15]
1987年10月5日 - 1990年4月1日 18:30 - 19:00(30分)[注 16]

ネット局

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略称・系列は終了時点のもの。特筆すべきものがない局は放送開始から終了まで。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 東京放送(TBS) JNN 報道部制作・幹事局
北海道 北海道放送(HBC)
青森県 青森テレビ(ATV) 1969年12月1日開局から[注 17] 1975年3月30日までニュース系列は、ANNと同時加盟していたが、番販扱いでネット[注 18]
岩手県 岩手放送(IBC)[注 19]
山形県 テレビユー山形(TUY) 1989年10月1日開局から[注 20]
宮城県 東北放送(TBC)
福島県 福島テレビ(FTV) 1971年10月1日[注 21] から1983年3月31日まで[注 22][注 23]
1983年9月30日までは、TBSとフジテレビとのクロスネット局[注 24]
現在は、フジテレビ系列FNN)。
テレビユー福島(TUF) 1983年12月4日開局から[注 25]
新潟県 新潟放送(BSN)
長野県 信越放送(SBC)
石川県 北陸放送(MRO)
山梨県 テレビ山梨(UTY) 1970年4月1日開局から
静岡県 静岡放送(SBS) [注 26]
中京広域圏 中部日本放送(CBC)
近畿広域圏 朝日放送(ABC) 1975年3月30日まで[注 27] 現在は、テレビ朝日系列(ANN)。
毎日放送(MBS) 1975年3月31日から[注 28]
島根県鳥取県 山陰放送(BSS)
岡山県香川県 山陽放送(RSK)
広島県 中国放送(RCC)[注 29]
高知県 テレビ高知(KUTV) 1970年4月1日の開局から
山口県 テレビ山口(TYS) 1970年4月1日の開局から
FNSとのクロスネット時代は、本番組が19:20まで時期の火曜日に、フジテレビが『火曜ワイドスペシャル』を19:00開始とした際に、同番組を優先するため飛び降りることがあった。
福岡県 RKB毎日放送(RKB) [注 30]
長崎県 長崎放送(NBC)
熊本県 熊本放送(RKK) [注 31]
大分県 大分放送(OBS)
宮崎県 宮崎放送(MRT)
鹿児島県 南日本放送(MBC) [注 32]
沖縄県 琉球放送(RBC) 1964年9月1日マイクロ回線の開通に伴いネット開始。

備考

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  • 1990年3月30日の平日版最終回のエンディングでは、1962年10月1日の第1回放送のオープニングの一部、歴代キャスターの取材映像などが放送された。最後に『ニュースの森』初代メインキャスターの荒川強啓久和ひとみ、初代スポーツキャスターの佐古忠彦が登場し意気込みを述べ、平本が「頑張ってください」とエールを送った。
  • 田がキャスターとして起用が決まったのは、放送開始の2週間前。この時戸川はすんなり決定していたがあと1名の出演者選びが難航し、日本テレビで科学番組にも出演経験がある田へオファーをかけた。
  • 1984年10月に放送時間が50分間に拡大し、民放では初となるニュース番組の19時台進出を行った。
    • 1987年9月をもって19時台からは撤退しているが、2009年4月には『総力報道!THE NEWS』を開始させ、21年半ぶりに19時台のニュース番組を編成した(2010年3月終了)。
    • 民放での19時台のニュース番組は他にもANN系列の『ニュースシャトル』(1987年10月~1989年3月)があったほか、NNN系列で放送されていた『NNNニュースプラス1』も企画段階で19時30分までの放送を計画していた。
  • 1985年8月12日日本航空123便墜落事故の翌13日、生存者救出映像をFNN系(『FNNニュースレポート11:30』)に続きこの番組中に放送した。FNNが昼のニュースで放映することができたのに対しJNNで放映するのに6時間以上遅れたのは、撮影クルーが墜落現場に中継用の機材を(単純に重いから)持ってあがらない判断をしたためと後の『報道30時間テレビ』で説明している。
  • 1989年1月7日昭和天皇崩御の関連報道のため、18:30から20:00まで放送された。この日は土曜日であったが、平日版キャスターの平本・三雲が番組を担当すると共に、昭和天皇崩御関連以外のニュース2本と気象情報(こちらも平日版担当の森田(当時は日本気象協会所属)が出演)も伝えられた[13]
  • さらに1980年代中期(田畑・吉川時代)には開始1時間半前の17時(ドラマ再放送枠の開始前)に『テレポートTBS6』のキャスターと交替で報道局内のカメラからその日の両番組の予告を毎日生放送していた(関東地方のみ)。

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 日曜日は、1965年4月4日から放送開始。
  2. ^ NEWSCOPE。NEW SCOPEやNEWS CORPやNEWS COOPではない。
  3. ^ 2015年3月までは夕方に限らずとも放送年数の最長記録を誇っていたが、同年4月にフジテレビの昼のニュース番組『FNNスピーク』に記録を更新された。現在TBSで放送されているニュース番組では、『JNNフラッシュニュース』と『NEWS23』が最長である。
  4. ^ 1969年12月1日の開局から1975年3月30日まで。ただし、この当時同局は一般番組供給部門において実質的なTBSテレビ・NETテレビ(現・テレビ朝日)両系列のクロスネット編成を組んでいた。
  5. ^ TBSテレビでは「お天気ママさん」を枠の統合で吸収したが、気象キャスターは「お天気ママさん」の女性キャスターを引き継がず、日本気象協会の職員が担当た。当時の天気コーナーは全国枠の後にローカルの天気を放送。吸収以前の天気予報を『ヤン坊マー坊天気予報』として放送していた局は全国枠を含め、天気コーナーを同番組の名前で独自に放送。全国枠開始前のCM枠でオープニングを放送する事で『ヤン坊マー坊ー』としての体裁を保った。
  6. ^ 金曜日は毎日放送制作の『野生の王国』が残り、こちらも40分に拡大。
  7. ^ 正式には土曜を含むと同年3月31日、日曜を含むと同年4月1日を以って終了された。
  8. ^ 番組開始当初1か月間は共同通信社からの出向出演で、11月より正式にTBS報道記者として移籍。
  9. ^ TBS記者としては1962年11月-
  10. ^ 三雲は『JNNニュースの森』には出演していないが、『イブニング・ファイブ』・『JNNイブニング・ニュース』では放送開始から一貫してメインキャスターを務めた。
  11. ^ 森田は『イブニング・ファイブ』終了後、半年のブランクを経て『イブニングワイド』→『Nスタ』に出演している。
  12. ^ 国立国会図書館でも視聴可能。
  13. ^ a b 月 - 金曜。18:50からはローカルニュースを放送。
  14. ^ 18:00からローカルニュースを編成した為。
  15. ^ 特集とスポーツコーナーを追加した為。プロ野球中継、その他のスポーツ中継、番組改編期や年末年始などによる特別番組を放送する際は19:00終了に放送枠を縮小。
  16. ^ 22時台の『JNNニュース22プライムタイム』開始と19:20以降の番組の視聴率が低迷した為、それまでの19:20開始の番組を19:00開始に繰り上げる為の処置。1988年10月3日の放送は『わいわいスポーツ塾』がソウル五輪スペシャルとして、18:30開始の88分の拡大版で放送した為、30分繰り上げとなった(『陸奥新報』1988年10月3日付けATVテレビ欄から)。
  17. ^ 実際はサービス放送開始日の1969年11月1日からネット開始。
  18. ^ ただし当初からスポンサードネットで、青森県内の取材も担当。
  19. ^ 現在の社名は、IBC岩手放送。1995年6月22日の社名変更時は、アイビーシー岩手放送。
  20. ^ TBSでの前座番組『テレポート6』もネットしていたため、17:55から約3分間の「TUYニュース」が県内ローカルニュース枠であった。
  21. ^ JNNは、1971年6月1日加盟。加盟後も1971年9月30日までは、NNN系列「NNNニュースフラッシュ」(平日・土曜)、「NNN日曜夕刊」(日曜)をそれぞれ放送。
  22. ^ TBS系列の新局(後のテレビユー福島)開局に伴う。
  23. ^ 1973年10月1日から1977年4月1日までは、『FTVテレポート』(ローカル情報番組→ローカルワイドニュース番組)に内包。
  24. ^ ニュースコープ放送期間中のニュース系列は、JNNの排他協定に伴いJNNのみの加盟だったが、総合的な系列ネットワークはTBSとFNSに所属していた。
  25. ^ 正式には、1983年11月26日土曜日のサービス放送(試験放送)からネット開始。
  26. ^ 1971年10月からは編成上、18時から60分間のローカルワイドニュース『SBSテレビ夕刊』に内包した格好となっていた。実際ニュースコープが終わる18:53からふたたび静岡放送のスタジオに戻り、天気予報とニュースを伝えて番組を終えていた(ニュースコープが50分間だった時代も編成上は一体化した番組の扱いであったが、ローカルニュースの枠自体は18:29で終えていた)。
  27. ^ ABC・MBSの系列の腸捻転解消に伴うネットチェンジのため、この日限りでJNNを脱退。MBSへ系列移行。
  28. ^ ABC・MBSにおける系列の腸捻転解消に伴うネットチェンジのため、ABCから移行。
  29. ^ 1967年3月31日のまでの社名は、「ラジオ中国」。
  30. ^ 佐賀県でも視聴可能な地域が多かった。
  31. ^ 1976年4月以降、月-金曜版は『RKKワイド6』の後に放送。
  32. ^ 日曜日の放送については、1973年に放送時間が変更されるに当たり、日本テレビ放送網の「全日本プロレス中継」の遅れネットの関係で特例処置として19:30-19:50に撮って出しによる時差放送を行ったことがある。

出典

[編集]
  1. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、339頁。 
  2. ^ a b c 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、362,398頁。 
  3. ^ a b c 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、347頁。 
  4. ^ a b c 嶌 1995, p. 176.
  5. ^ “大森直道”. コトバンク. https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%20%E7%9B%B4%E9%81%93-1640857 2023年5月21日閲覧。 
  6. ^ a b 嶌 1995, p. 177.
  7. ^ 青森テレビ十年の歩み 1978.
  8. ^ ATV20年のあゆみ 1989.
  9. ^ 「TBSが秋に大幅改編」『企業と広告』第10巻第7号、チャネル、1984年7月1日、9頁、NDLJP:2853016/6 
  10. ^ a b 嶌 1995, p. 178.
  11. ^ 嶌 1995, p. 188.
  12. ^ 嶌 1995, p. 169.
  13. ^ 「TBS 解説加え、多角的・客観的に」『月刊民放』1989年4月号(214)、コーケン出版、34 - 35頁、NDLJP:3471040/18 

参考文献

[編集]
  • 青森テレビ編『青森テレビ十年の歩み』青森テレビ、1978年12月。 
  • 青森テレビ20周年記念出版編集委員会『ATV20年のあゆみ』青森テレビ、1989年11月。 
  • 嶌信彦『メディア 影の権力者たち』講談社、1995年4月。ISBN 978-4062076289