モンテネグロの首相

モンテネグロの旗 モンテネグロ
首相
Predśednik Vlade Crne Gore
Предс́едник Владе Црне Горе
現職者
ミロイコ・スパイッチ
Milojko Spajić

就任日 2023年10月31日
指名大統領
ヤコフ・ミラトビッチ
任命議会
任期なし
(議会の信任を得ている限り)
初代就任ボジョ・ペトロヴィッチ=ニェゴシュ英語版
創設1879年3月20日
俸給年間 US$15,522[1]
ウェブサイトwww.gov.me

モンテネグロの首相(モンテネグロのしゅしょう)は、モンテネグロにおける政府の長に相当する役職である。

概要

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2007年施行のモンテネグロ憲法では第3章において首相について規定されている。第100条によれば、首相率いる内閣は以下のことを行う。

  1. モンテネグロの内政および外交政策を管理する。
  2. 議会で可決された法律を執行する。
  3. 条約の締結、署名を行う。
  4. 閣僚の指名権
  5. モンテネグロの開発計画を提案する。
  6. 予算案及び最終報告書を提案する。
  7. 防衛安全保障理事会を主宰し、国家安全保障を含む防衛政策を決定する。
  8. 国家の承認と他国との外交・領事関係の確立を決定する。
  9. 国外に対する外交使節団の大使および長の任免を大統領に提案する。
  10. 憲法や法律に定められるその他の任務を行う。

首相の選出手続きは大統領の推薦を受けた上で、議会が承認することが条件である。だが、実際には総選挙後の与党の指導者が、首相に就任するのが慣例となっている。閣僚の指名権については、議会の承認が必要。

議会は政府に対し、不信任決議を提出することができる。首相率いる内閣が議会での信頼を失った場合、年度末の3月31日までに予算を集計できないと共に内閣は解散となる。内閣解散で辞任となる首相は新内閣が発足するまで職責を負うが、議会解散権を行使することはできない。

(出典)Montenegro 2007 (rev. 2013)

首相の一覧

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君主制下のモンテネグロ

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氏名 肖像 就任日 退任日 政党 備考 君主
モンテネグロ公国
国家評議会議長(дугогодишњи предсједник Државног савјета)
1 ボジョ・ペトロヴィッチ=ニェゴシュ英語版
Božo Petrović-Njegoš
1879年3月20日 1905年12月19日 無所属 事実上の初代首相
ニコラ1世
(国王)
閣僚評議会議長(Предсједници Министарског савјета)
2 ラザル・ミジュシュコビッチ英語版
Lazar Mijušković
1905年12月19日 1906年11月24日 真の人民党英語版(PNS)
3 マルコ・ラドゥロビッチ英語版
Marko Radulović
1906年11月24日 1907年2月1日 人民党英語版(NS)
4 アンドリヤ・ラドビッチ英語版
Andrija Radović
1906年11月24日 1907年2月1日
5 ラザル・トマノビッチ英語版
Lazar Tomanović
1907年4月17日 1910年8月28日 無所属
モンテネグロ王国
閣僚評議会議長(Предсједници Министарског савјета)
(5) ラザル・トマノビッチ
Lazar Tomanović
1910年8月28日 1912年6月19日 無所属
6 ミタール・マルティノビッチ英語版
Mitar Martinović
1912年6月19日 1913年5月8日 真の人民党英語版(PNS) 軍人首相
7 ヤンコ・ヴコティッチ
Janko Vukotić
1913年5月8日 1915年7月16日 無所属
8 ミロ・マタノビッチ英語版
Milo Matanović
1915年7月16日 1916年1月2日
(2) ラザル・ミジュシュコビッチ
Lazar Mijušković
1916年1月2日 1916年1月25日 真の人民党英語版(PNS)
モンテネグロ王国亡命政府 閣僚評議会議長
(2) ラザル・ミジュシュコビッチ
Lazar Mijušković
1916年1月25日 1916年5月12日 真の人民党英語版(PNS)
(4) アンドリヤ・ラドヴィッチ英語版
Andrija Radović
1916年5月12日 1917年1月17日 人民党
(8) ミロ・マタノビッチ英語版
Milo Matanović
1917年1月17日 1917年6月11日 無所属 軍人首相
9 エフゲニー・ポポビッチ英語版
Evgenije Popović
1917年6月11日 1919年2月17日 無所属
10 アント・グヴォズデノビッチ英語版
Anto Gvozdenović
1919年2月17日 1921年3月1日 軍人首相
11 ヨヴァン・プラムナック英語版
Jovan Plamenac
1921年3月1日 1922年1月13日 真の人民党英語版(PNS) ミハイロ・ペトロヴィチ
(ペトロヴィチ=ニェゴシュ家当主)
12 ミルティン・ブチニッチ英語版
Milutin Vučinić
1922年1月13日 1922年2月13日 真の人民党英語版(PNS)
(10) アント・グヴォズデノビッチ英語版
Anto Gvozdenović
1922年2月13日 1922年7月13日 無所属 軍人首相
1922年にモンテネグロ王国がユーゴスラビア王国へ完全に併合し、消滅。

共産主義政権下のモンテネグロ

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氏名 肖像 就任日 退任日 政党 備考
モンテネグロ社会主義共和国
ユーゴスラビアモンテネグロ担当大臣
- ミロヴァン・ジラス
Milovan Djilas
1945年3月7日 1945年4月17日 ユーゴスラビア共産主義者同盟(SKJ) 東側諸国中およびユーゴスラビアにおける最も有力な反体制者。
首相
1 ブラジョ・ヨヴァノビッチ英語版
Blažo Jovanović
1945年4月17日 1953年2月4日 モンテネグロ共産主義者同盟(SKCG)
執行評議会議長(председник Извршног већа

Скупштине НР Црне Горе)

(1) ブラジョ・ヨヴァノビッチ
Blažo Jovanović
1953年2月4日 1953年12月16日 モンテネグロ共産主義者同盟(SKCG)
2 フィリップ・バイコビッチ英語版
Filip Bajković
1953年12月16日 1962年7月12日
3 ジョリジェ・パイコヴィッチ英語版
Đorđije Pajković
1962年7月12日 1963年6月25日
4 ヴェセリン・ジュラノビッチ英語版
Veselin Đuranović
1963年6月25日 1966年12月8日
5 ミジュシュコ・シバリッチ英語版
Mijuško Šibalić
1966年12月8日 1967年5月5日
6 ヴィドジェ・ジャルコビッチ英語版
Vidoje Žarković
1967年5月5日 1969年10月9日
7 ジャルコ・ブラジッチ英語版
Žarko Bulajić
1969年10月9日 1974年5月6日
8 マルコ・オルランディッチ英語版
Marko Orlandić
1974年5月6日 1978年4月28日
9 モムチロ・チェモビッチ英語版
Momčilo Cemović
1978年4月28日 1982年4月28日
10 ラディボイェ・ブラヨビッチ英語版
Radivoje Brajović
1982年4月28日 1986年6月6日
11 ヴコ・ヴカディノビッチ英語版
Vuko Vukadinović
1986年6月6日 1989年3月29日
12 ラドイェ・コンティッチ英語版
Radoje Kontić
1989年3月29日 1991年2月15日

現在のモンテネグロ

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イタリック体の日付は、職務として事実上継続していることを示している。

氏名 肖像 就任日 退任日 政党 備考 大統領
モンテネグロ共和国 (1992-2006)
1 ミロ・ジュカノヴィチ
Milo Đukanović
1991年2月15日 1998年2月5日 モンテネグロ社会主義者民主党(DPS)[注 1] 同国歴代大統領や首相も含め、7回も選出されている。
首相を一時的に退任後も、シュトラヴィッチ政権やルクシッチ政権で最高権力者として、影響力を及ぼしていた。
タバコ密輸疑惑やセルビア正教会大司教即位阻止事件を引き起こしている。
世論からは、政治手法が権威主義であると批判されていた[2]

モミル・ブラトヴィッチ英語版
2 フィリップ・ヴヤノヴィッチ
Filip Vujanović
1998年2月5日 2002年11月5日
ミロ・ジュカノヴィッチ
(1) ミロ・ジュカノヴィチ
Milo Đukanović
2002年11月15日 2006年6月3日 同国歴代大統領や首相も含め、7回も選出されている。
フィリップ・ヴヤノヴィッチ
モンテネグロの旗 モンテネグロ
(1) ミロ・ジュカノヴィチ
Milo Đukanović
2006年6月3日 2006年11月10日 モンテネグロ社会主義者民主党(DPS)
3 ジェリコ・シュトラノヴィッチ
Željko Šturanović
2006年11月10日 2008年2月29日 就任当時は肺癌を患っていた為、ジュカノヴィッチが行政を補佐していた[3]
(1) ミロ・ジュカノヴィチ
Milo Đukanović
2008年2月29日 2010年12月29日
4 イゴル・ルクシッチ
Igor Lukšić
2010年12月29日 2012年12月4日 就任中は、ジュカノヴィッチの影響下に置かれていた。
(1) ミロ・ジュカノヴィチ
Milo Đukanović
2012年12月4日 2016年11月28日
5 ドゥシュコ・マルコヴィッチ英語版
Duško Marković
2016年11月28日 2020年12月4日
ミロ・ジュカノヴィッチ
6 ズドラヴコ・クリヴォカピッチ
Zdravko Krivokapić
2020年12月4日 2022年4月28日 無所属 就任前から、権威主義的なジュカノヴィチの批判者として活動してきた。
連立政権内では親欧州連合派との路線対立が激化し政権は行き詰まり、2年で政権崩壊。
7 ドリタン・アバゾビッチ
Dritan Abazović
2022年4月28日 2023年10月31日 「平和は私たちの国」連合英語版
ヤコフ・ミラトビッチ
8 ミロイコ・スパイッチ
Milojko Spajić
2023年10月31日 (現職) ヨーロッパ・ナウ!英語版 学生時代は大阪大学埼玉大学に留学していた為、知日派とされる。
就任前は、セルビアとモンテネグロの二重国籍であることが疑惑となっていた。

首相の年表

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Dritan AbazovićZdravko KrivokapićDuško MarkovićIgor LukšićŽeljko ŠturanovićFilip VujanovićMilo ĐukanovićRadoje KontićVuko VukadinovićRadivoje BrajovićMomčilo CemovićMarko OrlandićŽarko BulajićVidoje ŽarkovićMijuško ŠibalićVeselin ĐuranovićĐorđije PajkovićFilip BajkovićBlažo JovanovićMilovan DjilasMilutin VučinićJovan PlamenacAnto GvozdenovićEvgenije PopovićMilo MatanovićJanko VukotićMitar MartinovićLazar TomanovićAndrija RadovićMarko Radulović (politician)Lazar MijuškovićBožo Petrović-Njegoš

脚注

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注釈

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  1. ^ モンテネグロ共産主義者同盟(SKCG)の後継組織。

出典

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  1. ^ Tota, Elton (December 26, 2017). “Kosovo's PM is the highest paid in the region”. Independent Balkan News Agency. オリジナルのAugust 19, 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180819150040/https://www.balkaneu.com/kosovos-pm-is-the-highest-paid-in-the-region/ May 4, 2022閲覧。 
  2. ^ Bieber, Florian (July 2018). “Patterns of competitive authoritarianism in the Western Balkans”. East European Politics 38 (3): 337–54. doi:10.1080/21599165.2018.1490272. 
  3. ^ [1]

外部リンク

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