中村弘道
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県伊勢市 |
生年月日 | 1961年11月1日(63歳) |
身長 体重 | 172 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト2位 |
初出場 | 1986年6月21日 |
最終出場 | 1989年8月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について |
中村 弘道(なかむら ひろみち、1961年11月1日 - )は、三重県伊勢市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]宇治山田商業高では、2年生の時にエースとして1978年夏の甲子園に出場。1回戦で南陽工業高の津田恒美と投げ合うが完封負け[1]。翌1979年春季中部大会に進むが、1回戦で静岡学園高に敗退。同年夏は県予選準々決勝で上野高に敗れ、甲子園には出場できなかった。高校時代に完全試合を2度経験している。
高校卒業後は、社会人野球の北海道拓殖銀行に入社。1984年の都市対抗野球では高校先輩の竹内昭文(のち法大、シダックス監督)とバッテリーを組む。1回戦では四国銀行から6連続三振を奪い、竹内の満塁本塁打もあって快勝。2回戦でも先発し川崎製鉄水島を降す。準決勝では日産自動車の久保恭久と投げ合うが惜敗した[2]。
1985年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団[3]。
プロ1年目の1986年から中継ぎとして14試合に登板し、翌1987年も中継ぎで10試合に登板する。1988年は一軍登板機会がなく、翌1989年6月に白井孝幸と共に西村英嗣・江本晃一との交換で中日ドラゴンズに移籍する。しかし、あまり登板機会に恵まれず、同年限りで現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1986 | 南海 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 74 | 17 | 17 | 4 | 8 | 1 | 0 | 10 | 1 | 0 | 12 | 12 | 6.35 | 1.47 |
1987 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 42 | 7.2 | 14 | 2 | 4 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 9 | 8 | 9.39 | 2.35 | |
1989 | 中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 0.2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 |
通算:3年 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 120 | 25.1 | 33 | 6 | 12 | 1 | 1 | 11 | 1 | 0 | 21 | 20 | 7.11 | 1.78 |
記録
[編集]背番号
[編集]- 10 (1986年 - 1989年途中)
- 42 (1989年途中 - 同年終了)
脚注
[編集]- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ 宇治山田商業高等学校 2004年
- ^ プロ野球OB 学生野球指導登録者一覧 2015/07/15 閲覧 - 全日本大学野球連盟
関連項目
[編集]- 三重県出身の人物一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 津田恒美(南陽工時代、第60回全国高等学校野球選手権大会で中村と初戦で投げ合う)
外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 中村弘道 - NPB.jp 日本野球機構