二村昭雄
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名前 | ||||||
カタカナ | ニムラ テルオ | |||||
ラテン文字 | NIMURA TERUO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1943年5月2日(81歳) | |||||
出身地 | 京都市右京区 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1959-1961 | 山城高校 | |||||
1962-1965 | 早稲田大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1966-1976 | 東洋工業 | 151 | (16) | |||
通算 | 151 | (16) | ||||
代表歴 | ||||||
1967-1970[1] | 日本 | 5 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1978-? | 札幌マツダ | |||||
1981-1983 | マツダ | |||||
? | セレッソ大阪ユース総監督 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
二村 昭雄(にむら てるお、1943年5月2日 - )は、京都府京都市右京区出身の元サッカー日本代表選手、サッカー指導者。
来歴
[編集]現役時代は、身体的には恵まれていないが、ポジションセンスと運動量の両方を伴ったMF。
中学校から大学時代まで一つ下の後輩の釜本邦茂とプレー。大西忠生、釜本と合わせて「京都三羽ガラス」として名を馳せた。
京都府立山城高等学校3年のときMFとして全日本ユース代表。その後早稲田大学第二政治経済学部へと進学。松本育夫、野村尊敬、桑田隆幸、森孝慈、釜本、大野毅らと同大学ア式蹴球部の黄金時代を創る。1963年日立本社(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。また、大学2年のときMFとして全日本ユース代表に選出されている。
その後、日本サッカーリーグ(JSL)所属の東洋工業(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に進み、小城得達らとともに中盤でプレーし、東洋工業の黄金期を支えた。27歳で第6回アジア大会に出場。
現役引退後は1978年から札幌マツダ(のちのアンフィニ札幌。サンクFCくりやまも参照)、1981年から東洋工業/マツダ監督。
Jリーグが始まるとセレッソ大阪ユース総監督などを務めた。現在はJリーグマッチコミッショナーを務めている。
所属クラブ
[編集]- 京都市立蜂ヶ岡中学校
- 1959年 - 1961年 : 京都府立山城高等学校
- 1962年 - 1965年 : 早稲田大学
- 1966年 - 1976年 : 東洋工業
指導歴
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1966 | 東洋 | JSL | 11 | - | |||||||
1967 | 11 | - | |||||||||
1968 | 14 | - | |||||||||
1969 | - | ||||||||||
1970 | 13 | - | |||||||||
1971 | - | - | |||||||||
1972 | JSL1部 | - | |||||||||
1973 | |||||||||||
1974 | - | ||||||||||
1975 | - | ||||||||||
1976 | |||||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 151 | 16 | |||||||
総通算 | 151 | 16 |
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]- アジア競技大会(1970)
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 5試合 (1970)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1967 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1968 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1969 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1970 | 5 | 0 | 2 | 1 | 7 | 1 |
通算 | 5 | 0 | 4 | 1 | 9 | 1 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1970年12月10日 | バンコク | マレーシア | ○1-0 | 岡野俊一郎 | アジア大会 | |
2. | 1970年12月12日 | バンコク | クメール | ○1-0 | アジア大会 | ||
3. | 1970年12月16日 | バンコク | インドネシア | ○2-1 | アジア大会 | ||
4. | 1970年12月17日 | バンコク | インド | ○1-0 | アジア大会 | ||
5. | 1970年12月19日 | バンコク | インド | ●0-1 | アジア大会 |
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | JSL杯 | 天皇杯 | |||
1981 | JSL1部 | マツダ | 8位 | 18 | 13 | 4 | 5 | 9 | 2回戦 | 1回戦 |
1982 | JSL1部 | マツダ | 7位 | 18 | 17 | 4 | 9 | 5 | 2回戦 | 準々決勝 |
1983 | JSL1部 | マツダ | 10位 | 18 | 12 | 5 | 2 | 11 | 2回戦 | 準々決勝 |
関連項目
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- 二村昭雄 - National-Football-Teams.com
- 二村昭雄 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 二村昭雄 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- インタビュー(ハイブリッドターフ)
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