マッティア・パシーニ
マッティア・パシーニ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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国籍 | イタリア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1985年8月13日(39歳) イタリア・リミニ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼッケン | 75 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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マッティア・パシーニ(Mattia Pasini、1985年8月13日 - )は、イタリア・リミニ出身のオートバイレーサー。
経歴
[編集]125ccクラスデビュー
[編集]9歳でレースを始める。イタリア国内選手権、ヨーロッパ選手権で良好な成績を収め、2004年にロードレース世界選手権125ccクラスに、ルーチョ・チェッキネロ率いるチーム・LCRからロベルト・ロカテリのチームメイトとして参戦を開始した。デビューシーズンはランキング15位に入り、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。第14戦マレーシアGPで予選3番手、決勝7位に入ったのがベストリザルトだった。
翌2005年シーズンはイタリアのサッカー選手フランチェスコ・トッティがスポンサーになった Totti Top Sport チームに移籍した。多くのレースで先頭集団に入る活躍を見せ、第3戦中国GPではGP初優勝を果たす。第6戦カタルニアGPで2勝目を挙げ、この年のシリーズランキングは4位となった。
2006年にはホルヘ・マルチネス率いるアスパー・チームから参戦し、前年と同じくシーズン2勝(第6戦イタリアGP、第10戦ドイツGP)を挙げ、シリーズ4位に入った。
2007年はポラリス・ワールド・チームからの参戦となった。アプリリアの新型マシン、RSA125を駆ることになったが、このマシンは速いものの信頼性に大きな問題を抱え、トップを独走しながらもマシントラブルでリタイヤ、というレース展開を何度も繰り返すことになった。第7戦カタルニアGP、エンジンストールが原因で転倒し、シーズン5回目となるリタイヤを喫した時、激怒したパシーニはマシンを何度も踏みつけた[1]。この行動がチームクルーを奮起させたかどうかは定かではないが、マシンは信頼性を得て第8戦イギリスGP、第9戦ダッチTTとパシーニは連勝。その後も好調を維持してシーズン4勝を挙げたが、序盤戦で失ったポイントは大きく、シリーズランキングは5位に終わった。
250ccクラス
[編集]2008年は250ccクラスにステップアップ(チームは昨年と同じくポラリス・ワールド)し、開幕戦カタールGPではいきなり優勝という快挙を果たした。序盤5戦で4回表彰台に立つ活躍を見せたが、その後は好調を維持できず、転倒リタイヤが多く完走しても5位以下でのフィニッシュしかできなかった。シリーズランキングは8位に終わったが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得することができた。
2009年はチーム・トスに移籍し、イムレ・トス(チームオーナーの息子)のチームメイトを務めることになった。ウェットレースとなった第5戦イタリアGPではチャンピオンのマルコ・シモンチェリとのバトルを制し、約1年ぶりとなる優勝を果たした。8月にはMotoGPクラスのミカ・カリオの代役候補[2]としてプラマック・レーシングのドゥカティ・デスモセディチのテスト走行をおこなったが、結局パシーニは250ccクラスのタイトル獲得の可能性を優先し、代役参戦は実現しなかった[3]。
第14戦ポルトガルGPを前に、チーム・トスはアプリリアにマシン代金を支払えない状況になり、走行を差し止められてしまった。だがパシーニはトーマス・ルティが所属するエミー・カフェラテチームのボス、ダニエル・エップの援助を得て、新しいチーム「グローバルゲスト」から残りシーズンに参戦できることになった[4]。しかしこのシーズンを通してパシーニは走りに安定性を欠き、5度表彰台に立った一方、8度ものリタイヤを喫してしまった。シリーズランキングは5位に終わった。
Moto2クラス
[編集]2010年、パシーニは1年ぶりにロードレース世界選手権に復帰したJiRチームから、250ccクラス後継のMoto2クラスに参戦を開始した[5]が、第6戦終了後にチームから契約を解除されてしまった[6]。その後はレギュラーシートを見つけることができず、第12戦サンマリノGPにはイタルトランスSTRチームから、第13戦アラゴンGPにはキーファー・レーシングからとスポット参戦をおこなった[7]が、芳しい成績を残すことはできなかった。
2011年シーズンは、元アプリリアのレース部門責任者であるジャンピエロ・サッキが立ち上げた新チーム「イオダレーシング」からMoto2クラスにレギュラー参戦復帰できることとなった[8]。
ロードレース世界選手権 戦績
[編集]- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン | クラス | バイク | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
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2004年 | 125cc | アプリリア | RSA 13 | SPA Ret | FRA 12 | ITA 8 | CAT 11 | NED 11 | BRA 10 | GER 20 | GBR Ret | CZE 14 | POR 17 | JPN Ret | QAT 9 | MAL 7 | AUS 18 | VAL 11 | 15位 | 54 | |
2005年 | 125cc | アプリリア | SPA 4 | POR 8 | CHN 1 | FRA | ITA 4 | CAT 1 | NED 3 | GBR Ret | GER Ret | CZE Ret | JPN 5 | MAL 3 | QAT 9 | AUS 4 | TUR 2 | VAL 3 | 4位 | 183 | |
2006年 | 125cc | アプリリア | SPA 3 | QAT 4 | TUR 17 | CHN 2 | FRA Ret | ITA 1 | CAT 4 | NED 7 | GBR 3 | GER 1 | CZE 6 | MAL 7 | AUS 3 | JPN 4 | POR Ret | VAL 9 | 4位 | 192 | |
2007年 | 125cc | アプリリア | QAT Ret | SPA Ret | TUR Ret | CHN 10 | FRA Ret | ITA 6 | CAT Ret | GBR 1 | NED 1 | GER Ret | CZE 2 | SMR 1 | POR 8 | JPN 1 | AUS 7 | MAL 8 | VAL 4 | 5位 | 174 |
2008年 | 250cc | アプリリア | QAT 1 | SPA 2 | POR Ret | CHN 3 | FRA 3 | ITA 5 | CAT 6 | GBR Ret | NED Ret | GER 6 | CZE 7 | SMR Ret | IND C | JPN 8 | AUS Ret | MAL Ret | VAL 9 | 8位 | 132 |
2009年 | 250cc | アプリリア | QAT Ret | JPN 3 | SPA 6 | FRA Ret | ITA 1 | CAT 4 | NED Ret | GER Ret | GBR 3 | CZE 2 | IND Ret | SMR 2 | POR 8 | AUS Ret | MAL Ret | VAL Ret | 5位 | 128 | |
2010年 | Moto2 | モトビ | QAT 6 | SPA Ret | FRA Ret | ITA Ret | GBR Ret | NED 14 | CAT | GER | CZE | IND | 28位 | 12 | |||||||
スッター | SMR Ret | ARA Ret | JPN | MAL | AUS | POR | VAL |
脚注
[編集]- ^ http://www.intellimark.co.jp/bikeArticles/2007/news20070615001.html
- ^ カリオは体調不良で3戦欠場となるケーシー・ストーナーの代役としてドゥカティ・マルボロチームから一時出場。
- ^ https://web.archive.org/web/20131225003001/http://www.motogp.com/ja/news/2009/Espargar+to+make+MotoGP+debut+at+Indy
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2009/Pasini+hopes+for+stability+at+final+rounds+0
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2010年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月4日閲覧。
- ^ https://web.archive.org/web/20140118024806/http://www.motogp.com/ja/news/2010/pasini+out+of+jir+team
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/pasini+reviews+aragon
- ^ https://web.archive.org/web/20120928022135/http://www.motogp.com/en/news/2010/Jerez+Private+Testing+Day+1+Report
外部リンク
[編集]- mattiapasini.it 公式ウェブサイト
- motogp.com マティア・パシーニ経歴