サッカークロアチア代表
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国または地域 | クロアチア | |||
協会 | クロアチアサッカー連盟 | |||
FIFAコード | CRO | |||
愛称 | Vatreni (炎の男) | |||
監督 | ズラトコ・ダリッチ | |||
キャプテン | ルカ・モドリッチ | |||
最多出場選手 | ルカ・モドリッチ(178試合) | |||
最多得点選手 | ダヴォール・シューケル(45得点) | |||
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初の国際試合 | 1990年10月17日対アメリカ合衆国 2-1 | |||
最大差勝利試合 | 2016年6月4日対サンマリノ 10-0 | |||
最大差敗戦試合 | 2018年9月11日対スペイン 0-6 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 6回(初出場は1998) | |||
最高成績 | 準優勝 (2018) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 7回 | |||
最高成績 | ベスト8 (1996, 2008) | |||
サッカークロアチア代表(サッカークロアチアだいひょう、クロアチア語: Hrvatska nogometna reprezentacija)は、クロアチアサッカー連盟(HNS)によって編成されるクロアチアのサッカーのナショナルチームである。
愛称のヴァトレニは、クロアチア語で炎の男の意味。ユニフォームはクロアチアの国旗・国章に使用されている紅白の市松模様を基調とする。
歴史
[編集]前史
[編集]クロアチアはナチス・ドイツの支援の下、1939年から1945年にかけてクロアチア独立国としてユーゴスラビア王国を解体し独立した政権を樹立していた。1940年4月2日にザグレブでスイスと対戦し、4-0で勝利したという記録が残っている。
クロアチアはこの後、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、独立スロバキアなどヨーロッパの枢軸国若しくはその傀儡国家と親善試合を行っており、1944年までその数は19を数える。また、ユーゴスラビア成立後の1956年にクロアチア選抜が結成された記録が残っている。
代表チームの結成
[編集]クロアチアは、1991年にユーゴスラビア連邦から離脱する以前はユーゴスラビア連邦の一共和国であり、ナショナルチームはユーゴスラビア代表に属していた。ただし、ユーゴスラビア代表は1980年代中頃からチームとして崩壊に向かっており、クロアチア出身の選手に対してユーゴスラビア代表に加わらないよう政治的圧力がかけられる事がしばしばあった。
こうした状況の中で1990年のワールドカップ直後にクロアチア代表が編成され、首都ザグレブにアメリカ合衆国代表を招いてクロアチア代表初となる国際試合が開かれた。この時点でクロアチアは独立していなかったが、連邦からの離脱はほぼ既定路線であった。翌年6月にクロアチアはスロベニアと共にユーゴスラビアから独立するが、ワールドカップ終了後に始まったユーロ92予選にはクロアチア、スロベニア出身の選手は参加していなかった。独立して初のビッグトーナメント参加となったUEFA EURO '96では予選でイタリアに1勝1分で凌ぐなど健闘し一位突破を果たすと、本大会でも8強入りを果たす。
特筆すべきは、1998年のフランス大会での活躍である。欧州予選ではグループ最終戦の開始時点で自力でのプレーオフ進出すら不可能な状況に追い込まれたが、アウェイでスロベニアに勝利する。同時進行のアテネでのギリシャ対デンマークはギリシャが勝利すれば予選を一位突破し、デンマークがプレーオフに回るという試合だったが0-0の引分でデンマークが一位突破を決め、ギリシャが三位で敗退しプレーオフ進出が転がり込んだ。そこでもウクライナを2試合合計3-1で破り、ワールドカップ初出場を決めた。
本大会ではグループリーグでアルゼンチン以外の日本、ジャマイカと共に3チームがワールドカップ初出場と言う特異なグループに入るが、アルゼンチンには敗れたものの、ジャマイカ、日本を破り2位でグループリーグを通過、決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメントでは一回戦でルーマニアを破り、UEFA EURO '96と同じくドイツとの対戦となった準々決勝でも3-0で勝利した。準決勝でこの大会の優勝国となるフランスと対戦。1-2で逆転負けしたものの、3位決定戦ではオランダを2-1で破って3位入りを果たした[注釈 1]。この大会で6点を挙げたダヴォール・シューケルが得点王に輝いた。
日韓W杯以降はチームの高齢化などによってしばらく停滞していた時期もあったが、ルカ・モドリッチ、マリオ・マンジュキッチ、イヴァン・ラキティッチ、ニコ・クラニチャール、エドゥアルド・ダ・シルバら次世代の若手選手が台頭した。EURO2008予選ではホームとアウェーでイングランドに2連勝し、本戦ではドイツに勝ち決勝トーナメントに進出。準々決勝のトルコ戦は延長終了間際に先制したが直後に追いつかれ、大会無敗のままPK戦で涙をのんだ。その後のFIFAランキングは急上昇し、最高で5位まで上がっている。
2010年FIFAワールドカップ予選は主力選手の怪我やイングランド、ウクライナ等の強豪国と同グループになったことから予選3位で終わり、初の予選敗退を喫した。3大会連続出場となったUEFA EURO 2012ではグループリーグで敗退した。
2014FIFAワールドカップ予選ではグループ2位でプレーオフに進出し、アイスランドを1勝1分けで破り2大会ぶりの本大会出場を決めた。2014 FIFAワールドカップ本大会ではカメルーンには勝利したものの、ブラジルとメキシコに敗れグループリーグ敗退となった。4大会連続出場となったUEFA EURO 2016ではグループリーグでスペインに勝利しグループリーグ首位通過でベスト16へと進出したが、ポルトガルと対戦して敗れた。
2018年ロシアW杯
[編集]2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では予選敗退の危機に就任したズラトコ・ダリッチ監督がチームを再生させ、プレーオフでギリシャを破り本大会出場を決めた。本大会ではアルゼンチンに3-0で快勝するなど、3戦全勝でグループDを首位で通過した。決勝トーナメントは1回戦のデンマーク、準々決勝のロシア、準決勝のイングランド戦のいずれも先制されながら同点に追いつき、3戦連続延長戦(うち2戦がPK戦決着)を勝ち抜いて旧ユーゴスラビアから通しても初めての決勝進出を果たした。
決勝戦は20年前の準決勝で敗れたフランスと対戦し、再び2-4で敗れたもののワールドカップ準優勝という成績を残した。なお、この試合でフランスの先制点となったマリオ・マンジュキッチのオウンゴールは、ワールドカップ・決勝戦史上初のオウンゴール、かつワールドカップ 史上初の双方シュート0本で得点が決まった事例であった[1]。大会終了後、キャプテンとしてチームを牽引してきたモドリッチがゴールデンボール(最優秀選手)を獲得している。
2022年カタールW杯
[編集]2022 FIFAワールドカップではグループFに入り、モロッコ、カナダ、前回大会3位のベルギーと同じ組に入った。初戦のモロッコ戦では前半こそビルドアップを活性化させ、チャンスも作りながらボールを支配して試合を進めるが、後半は相手の積極的なプレスに苦しみ、チャンスをほとんど作れないままスコアレスで初戦は勝点1を得るにとどまる。第2戦のカナダ戦は試合開始わずか2分でアルフォンソ・デイヴィスに先制ゴールを奪われたが、前半のうちに逆転し最終的に4-1で勝利した。第3戦は前回大会3位のベルギーと対戦。開始から試合の主導権を握り、サイド攻撃を中心にチャンスを創出。ボール非保持の際は前からの守備と自陣で中央を固めるディフェンスを使い分けてゲームを進め、スコアレスで前半を終える。だが後半に入るとベルギーのエース・ロメル・ルカクが後半の頭に投入されたことで攻め込まれ続ける展開に。それでも相手の猛攻を最後まで耐え凌ぎ1勝2分の2位でグループリーグを2位で通過した。
決勝トーナメント1回戦では初の8強入りを狙う日本と対戦。開始からボールを保持し続け決定的なシーンを何度も作り続けるが、権田修一を中心としたディフェンス陣に苦しみ得点を奪えない。前半終了間際にはCKの流れから前田大然のゴールで先制点を奪われ1点ビハインドで前半を終える。後半は徐々に相手を押し込む時間を増やし、55分にイヴァン・ペリシッチが同点ゴールを奪う。同点にした後も攻撃陣の勢いは止まらず、逆転弾を目指したものの、90分では逆転弾を奪えずに試合は延長戦へ。その延長戦でも決着はつかずにPK戦にもつれ込む。そのPK戦ではドミニク・リヴァコヴィッチが3本のシュートを止め、最後は4人目のマリオ・パシャリッチが決めたところで決着がつき、2大会連続の準々決勝進出を決めた。
準々決勝のブラジル戦も90分戦ってスコアレスで延長戦に突入する。延長前半終了間際にネイマールのゴールで先制点を奪われるも、延長後半終了間際にブルーノ・ペトコヴィッチのゴールで同点に追いつき、試合は2試合連続のPK戦へ。そのPK戦では4人全員がPKを成功させると、ブラジルの1人目ロドリゴのPKをドミニク・リヴァコヴィッチが止め、最後は4人目のマルキーニョスのPKがゴール左ポストにはじかれたところで決着がつき、ベスト4入りを果たす[2]。だが、2大会連続の決勝進出がかかった準決勝・アルゼンチン戦ではリオネル・メッシに先制ゴールを奪われるとフリアン・アルバレスにも2ゴールを決められて0-3で敗れ、2大会連続の決勝進出はならなかった。グループリーグ初戦の再戦となった3位決定戦のモロッコ戦では前半にヨシュコ・グヴァルディオルとミスラフ・オルシッチのゴールで2点を奪って2-1で勝利し3位の成績を収めた[3]。
UEFA EURO 2024
[編集]UEFA EURO 2024ではグループBに入り、初戦でスペイン、第2戦でアルバニア、最終戦でイタリアと同居する「死の組」に組み分けされた。初戦でスペインに0-3で敗れると、第2戦のアルバニア戦でも前半11分に先制点を献上し、後半に2点を奪って一時は逆転するも、終了間際にクラウス・ギャスラのゴールで追いつかれて目前で勝点3をとりこぼすこととなった。勝利しなければグループステージ敗退が濃厚となる第3戦のイタリア戦では、55分にルカ・モドリッチのゴールで先制したが、終了間際にマッティア・ザッカーニのゴールで追いつかれ、2試合続けて終了目前で同点にされて3位に転落した。この時点では突破の可能性が僅かに残っていたが、翌日スロベニアがイングランドと引き分けたことで各組3位チームの成績5位以下が確定。正式にグループリーグ敗退が決定した[4]。
ユニフォームの変遷
[編集]成績
[編集]FIFAワールドカップ
[編集]FIFAワールドカップ | FIFAワールドカップ・予選 | |||||||||||||
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開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | |
1994 | FIFA未加盟 | FIFA未加盟 | ||||||||||||
1998 | 3位 | 7 | 5 | 0 | 2 | 11 | 5 | 10 | 5 | 4 | 1 | 20 | 13 | |
2002 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | 8 | 5 | 3 | 0 | 15 | 2 | |
2006 | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 3 | 10 | 7 | 3 | 0 | 21 | 5 | ||
2010 | 予選敗退 | 10 | 6 | 2 | 2 | 19 | 13 | |||||||
2014 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 6 | 6 | 12 | 6 | 3 | 3 | 14 | 9 | |
2018 | 準優勝 | 7 | 4 | 2 | 1 | 14 | 9 | 12 | 7 | 3 | 2 | 19 | 5 | |
2022 | 3位 | 7 | 2 | 4 | 1 | 8 | 7 | 10 | 7 | 2 | 1 | 21 | 4 | |
通算 | 最高成績 : 準優勝 22大会中/6回出場 | 30 | 13 | 8 | 9 | 43 | 33 | 72 | 43 | 20 | 9 | 129 | 51 |
UEFA欧州選手権
[編集]UEFA欧州選手権 | UEFA欧州選手権 予選 | |||||||||||||
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開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | |
1996 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 5 | 5 | 10 | 7 | 2 | 1 | 22 | 5 | |
2000 | 予選敗退 | 8 | 4 | 3 | 1 | 13 | 9 | |||||||
2004 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 6 | 10 | 6 | 2 | 2 | 14 | 5 | |
2008 | ベスト8 | 4 | 3 | 1 | 0 | 5 | 2 | 12 | 9 | 2 | 1 | 28 | 8 | |
2012 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 3 | 12 | 8 | 2 | 2 | 21 | 7 | |
2016 | ベスト16 | 4 | 2 | 1 | 1 | 5 | 4 | 10 | 6 | 3 | 1 | 20 | 5 | |
2021 | 4 | 1 | 1 | 2 | 7 | 8 | 8 | 5 | 2 | 1 | 17 | 7 | ||
2024 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 6 | 8 | 5 | 1 | 2 | 13 | 4 | |
通算 | 最高成績 : ベスト8 (2回) 17大会中/7回出場 | 25 | 9 | 8 | 8 | 33 | 34 | 78 | 50 | 17 | 11 | 148 | 50 |
歴代監督
[編集]- ドラジャン・イェルコヴィッチ 1990-1991
- スタンコ・ポクレポヴィッチ 1992
- ヴラトコ・マルコヴィッチ 1993
- ミロスラヴ・ブラジェヴィッチ 1994-2000
- ミルコ・ヨジッチ 2000-2002
- オットー・バリッチ 2002-2004
- ズラトコ・クラニチャール 2004-2006
- スラベン・ビリッチ 2006-2012
- イゴール・シュティマツ 2012-2013
- ニコ・コヴァチ 2013-2015
- アンテ・チャチッチ 2015-2017
- ズラトコ・ダリッチ 2017-
現招集メンバー
[編集]2022年11月9日、2022 FIFAワールドカップに臨むクロアチア代表のメンバー26人が発表された[5][6]。
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歴代選手
[編集]主要大会のメンバー
[編集]主な代表選手
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歴代記録
[編集]出場数ランキング
[編集]順位 | 名前 | 出場 | 得点 | 期間 |
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1 | ルカ・モドリッチ | 178 | 25 | 2006- |
2 | ダリヨ・スルナ | 134 | 22 | 2002-2016 |
2 | イヴァン・ペリシッチ | 134 | 33 | 2011- |
4 | スティペ・プレティコサ | 114 | 0 | 1999-2014 |
5 | イヴァン・ラキティッチ | 106 | 15 | 2007-2019 |
6 | ドマゴイ・ヴィダ | 105 | 4 | 2010- |
6 | ヨシプ・シムニッチ | 105 | 3 | 2001-2013 |
8 | マテオ・コヴァチッチ | 104 | 5 | 2013- |
8 | イヴィツァ・オリッチ | 104 | 20 | 2002-2015 |
10 | ヴェドラン・チョルルカ | 103 | 4 | 2006-2018 |
得点数ランキング
[編集]順位 | 名前 | 得点 | 出場 | 期間 |
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1 | ダヴォール・シューケル | 45 | 69 | 1992-2002 |
2 | マリオ・マンジュキッチ | 33 | 89 | 2007-2018 |
イヴァン・ペリシッチ | 134 | 2011- | ||
4 | エドゥアルド・ダ・シルヴァ | 29 | 64 | 2004-2014 |
4 | アンドレイ・クラマリッチ | 29 | 96 | 2014- |
6 | ルカ・モドリッチ | 26 | 178 | 2006- |
7 | ダリヨ・スルナ | 22 | 134 | 2002-2016 |
8 | イヴィツァ・オリッチ | 20 | 104 | 2002-2015 |
9 | ニコ・クラニチャール | 16 | 81 | 2004-2013 |
10 | ゴラン・ヴラオヴィッチ | 15 | 51 | 1992-2002 |
イヴァン・ラキティッチ | 106 | 2007-2019 | ||
ニコラ・カリニッチ | 42 | 2008–2018 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ フランスはこの大会で通算2失点(ワールドカップ記録)で、そのうちの1点がクロアチアから失点したものである。また、その1分後にフランスが同点ゴールを挙げるが、この大会でフランスが相手にリードを許したのはこの1分間だけである。
出典
[編集]- ^ “史上初の珍事が続出! W杯決勝で初めて起こった3つの出来事”. サッカーキング. フロムワン (2018年7月18日). 2018年7月19日閲覧。
- ^ “またもヒーローとなったクロアチアGKリヴァコヴィッチ「夢のよう。僕らは最後まで戦った」”. サンスポ. 2022年12月7日閲覧。
- ^ “クロアチア、快進撃のモロッコ撃破で3位決定戦制す! フル出場の37歳主将モドリッチを中心に有終の美”. Goal.com (2023年9月25日). 2024年6月26日閲覧。
- ^ “クロアチア代表のEURO2024敗退が決定…38歳モドリッチは最後の大舞台終了か”. Goal.com (2024年6月26日). 2024年6月26日閲覧。
- ^ “IZBORNIK DALIĆ OBJAVIO POPIS ZA SP U KATARU!” (クロアチア語). Hrvatski nogometni savez. 2022年11月12日閲覧。
- ^ “前回準優勝クロアチアがカタールW杯に臨む26名を発表! モドリッチやコヴァチッチら順当に招集”. Goal.com (2022年11月9日). 2022年11月12日閲覧。