内務大臣 (イギリス)
イギリス 内務大臣 Home Secretary | |
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所属機関 | 内閣 |
所在地 | ウェストミンスター |
指名 | 首相 (キア・スターマー) |
任命 | 国王 (チャールズ3世) |
任期 | 国王陛下の仰せのままに |
創設 | 1782年3月7日 |
初代 | 第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ |
俸給 | 年額 154,089 GBP (2022)[1] |
ウェブサイト | www |
国王陛下の内務大臣(こくおうへいかのないむだいじん、正式名称:His Majesty's Principal Secretary of State for the Home Department、通称: Home Secretary)は、イギリスの内閣の閣僚である。内務省を統括する。
歴史
[編集]18世紀初頭よりイギリスの国務大臣(Secretary of State)は、北部担当国務大臣と南部担当国務大臣という地域で分けた区分になっており、前者が北方外交(北欧諸国・オランダ・ドイツ諸国・ロシアなどとの外交)を担当し、後者が内務と南方外交(フランス・スペイン・イタリア諸国・トルコなどとの外交)を担当していた[2]。しかし当時のイギリスで外交上重要なのは北方外交のみであり、南方外交は重要ではなかった。そのため南方省は本土担当の専門省にすべきという意見が強まった[3]。
1782年に成立した第2次ロッキンガム侯爵内閣から職務別の区分がなされるようになり、北部省は外務省、南部省は内務省に改組された。そしてその長として外務大臣と内務大臣がそれぞれ設置された[4][2]。以降内務大臣は警察、監獄、工場、鉱山に関する官吏を統制し、また国王の恩赦に関する大権を輔弼する役割を担うことになった[5]。
しかし歴史的には警察に関する限り内務大臣の権限はさほど強くなかった。イギリスでは各地の参事会が任命に関与する治安判事指揮下のコンスタブル集団(警察官)が治安維持するという中世以来の古い体制が長くはびこり続けていたためである。19世紀以降には警察を内務大臣の強力な指揮権下に置く中央集権化改革が必要との認識が高まり、1829年の首都警察法によって大ロンドン地区には内務大臣指揮下の統一警官隊(スコットランドヤード)が創設された。しかしロンドン外の警察中央集権化改革は遅々として進まなかった。1964年警察法でようやく(中世以来の古い警察体制を温存させつつ)中央集権化の第一歩が踏み出され、内務大臣の権限強化が図られた。ついで1994年警察法、1996年警察法で内務大臣の更なる権限強化が果たされた[6]。
1996年警察法は国務大臣(内務大臣)の権限として警察の運用・構成に関する規則制定権、警察への査察権、警察予算の統制権、特別警察官(一部の地域でのみ警察官の機能を果たす補助警官)や見習い警察官の任命権、委任された場合の警官懲罰権などを認めている[7]。
歴代の内務大臣
[編集]18世紀
[編集]代 | 肖像 | 爵位名・氏名 | 在任期間 | 政党 | 内閣(首相所属政党) | ||
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1 | 第2代シェルバーン伯爵 ウィリアム・ペティ | 1782年3月27日 - 1782年7月10日 | ホイッグ党 | 第2次ロッキンガム侯爵内閣(ホイッグ党) | |||
2 | トマス・タウンゼンド | 1782年7月10日 - 1783年4月2日 | ホイッグ党 | シェルバーン伯爵内閣(ホイッグ党) | |||
3 | ノース卿 フレデリック・ノース | 1783年4月2日 - 1783年12月19日 | トーリー党 | 第1次ポートランド公爵内閣(トーリー党) | |||
4 | 第3代テンプル伯爵 ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル | 1783年12月19日 - 1783年12月23日 | ホイッグ党 | 第1次小ピット内閣(トーリー党) | |||
5 | 初代シドニー子爵 トマス・タウンゼンド | 1783年12月23日 - 1789年6月5日 | ホイッグ党 | ||||
6 | 初代グレンヴィル男爵[注釈 1] ウィリアム・グレンヴィル | 1789年6月5日 - 1791年6月8日 | トーリー党 | ||||
7 | ヘンリー・ダンダス | 1791年6月8日 - 1794年7月11日 | トーリー党 | ||||
8 | 第3代ポートランド公爵 ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク | 1794年7月11日 - 1801年7月30日 | トーリー党 | ||||
アディントン内閣(トーリー党) |
19世紀
[編集]20世紀
[編集]21世紀
[編集]代 | 肖像 | 爵位名・氏名 | 在任期間 | 政党 | 内閣(首相所属政党) | ||
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86 | デイヴィッド・ブランケット | 2001年6月8日 - 2004年12月15日 | 労働党 | 第2次~3次ブレア内閣(労働党) | |||
87 | チャールズ・クラーク | 2004年12月15日 - 2006年5月5日 | 労働党 | ||||
88 | ジョン・リード | 2006年5月5日 - 2007年6月27日 | 労働党 | ||||
89 | ジャッキー・スミス | 2007年6月28日 - 2009年6月5日 | 労働党 | ブラウン内閣(労働党) | |||
90 | アラン・ジョンソン | 2009年6月5日 - 2010年5月11日 | 労働党 | ||||
91 | テリーザ・メイ | 2010年5月12日 - 2016年7月13日 | 保守党 | 第1次~2次キャメロン内閣(保守党) | |||
92 | アンバー・ラッド | 2016年7月13日 - 2018年4月29日 | 保守党 | 第1次メイ内閣(保守党) | |||
第2次メイ内閣(保守党) | |||||||
93 | サジド・ジャヴィド | 2018年4月30日 - 現職 | 保守党 | ||||
94 | プリティ・パテル | 2019年7月24日 - 2022年9月6日 | 保守党 | ジョンソン内閣(保守党) | |||
95 | スエラ・ブレイバーマン | 2022年9月6日 - 2022年10月19日 | 保守党 | トラス内閣(保守党) | |||
96 | グラント・シャップス | 2022年10月19日 - 2022年10月25日 | 保守党 | ||||
97 | スエラ・ブレイバーマン | 2022年10月25日 - 2023年11月13日 | 保守党 | スナク内閣(保守党) | |||
98 | ジェームズ・クレバリー | 2023年11月13日 - 2024年7月5日 | 保守党 | ||||
99 | イヴェット・クーパー | 2024年7月5日 - 現職 | 労働党 | スターマー内閣(労働党) |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Salaries of Members of His Majesty's Government – Financial Year 2022–23” (15 December 2022). 2023年11月25日閲覧。
- ^ a b マリオット(1914) p.130
- ^ 神戸(2005) p.184
- ^ 今井(1990) p.360-361
- ^ マリオット(1914) p.131
- ^ 神戸(2005) p.234
- ^ 神戸(2005) p.237
参考文献
[編集]- 今井宏 編『イギリス史〈2〉近世』山川出版社〈世界歴史大系〉、1990年。ISBN 978-4634460201。
- 神戸史雄『イギリス憲法読本』丸善出版サービスセンター、2005年。ISBN 978-4896301793。
- ジョン・マリオット 著、占部百太郎 訳『英国の憲法政治』慶応義塾出版局、1914年。ASIN B0098TWQW4 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、イギリス内務大臣に関するカテゴリがあります。
- Home Office website(内務省公式サイト)