西村英嗣
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県三池郡高田町(現:みやま市) |
生年月日 | 1968年7月16日(56歳) |
身長 体重 | 184 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1986年 ドラフト3位 |
初出場 | 1987年8月22日 |
最終出場 | 1991年8月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について |
西村 英嗣(にしむら ひでつぐ、本名:西村 秀嗣(読み同じ)、1968年7月16日 - )は、福岡県三池郡高田町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]柳川高では、1986年春季九州大会県予選南部決勝に進むが、エース石貫宏臣を擁する西日本短大付に9回逆転サヨナラ負け。同年夏の甲子園県予選は準決勝で豊国学園の藤崎靖彦(新日鐵八幡-巨人)と投げ合うが惜敗。高校同期に樽見金典(巨人)、西里幸喜(阪神)がいる。
1986年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。与えられた背番号は「60」[1]。プロ入りと同時に登録名を西村 英嗣(本名と読みは同じ)とした。
プロ1年目の1987年から一軍登板を果たし、1988年には山本昌広とともにドジャース傘下の1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学をした。1Aでは11勝3敗の好成績をあげる。
1989年6月に江本晃一と共に、白井孝幸・中村弘道との2対2の交換トレードで地元・福岡ダイエーホークスに移籍する。故障したこともあって一軍では未勝利に終わり、1992年に現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987 | 中日 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 38 | 7.0 | 14 | 1 | 4 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | 7 | 7 | 9.00 | 2.57 |
1989 | ダイエー | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 75 | 17.2 | 15 | 4 | 11 | 0 | 1 | 13 | 1 | 0 | 13 | 10 | 5.09 | 1.47 |
1991 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 75 | 17.1 | 22 | 1 | 4 | 0 | 0 | 13 | 5 | 0 | 15 | 14 | 7.27 | 1.50 | |
通算:3年 | 20 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 188 | 42.0 | 51 | 6 | 19 | 1 | 1 | 28 | 8 | 0 | 35 | 31 | 6.64 | 1.67 |
記録
[編集]背番号
[編集]- 60 (1987年)
- 24 (1988年 - 1989年途中)
- 10 (1989年途中 - 同年終了)
- 28 (1990年 - 同年途中)
- 116 (1990年途中 - 同年終了)
- 58 (1991年 - 1992年)
登録名
[編集]- 西村 英嗣 (にしむら ひでつぐ、1987年 ‐ 1992年)
脚注
[編集]- ^ “【虎のソナタ】生きていたら仙さん喜んでくれる (1/2ページ)”. SANSPO.COM(サンスポ) (2019年11月2日). 2019年12月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 西村英嗣 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference