三十四銀行

台湾高雄支店
第3代頭取の菊池恭三

三十四銀行(さんじゅうしぎんこう)は、戦前に大阪市高麗橋に本店を置いていた銀行三和銀行の母体の一つになった。現在の三菱UFJ銀行の前身の一つ。

当行の本店は、三和銀行高麗橋支店となったが、三和銀行時代に本店(旧鴻池銀行本店)と統合している。建物は、東洋信託銀行(現、三菱UFJ信託銀行)大阪支店として自社ビル[1]を建設するまで使われていた。

沿革

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三十四銀行(元・第三十四国立銀行)は、三和銀行・UFJ銀行を経て現・三菱UFJ銀行の前身のひとつになっている。
  • 1878年4月13日:大阪船場の繊維関係の有力商人(森井太兵衛、伊藤家現伊藤忠商事、宮崎家、天野家)たちにより第三十四国立銀行開業(初代頭取岡橋治助
  • 1897年9月:普通銀行に転換し、株式会社三十四銀行となる
  • 1898年:百二十一銀行と合併
  • 1899年1月:大阪中立銀行と合併。
  • 1899年:第2代頭取小山健三
  • 1924年:第3代頭取菊池恭三
  • 1926年:摂陽銀行(旧北浜銀行)を合併
  • 1933年12月9日:三和銀行創立(鴻池・三十四・山口の3行合併)

関連項目

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  • 米山治(本名・米山豊蔵) - 元・神田支店長。三和銀行を定年退職後に島根県民歌「薄紫の山脈」を作詞。

脚注

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  1. ^ 現在は解体され業務は旧三菱銀行大阪支店跡(大阪三菱ビル)に移転している。