住博司
住 博司 すみ ひろし | |
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生年月日 | 1954年8月19日 |
出生地 | 富山県魚津市 |
没年月日 | 1998年7月11日(43歳没) |
死没地 | 東京都新宿区 (慶應義塾大学病院) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
前職 | NHK放送記者 |
所属政党 | 自由民主党(宮澤派) |
称号 | 従四位 勲三等 学士(早稲田大学)・1977年 |
親族 | 住栄作(父) |
選挙区 | (旧富山1区→) 富山2区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1990年2月19日 - 1998年7月11日 |
住 博司(すみ ひろし、1954年8月19日 - 1998年7月11日)は、日本の政治家。NHK放送記者を経て、衆議院議員(3期)、厚生政務次官などを務めた。
第2次中曽根内閣で法務大臣を務めた住栄作の次男。自由民主党所属。
来歴・人物
[編集]富山県魚津市出身。麹町小学校、麹町中学校、早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業[1]。1977年NHK入局。放送記者として活動。NHKで京都府警のキャップだったころ、共同通信の同キャップが青山繁晴だった。
1987年、NHK退職。当時の宮澤喜一蔵相の秘書となる。1990年の第39回衆議院議員総選挙に父の地盤を引き継ぎ旧富山1区から立候補し初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)。宮澤派に所属した。1993年の第40回衆議院議員総選挙ではトップで当選した。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い富山2区から立候補、全国トップの高得票率(84.8%)で3選。
1997年11月、腸閉塞のため入院。その後一時復帰したものの入退院を繰り返し、1998年7月11日に多臓器不全のため、慶應義塾大学病院で死去した。43歳没。死没日付をもって従四位勲三等に叙された[1]。7月14日に増上寺慈雲閣で葬儀が行われた。葬儀委員長は当時自民党幹事長で父・栄作と1972年衆院選当選同期の加藤紘一が務めた。追悼演説は同年8月4日、衆議院本会議で田中眞紀子により行われた[1]。
主な役職
[編集]- 厚生政務次官
- 自由民主党遊説局長
- 自由民主党国対副委員長
- 自由民主党政務調査会社会部会長
脚注
[編集]- ^ a b c 第143回 衆議院 本会議 第2号 平成10年8月4日 - 国会会議録検索システム