二枚銀

二枚銀(にまいぎん)とは居飛車舟囲い急戦の一種で、振り飛車に対して居飛車側が左の銀将を繰り出して攻める戦法。名前の由来は、横に2枚銀が並ぶことから。

また、ゴキゲン中飛車#超速▲3七銀△4四銀の銀対抗急戦や居飛車側が左銀を6八~7七~6六と繰り出して中央の位に対抗する指し方も二枚銀と呼ばれる。

さらに、振り飛車においても類似の戦型が現れる場合がある。

概要

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四間飛車に対しては、4五歩早仕掛けと同様の狙いで4五歩(6五歩)と仕掛け、手厚い陣形を生かし振り飛車を押さえ込むのが一般的な攻め筋である。図1のように4五歩早仕掛けの陣形から右銀が4七に上がった状態である。通常の4五歩早仕掛けと比べて上部に厚くなっている反面、▲3七の地点に銀が利いておらず弱点となっている他、仕掛けのタイミングを逸して持久戦となって手詰まりになることも多くみられた。

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また、中飛車に対しては、ひとつは袖飛車急戦加藤流)と同様の狙いで、右桂を跳ねず飛車を3筋(後手7筋)に配置することもある。図3のように構えて角頭を狙う指し方がかつて用いられていた。

△ 算砂 持ち駒 なし
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もうひとつは図2のような▲5七銀右の構え(菱囲い)から角道を止めて中央を厚くする構えで、持久戦型の戦型。中央の守りを重視して玉を囲うが、「セメント囲い」もしくは「トラック囲い」という異名がある。中原誠ツノ銀中飛車に対する4六金戦法で角道を止める陣形にこの囲いを使っているが、すでに古くから指されており、寛文三年(1663年)刊行の『象戯鏡』に掲載されている大橋宗桂本因坊算砂戦(刊行本で最古とされている、慶長13年(1608年)大阪城秀頼公御前将棋[1]、参考図)で 先手の宗桂が算砂の振り飛車(△3四銀型向かい飛車)に対して二枚の銀を中央に並べる陣形をみせている。

1981年12月から1982年11月末日までの統計で居飛車対振飛車対抗系のうち、中飛車のは総計144局あったが、二枚銀などの5七銀右で持久戦型(主には角交換拒否型、角道止め型)は1983年調査のレポートによると比較的多く、13局指されている[2]

対四間飛車

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対四間飛車でよくみられる例として、第1-1図のとおり▲4五歩からの仕掛け、そのあと居飛車側が2筋と3筋の歩をつき捨てて第1-2図のようになる進行が一つある。桐谷広人が得意としていて、昭和50年代にはそれなりに指されていたが、近年では年に1回出現するかどうかである。図以下は先手は▲4五桂の狙いで、後手振り飛車はここで△2五歩や玉頭を攻める△7五歩あるいは△6五歩などとして▲4五桂△4四角▲同角△同飛▲2二角△4三飛▲4四歩△2三飛▲1一角成に△6四角や△3三角を用意する指し方で、先手は▲2九飛や▲2二歩、▲9五歩などの進行がある。戻って第1-1図の▲4五歩に振り飛車側は1二香型を活かして対5筋位取りのときのように△4一飛として、角を5一に引くようにする指し方が多い。

△持駒 なし
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△持駒 歩
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なお、第1-1図の後手の陣形は△7三桂-8三歩型であるが、『イメージと読みの将棋観2』(2010年、日本将棋連盟)では△8一桂-8四歩型の場合では羽生善治によると▲2四歩の突き捨てに△同歩では上記のように進行すると後手が△8四桂などが効かずまずいので、▲2四歩の突き捨てには△同角として以下▲4四歩△同銀▲4五歩△3三銀▲4六銀右としておいて、どこかで▲2五桂とする順とすることになるとしているが、一方で藤井猛は△8一桂-8四歩型の場合では▲2四歩の突き捨てには△同歩ととる一手とし、そして先手の陣形はダサくて見ただけで嫌になるとしている。

他方で佐藤康光はマイナスの手を指させるために▲8六歩と突きたいとしている。谷川浩司渡辺明は後手の陣形で△8四歩とふところを広くさせているのは端攻めを緩和しており▲6八金や▲4七銀と△8四歩の交換は損であるとみており、先手陣の陣形をここまで築くうちに後手の陣形が整ってしまっていくので▲6八金や▲4七銀と指す前に実際は仕掛けたいとしている。

対三間飛車

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対4三銀(5三銀)型三間飛車の場合には▲4五歩△4二飛のやり取りはそのまま四間飛車と同様になり、振り飛車側が飛車を寄った分四間飛車の時よりも先手が余計に指している勘定となる。

第1-1図も対三間飛車でよく見られる戦型で、ここから▲5五歩△同歩▲4五歩に△同歩ならば▲同桂△4四角▲4六銀直△5四金▲6六銀で、中央を制圧していく(第1-2図)。なお、第1-1図の△6三金に変えて△4三銀ならば、▲4五歩の仕掛けが生じる。もし△4五同歩と取ると▲3三角成△同桂▲8八角△4四角▲同角△同銀▲3一角から馬をつくる。△4二飛ならば上記4三銀(5三銀)型三間飛車と同じ。

△持駒 なし
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△持駒 歩二
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△持駒 なし
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なお、第2図のように石田流や3筋(7筋)位取り三間飛車にも二枚銀がプロ棋士の間でも採用される場合がある。居飛車側は第2図のように飛車を浮いてもしくは▲3八飛と寄って三筋を攻める用意をする。

対中飛車

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対ツノ銀中飛車

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対ツノ銀中飛車には上記図3に組む布陣が山田道美などに研究がなされていた。

△持駒 なし
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これは第1-1図のとおり▲3八飛と飛車を寄り、まずは3筋の交換を目指す。これは加藤流とは違い飛車は引き飛車にして銀を棒銀のように繰り出して攻めようというもので、ここで△4五歩と角交換に迫ってから5五から中飛車を捌くのも加藤流と比べ中央2枚の銀で追い払える備え。ここでは後手は△5一飛と引いて▲3五歩の瞬間や△同歩▲同飛のときもしくは△3四歩▲3八飛のときに△4五歩と角交換を迫る指し方や、△6三銀~△7四歩~△7二飛と袖飛車で反撃する指し方などがある。△4五歩からの角交換の反撃は居飛車側が飛車を寄ったために△2七角~4五~6三のラインに馬をつくってひきつけ反撃する意味合いがあるが、加藤流と違って飛車にヒモが付いているので飛角交換に応じる指し方(3八に銀を引いた形なら飛車の打ち込みにも対応)もある。

対ゴキゲン中飛車

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△持駒 なし
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△持駒 なし
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5筋位取り中飛車に対して第1図のように構えて対処する方法は以前からあったが、その際は右金を4九から動かさずに飛車を中央に振って▲5六歩から逆襲する指し方であった(例えば、米長邦雄の実戦譜『米長の将棋 完全版 第一巻』マイナビ出版(日本将棋連盟), 2013年 36頁所収)。

向かい飛車

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△後手 なし
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△後手 なし
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△後手 桂歩4
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図1-1は先手雁木模様から後手の△3一角に▲8八飛と向かい飛車にした局面。後手陣の引き角陣形は袖飛車の速攻を警戒したもので、以下は図1-2を経て後手が△7五歩ならば▲4五歩△同歩▲6五歩(単に▲4五同桂は△2二銀があり、以下▲4四歩△同金▲4六銀△4三金▲6五歩△4四歩で一局)に△4四銀▲4五桂△6四歩▲同歩△同銀▲4六銀で△3三桂▲同桂成△同銀は▲4五歩(図1-3)で一局。途中△6四歩に代えて△4五同銀は▲4六歩で、△5六銀▲同銀左△5五桂なら▲同銀△同歩▲5五角と捌くことができる。

△ 算砂 持ち駒 なし
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参考図は四間飛車であるが、慶長15年(1610年)の初代大橋宗桂本因坊算砂戦。先手の宗桂が中央に銀を二枚並べる振り飛車をみせている[1]。昭和のころの棋書では平手美濃囲いの解説に「先手としては手後れになるので、このごろではあまり用いられていないのであります。」「後手方としてはたまにこの手をやる人があります」との記載がみられる[3]

こうした中央に二枚銀を並べる振り飛車も時たま現れるが、『将棋戦法大事典』(1985年)によると、江戸時代には向かい飛車にはこうした中央を銀で厚くする指し方が主流であったという。現代にまで残る1600年代の将棋棋譜をみると二枚銀が主流となっている状況である。これは居飛車か振り飛車か、対抗形か相居飛車かをも問わず、盤上の銀を5七と6七、後手なら5三と4三の地点に並べる二枚銀がほとんどの対局で指されている。 2つの銀を前線に配備するので、美濃囲いは金美濃が主流である。

江戸期に先手3八(後手7二)銀と立つ美濃囲いの形は、1695年刊『近来象戯記大全』32に掲載された、1641年に実施されたという下手初代伊藤宗看対上手萩野真甫戦の香落ち戦で、上手の萩野の陣が現代でいう美濃囲いとなっていた。のちの1707年刊行、赤縣敦菴 撰『象戯綱目』(将棋綱目)[1] では美濃囲いに対し「真甫の将棋にみえる」という記載がなされている[4]ほか、『象戯綱目』ではほかにも振り飛車で美濃囲い、また右四間飛車腰掛銀左美濃に組んでいる棋譜もみられる。

△後手 なし
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△後手 なし
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△後手 桂歩4
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△後手 銀桂桂歩3
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図2-1から図2-2のように玉が一段目で移動する場合ならば、先手の攻めに関しては当たりがきつくないが、図2-2から▲6五歩△7五歩▲4五歩△同歩▲同桂△4四銀▲4六銀△7六歩▲同銀△7四銀▲3五歩△同歩▲3三歩△同桂▲同桂成△同銀▲3五銀(図2-3)で、以下は△3四歩ならば▲4四歩△5三金▲4五桂△3五歩▲5三桂成△同角▲4三金(図2-4)といった展開がある。

脚注

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  1. ^ a b c d 増川宏一(2021年)『〈大橋家文書〉の研究 - 近世・近代将棋資料』法政大学出版会
  2. ^ 高橋道雄「緊急レポート居飛車vs振飛車プロ間における最近の序盤傾向の研究」第2回 三間飛車中飛車編(『将棋世界』1983年2月号所収)
  3. ^ 『将棋必勝手引 : 指し方・定跡・詰手・名人大家実戦図解』、将棋研究会 編、春江堂:昭和14年(1939年)
  4. ^ 雑誌『近代将棋』2006年4月号連載「甦る江戸将棋」東公平著 第18回「看壽の四枚落ちと美濃囲い」の「美濃囲いのルーツ」の章に、最も古い美濃囲いの棋譜と名称について、下記の記述がある。

    宝永4年(1707年)刊の『象戯綱目』は、赤縣敦庵氏撰、第1巻「隊伍」(駒組の意)に、平手四間飛車定跡として、次のように美濃囲いの隊伍が示されている。この後手の馬(駒)くみを箕の手という人あり。本真甫将棋に見えるなり。 箕は当て字だろう。別の古棋書(書名失念)に「美濃の音通和尚がよく用いたので美濃囲いという」とあったが、音通和尚はいつごろの人か不明。 『近代将棋考鑑』=享保2年刊に、「後手の駒立はみのかこいというなり。松本入道紹尊(美濃の人)きわめてこの駒立を好むにより…」とある。

    岐阜県図書館レファレンス事例詳細 2008年11月14日 岐県図-1032 質問「将棋の戦法「美濃囲い」の由来は何か。」)

関連項目

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外部リンク

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