勅撰和歌集

勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、天皇上皇の命により編纂された歌集

古今和歌集』(延喜5年(905年)成立)に始まり、『新続古今和歌集』(永享11年(1439年)成立)までの534年間で21の勅撰和歌集が編纂された。このことから「二十一代集」と総称される。さらに編纂時期により、「八代集」(『古今集』から『新古今集』)と「十三代集」(『新勅撰集』から『新続古今集』)に大別され、八代集のうち最初の三集は特に「三代集」(『古今集』・『後撰集』・『拾遺集』)と呼ばれる。また、このほかに南朝で編纂された『新葉和歌集』があるが、これは準勅撰集に位置づけられる。

なお、後水尾天皇は『類題和歌集[注釈 1]を、霊元天皇は『新類題和歌集』を勅撰させたが、これらは二十一代集や一般的な勅撰和歌集に含まれない。

一覧

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番号 書名 成立 下命者 撰者 巻数 歌数 備考
1 古今和歌集 905年[注釈 2] 醍醐天皇 紀友則
紀貫之
凡河内躬恒
壬生忠岑
仮名序
真名序
20巻 1100首 最初の勅撰和歌集
2 後撰和歌集 951年下命
957-959年成立
村上天皇 大中臣能宣
清原元輔
源順
紀時文
坂上望城
なし 20巻 1425首
3 拾遺和歌集 1005-07年 花山院 花山院
藤原公任
なし 20巻 1351首 藤原公任拾遺抄』を増補したもの
4 後拾遺和歌集 1086年 白河天皇 藤原通俊 仮名序 20巻 1218首
5 金葉和歌集 1126年(三奏本) 白河院 源俊頼 なし 10巻 650首(三奏本) 世上に流布したのは10巻665首の二度本
6 詞花和歌集 1151年頃 崇徳院 藤原顕輔 なし 10巻 415首 勅撰和歌集中最少の歌数
7 千載和歌集 1188年 後白河院 藤原俊成 仮名序 20巻 1288首
8 新古今和歌集 1205年 後鳥羽院 源通具
藤原有家
藤原定家
藤原家隆
飛鳥井雅経
寂蓮[注釈 3]
仮名序
真名序
20巻 1978首 実際には後鳥羽院の親撰。
成立直後から後鳥羽院の手により複数回改変される[注釈 4]
9 新勅撰和歌集 1235年 後堀河天皇 藤原定家 仮名序 20巻 1374首 政治的な配慮で、後鳥羽院や順徳院の歌が撰定途中に除かれた
10 続後撰和歌集 1251年 後嵯峨院 藤原為家 なし 20巻 1371首
11 続古今和歌集 1265年 後嵯峨院 藤原為家
藤原基家
藤原行家
藤原光俊
藤原家良
真名序
仮名序
20巻 1915首 家良は奏覧以前に没
12 続拾遺和歌集 1278年 亀山院 二条為氏 なし 20巻 1459首
13 新後撰和歌集 1303年 後宇多院 二条為世 なし 20巻 1607首
14 玉葉和歌集 1312年 伏見院 京極為兼 なし 20巻 2800首 勅撰和歌集最多の歌数
15 続千載和歌集 1320年 後宇多院 二条為世 なし 20巻 2143首
16 続後拾遺和歌集 1326年 後醍醐天皇 二条為藤
二条為定
なし 20巻 1353首 下命後為藤が没し、為定が引継ぐ
17 風雅和歌集 1349年 光厳院 光厳院(親撰)
花園院監修
真名序
仮名序
20巻 2211首
18 新千載和歌集 1359年 後光厳天皇 二条為定 なし 20巻 2365首 足利尊氏執奏。
武家による執奏勅撰和歌集の最初とされる。
19 新拾遺和歌集 1364年 後光厳天皇 二条為明
頓阿
なし 20巻 1920首 足利義詮執奏。
四季部奏覧後に為明が没し、頓阿が引継ぐ。
20 新後拾遺和歌集 1384年 後円融天皇 二条為遠
二条為重
仮名序 20巻 1554首 足利義満執奏。
下命後為遠が没し、為重が引継ぐ。
21 新続古今和歌集 1439年 後花園天皇 飛鳥井雅世 真名序
仮名序
20巻 2144首 足利義教執奏。
最後の勅撰和歌集となる。
新葉和歌集 1381年 長慶天皇 宗良親王 仮名序 20巻 1426首 南朝君臣の作を収めた撰集。準勅撰和歌集

脚注

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注釈

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  1. ^ 江戸中期の類題私撰集。三一巻。後水尾天皇勅撰。元禄16年(1703年)刊。二十一代集をはじめとしてさまざまの私家集・歌合・百首歌などから約29400余首を集め、約10900の題ごとに四季・恋・雑・公事などに部類したもの。題だけで歌のないものもあり、加藤古風が「類題和歌補闕」六巻を編んで、欠陥を補った[1]
  2. ^ 一説905年下命、913-14年成立[要出典]
  3. ^ 奏覧以前に没。
  4. ^ 特に承久の乱後、配流先の隠岐で改変されたものを「隠岐本」と呼ぶ。

出典

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  1. ^ 類題和歌集 - コトバンク

関連項目

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外部リンク

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