余呉湖
余呉湖 | |
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賤ヶ岳山頂から望む | |
所在地 | 日本 滋賀県長浜市余呉町川並 |
位置 | 北緯35度31分20秒 東経136度11分38秒 / 北緯35.52222度 東経136.19389度座標: 北緯35度31分20秒 東経136度11分38秒 / 北緯35.52222度 東経136.19389度 |
面積 | 1.97 km2 |
周囲長 | 6.4 km |
最大水深 | 13.5 m |
平均水深 | 7.4 m |
貯水量 | 0.0147 km3 |
水面の標高 | 133 (132.8) m |
成因 | 断層湖 |
淡水・汽水 | 淡水 |
湖沼型 | 富栄養湖 |
プロジェクト 地形 |
余呉湖(よごこ、よごのうみ[1])は、滋賀県長浜市にある湖。「大江」(琵琶湖)に対して「伊香小江(いかごのおえ)[1]」と称されたほか、湖面が穏やかなことから「鏡湖」とも呼ばれる[2][3]。
概要
[編集]琵琶湖の北側に位置し、琵琶湖とは賤ヶ岳(標高422m)で隔てられている[1][2]。東西1.2キロメートル (0.9km[1])、南北2.3キロメートル (1.8km[1])[4]、周囲6.4キロメートル(6.2km[5])、面積1.97平方キロメートル、最大水深13.5メートル(14.5m[4]、13.0m[5])、平均水深7.4メートル[3][6]。総貯水量1470万立方メートル[5]。水面の標高は133メートル (132.8m) で、琵琶湖よりおよそ50メートル(約47.0m[5])高い位置にある[3][6]。琵琶湖と同じ断層湖で、形成は約100-200万年前と見られ、古い琵琶湖の一部であったものが約3万年前に分かれたとされる[6]。
余呉湖にはイワトコナマズ(余呉湖・琵琶湖にのみ生息)、ワカサギ、フナ、コイ、ウナギ、ナマズなどの魚類が生息する[2][7]。冬季はワカサギ釣りが行われるほか、多くの水鳥も飛来する[2][7]。近年は外来魚の生態系への影響が問題になっている。オオクチバスおよびブルーギルの捕獲駆除量は年間2トン前後となり、今後の駆除方法が模索されている[8]。
1583年4月に羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦いは余呉湖周辺が戦場となった。
治水・開発
[編集]- 安土桃山時代(1573-1603年) : もともとは閉鎖湖であったが、湖の氾濫防止のための排水路として、北東部に江土川(現在の高田川)が掘削される[9]。
- 1956年(昭和31年)-1959年(昭和34年) : 余呉川総合開発事業の一環として、周辺地域の洪水対策と用水確保のため、湖の北東を流れる余呉川から余呉湖までの導水路を開削、並びに湖東岸から余呉川への放水路トンネルが掘削される[9][10][11]。
- 1964年(昭和39年)-1969年(昭和44年) : 湖北地方への水供給安定化のため、琵琶湖からの揚水トンネルが造られる[9][11]。
- 1971年(昭和46年)- : 滋賀県の余呉湖総合開発事業により、湖周辺に国民宿舎、野外活動センター、湖岸緑地、遊歩道などが造られる[9][11]。
浄化
[編集]- 1975年(昭和50年)- : 赤潮が発生するようになったため[12]、富栄養化対策が行われている[7]。
- 1988年(昭和63年)- : 周辺集落の農業集落排水処理施設を整備し、以前は各戸から個別に排出されていた生活排水を、処理場に集めて一括浄化して放水するようになる[13]。
- 1993年(平成5年)- : 余呉湖水質保全対策事業により、湖内に間欠式空気揚水筒を設置(1993年〈平成5年〉に2基稼働、1996年〈平成8年〉に3基稼働)[13]。低層水を持ち上げて循環させ、低層水の無酸素状態を解消し、植物プランクトンの異常増殖を抑制する[13]。
- 2002年(平成14年) - : 深層曝気装置を設置[13]。湖底近くにコンプレッサーで送気し、湖水の上昇・下降や横への広がりにより、深層水の酸素を増やし、アオコの増殖を防ぐ[13]。
伝説
[編集]JR余呉駅に近い湖北岸には、羽衣伝説で天女が羽衣を掛けたといわれる「天女の衣掛柳」があったが[3][14]、2017年〈平成29年〉10月、台風により倒壊[15]。日本最古の天女伝説の地といわれ、ほかの地域の羽衣伝説では、羽衣を掛けるのは松や岩などが多いが、余呉では柳といわれている[3]。なお、2017年(平成29年)に倒壊した柳(マルバヤナギ[14])は[16]、伝説にまつわる北野神社から移植された2代目であった[7]。
湖に入水した菊石姫の龍伝説もあり、菊石の投げた龍の目玉の跡がついたという「目玉石」があるほか[17]、付近には蛇身の菊石姫が休んだといわれる「蛇の枕石」も知られる[18]。
余呉の詩歌
[編集]衣手に余呉の浦風さえさえて己高山(こだかみやま)に雪降りにけり (源頼綱 「近江百人一首」『金葉和歌集』)[1][19]
交通アクセス
[編集]余呉湖の風景
[編集]北から望む余呉湖 | 北の緑地から望む余呉湖 | 南から望む余呉湖 | 賎ヶ岳から望む余呉湖と横山岳 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 三省堂編集所 編『コンサイス日本地名事典』(第5版)三省堂、2007年、1287頁。ISBN 978-4-385-16051-1。
- ^ a b c d e f “余呉湖”. 滋賀県観光情報. びわこビジターズビューロー (2017年6月1日). 2019年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e 水資源機構広報課(監修)「わが町紹介35 水と緑とロマンのふる里 〜余呉町(滋賀県)〜」『水とともに』第35号、水資源協会、2006年8月、20-25頁。
- ^ a b 用田政晴『湖と山をめぐる考古学』サンライズ出版、2009年、61-80頁。ISBN 978-4-88325-399-9。
- ^ a b c d 「余呉湖の役目」余呉川管理事務所(湖北地域振興局 木之本建設管理部)
- ^ a b c 「高時川の概要」、『高時川・余呉湖』 (2014)、2頁
- ^ a b c d 「余呉湖とその周辺」、『高時川・余呉湖』 (2014)、12-14頁
- ^ 余呉湖漁業協同組合・キタイ設計・ラーゴ・琵琶湖博物館 編『余呉湖における水産資源保護の取り組み - オオクチバス・ブルーギル駆除対策・実験』。
- ^ a b c d 遊磨正秀、嘉田由紀子、中山節子、橋本文華、藤岡和佳、村上宣雄、桐畑長雄、桐畑正弘、桐畑貢、桐畑みか乃、桐畑静香、桐畑博夫「身近な水辺環境における「人-水辺-生物」間の総合作用 - 滋賀県余呉湖周辺の事例から」『環境技術』第27巻第4号、環境技術研究協会、1998年4月、289-295頁。
- ^ 「ダムのおいたち」『余呉湖ダム』滋賀県余呉川管理事務所、1995年、2頁。
- ^ a b c 「余呉湖の開発と保全」『余呉湖の自然観察』滋賀県自然保護課、1984年、19-20頁。
- ^ 佐野嘉行、菊地憲次、里内勝、井上省子「余呉湖の水質汚濁に関する研究(第1報) 余呉湖の水質汚濁について」『滋賀県立短期大学学術雑誌』第20号、滋賀県立短期大学、1979年3月、8-11頁。
- ^ a b c d e 野崎正寿「琵琶湖北端の町・余呉町の取り組み」『月刊浄化槽』第353号、日本環境整備教育センター、2005年9月、13-15頁。
- ^ a b 渡辺典博『巨樹・巨木』山と溪谷社〈ヤマケイ情報箱〉、1999年、264頁。
- ^ “台風で「羽衣伝説の衣掛け柳」大木倒壊 滋賀・長浜の余呉湖畔”. 産経 WEST. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2017年10月24日) 2019年4月14日閲覧。
- ^ “新近江名所圖會 第271回 羽衣伝説の残る神秘の湖・余呉湖~北近江の密やかな愉しみ~”. 滋賀県文化財保護協会 (2018年3月7日). 2019年4月28日閲覧。
- ^ “新名所圖会 第292回「余呉湖に眠るもうひとつの伝説」”. 滋賀県文化財保護協会 (2019年4月24日). 2019年4月28日閲覧。
- ^ “菊石姫伝説 菊石姫の物語”. 余呉観光情報. 奥びわ湖観光協会 (2019年). 2019年4月18日閲覧。
- ^ 「「衣手に余呉の浦風」で始まる近江を読んだ和歌の全文、歌の意味、作者とその略歴、収録されている歌集名を知りたい。」(滋賀県立図書館 ) - レファレンス協同データベース 2019年4月18日閲覧
参考文献
[編集]- 琵琶湖・淀川水質保全機構、日本水環境学会関西支部川部会、近畿建設協会 編『淀川の源流 高時川・余呉湖』(PDF)琵琶湖・淀川水質保全機構〈琵琶湖・淀川 里の川をめぐる - ちょっと大人の散策ブック (源流を行く編)〉、2014年 。
- 渡邉浩司「日仏民俗旅日記 8 - 余呉湖の羽衣伝説」『中央評論』第242号、中央大学、2002年12月、94-100頁。