中島正雄

中島 正雄
出生名 中島正雄
別名 マリオ中島
生誕 1953年(70 - 71歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
学歴 立教大学経済学部卒業
ジャンル J-POP
職業
担当楽器 ギター
活動期間 1978年 -
事務所 マリオマネジメント株式会社 代表
共同作業者 ウエスト・ロード・ブルース・バンド

中島 正雄(なかじま まさお、1953年 - )は、日本ミュージシャン作曲家音楽プロデューサー。1978年にブルースバンド『ウエスト・ロード・ブルース・バンド』のメンバーとして活動を開始、ビーイングの音楽制作に主に携わる。

2002年から日本コロムビア代表取締役社長兼COOに就任。愛称は「マリオ」。情報経営イノベーション専門職大学超客員教授[1]

来歴

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1975年頃プロとしてミュージシャン活動を開始する。やまがたすみこ妹尾隆一郎のアルバム、コンピレーション・アルバムへ参加する。1978年に立教大学経済学部を卒業。ブルースバンド『ウエスト・ロード・ブルース・バンド』の3人目のギタリストとなる。音楽制作事務所・ビーイング入社後、制作部門のトップとしてプロデュースを担当。作曲家やスタジオミュージャンとしても数多くの作品に参加し、ビーイング初期を支えている。シンガーソングライター織田哲郎の楽曲を提供したこともある(JASRACに登録済)。

1993年、音楽プロデューサー長戸大幸が表舞台を退いてからは、ビーインググループ代表となりスーパーバイザーとしてクレジットされている。秋吉契里等のアルバムにギターで参加するなどミュージシャン活動も並行して行う。

2001年、日本コロムビア(2002年10月から2010年9月までの社名はコロムビアミュージックエンタテインメント)再建のため、ビーイングを退社。ただし、VERMILLIONの代表者はしばらく継続。2002年、日本コロムビアに取締役に招聘される。松村克己社長兼CEOの死去に伴い、日本コロムビア代表取締役社長兼COOに就任する[2]

2008年、マリオマネジメント株式会社設立代表取締役に就任する。

プロデュースを受けたアーティスト

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★はBMF (Being MUSIC FACTORY INC.)としてのプロデュース[要出典]

楽曲提供

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  • 秋本奈緒美「THE WAY YOU LOVE ME」
  • 麻生小百合「輝いてたランデブー」「OH MY DARLIN'(西村麻聡と共同作曲)」
  • 井上和彦「いとしのLADY BABY(作詞:亜蘭知子)」「想い出の夏(作詞:亜蘭知子)」
  • 江崎秀一「陽だまりの中で」
  • エド山口「クロスオーバー」
  • 太田貴子「恋はHURRY UP」
  • 大森絹子「MAD MACHINE」
  • EAST ROAD「愛のゲーム」「ON THE ROAD」
  • 小室良&T-BIRD「SONG FOR YOSHIMI(小室良と共同作曲)」
  • 高村亜留「恋は最高(作詞:岩里祐穂)」
  • 田中真弓「かまととぶりっこカンパニー」「ピエロのソネット」「星は星でもロックンロール(作詞:三ツ矢雄二)」
  • TUBE「Midnight Beach(作詞:長戸大幸)」
  • 坪倉唯子「BROKEN MY HEART(作詞:星野今日子)」
  • 戸田恵子「LOVE ME AGAIN」「FALLIN LOVE TONIGHT(作詞:亜蘭知子)」
  • バオバブシンガーズ「アブラハムのママ(作詞:藤公之介)」
  • 早川めぐみ「愛の奇積(作詞:亜蘭知子)」「輝きたいね(作詞:岩里祐穂)」「過激にROCK'N ROLL」「金色の微笑み(作詞:三浦徳子)」「シンデレラ・ドリーム」「素敵なサマーボーイ」「涙のTONIGHT」「BURNING RAIN(作詞:亜蘭知子)」
「ROCK CITY(作詞:亜蘭知子 作曲は横関敦と共同)」

バンド活動

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自らを「マリオ中島」と名乗り、ブルースバンド「Alright」と、ハードブルースバンド「MMK」で精力的に活動中。

著書

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  • 『定年クリエイティブ - リタイア後の創作活動で後悔のない人生を -』 ワニブックスPLUS新書 2019年7月 ISBN 978-4847061547

脚注

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出典

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  1. ^ 中島 正雄超客員教授”. 情報経営イノベーション専門職大学. 2024年12月9日閲覧。
  2. ^ B'zを育てた中島正雄氏が社長に昇格 日本コロムビア”. SANSPO.COM. 株式会社産業経済新聞社. 2002年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月30日閲覧。

外部リンク

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先代
松村克己
コロムビアミュージックエンタテインメント(旧日本コロムビア)社長
2002年 - 2004年
次代
廣瀬禎彦