エミリオ・コロンボ
エミリオ・コロンボ Emilio Colombo | |
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生年月日 | 1920年4月11日 |
出生地 | イタリア王国 ポテンツァ |
没年月日 | 2013年6月24日(93歳没) |
死没地 | ローマ |
所属政党 | キリスト教民主主義 |
称号 | 終身元老院議員 |
公式サイト | Presidente Emilio Colombo |
在任期間 | 1970年8月6日 - 1972年2月17日 |
大統領 | ジュゼッペ・サーラガト ジョヴァンニ・レオーネ |
在任期間 | 1992年8月1日 - 1993年4月28日 |
在任期間 | 1980年4月4日 - 1983年8月4日 |
在任期間 | 1977年3月8日 - 1979年6月30日 |
エミリオ・コロンボ(Emilio Colombo、1920年4月11日 - 2013年6月24日)は、イタリアの政治家、外交官、同国首相。また、ヨーロッパ規模での政治活動も行ってきた。
生涯
[編集]コロンボはバジリカータ州ポテンツァで生まれ、キリスト教民主主義に入党することで政界に進む。多くの政権で役職を務めたのち、1970年から1972年にかけて首相(閣僚評議会議長)を務める。
その後、1977年から1979年にかけて欧州議会の議長を務め[1]、1979年には、ヨーロッパ統合に貢献した人物に与えられるカール大帝賞を受賞した。イタリア政界でも1980年から1983年にかけてと1992年から1993年にかけて外相を務めた。外相を退任して10年が経過したのち、大統領カルロ・アツェリオ・チャンピからイタリアの政治家として最高の名誉である終身元老院議員の指名を受けた。
終身元老院議員となって間もない2003年11月、コロンボは再び注目を集めることになる。コロンボは1年半ほどのあいだ治療目的としてコカインを使用していたこと、そして自身が同性愛者であるということを認め、これらのことは世間を大いに驚かせた[2][3]。
2013年6月24日死去[4]。93歳没。
出典
[編集]- ^ 国際短信 欧州議会の議長に元伊首相『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月24日朝刊、13版、23面
- ^ Scalfari, Eugenio (2007年2月27日). “Casini dica Dico” (Italian). L'Espresso. 2009年3月1日閲覧。
- ^ Hooper, John (2003年11月27日). “Former PM tells of regular cocaine use” (English). The Age. 2009年3月1日閲覧。
- ^ イタリア元首相、エミリオ・コロンボ氏死去朝日新聞2013年6月25日閲覧
外部リンク
[編集]- Scheda di attivita di Emilio COLOMBO - イタリア元老院による
関連項目
[編集]先代 マリアーノ・ルモール | イタリア閣僚評議会議長 1970年8月6日 - 1972年2月17日 | 次代 ジュリオ・アンドレオッティ |
先代 オロンツォ・レアーレ | イタリアの司法相 1971年3月6日 - 1972年2月17日 | 次代 グイード・ゴネッラ |
先代 ジョルジュ・スペナール | 欧州議会議長 1977年3月8日 - 1979年6月30日 | 次代 シモーヌ・ヴェイユ |
先代 アッティーリオ・ルッフィーニ | イタリアの外相 1980年8月4日 - 1983年8月4日 | 次代 ジュリオ・アンドレオッティ |
先代 ジュリアーノ・アマート | イタリアの外相 1992年8月1日 - 1993年4月28日 | 次代 ベニアミーノ・アンドレアッタ |