ジャック・ストロー
ジャック・ストロー John Whitaker “Jack” Straw | |
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生年月日 | 1946年8月3日(78歳) |
出生地 | イギリス エセックス |
出身校 | リーズ大学 |
所属政党 | 労働党 |
配偶者 | アンシア・ウェストン |
子女 | 3人 |
公式サイト | Jack Straw official website |
内閣 | ブラウン内閣 ブラウン第1次改造内閣 ブラウン第2次改造内閣 ブラウン第3次改造内閣 |
在任期間 | 2007年6月28日 - 2010年5月11日 |
首相 | ゴードン・ブラウン |
内閣 | 第3次ブレア改造内閣 |
在任期間 | 2006年5月5日 - 2007年6月27日 |
首相 | トニー・ブレア |
内閣 | 第2次ブレア内閣 第3次ブレア内閣 |
在任期間 | 2001年6月8日 - 2006年5月5日 |
首相 | トニー・ブレア |
内閣 | 第1次ブレア内閣 |
在任期間 | 1997年5月2日 - 2001年6月8日 |
首相 | トニー・ブレア |
在任期間 | 1994年7月22日 - 1997年5月2日 |
首相 | ジョン・メージャー |
その他の職歴 | |
イギリス 影の環境大臣 (1992年7月24日 - 1994年10月20日) | |
イギリス 庶民院議員(ブラックバーン選挙区) (1979年5月3日 - 2015年3月30日) |
ジャック・ストロー(英語:Jack Straw、1946年8月3日 - )は、イギリスの政治家。本名はジョン・ウィテカー・ストロー(John Whitaker Straw)であるが、ジャックという通称の方がよく知られている。エセックス州ブラックハースト・ヒル出身で、所属政党は労働党。リーズ大学を卒業しており、弁護士としての顔も持つ。
概要
[編集]1997年のトニー・ブレア内閣発足時に内相に就任したのを皮切りに、外相や庶民院院内総務を歴任し、さらにその後のゴードン・ブラウン政権では現職の庶民院議員として初めて大法官(司法大臣と兼任)に就任するなど、主要閣僚ポストを歴任した。1997年の第1次ブレア内閣発足から2010年のブラウン政権退陣まで、およそ13年間に渡って連続して閣僚ポストに就いていた数少ない人物の1人でもある[注 1]。
人物・経歴
[編集]1946年8月3日にエセックスに誕生する。マーガレット・サッチャー政権が発足した1979年イギリス総選挙でブラックバーンから出馬し、庶民院議員に初当選。学生時代は過激な左派だったが、次第に軟化する。
第1次トニー・ブレア内閣で内務大臣に就任した。在任中スペインのバルタサール・ガルソン判事の要請により、大統領時代に在チリスペイン人への人権侵害を行ったチリのアウグスト・ピノチェト元大統領の拘束を指揮する(最終的には釈放)。
2001年からは外務大臣を務め、同時多発テロからアフガニスタン戦争・イラク戦争に至る国際情勢に対処した。2005年の第31回主要国首脳会議の際に発生したロンドン同時爆破事件の対応指揮のために一時的に会議を欠席したブレア首相に代わり、議長として議事運行に当たった[注 2][1]。
第3次ブレア内閣においても外相に再任され重用されていたが、2006年の地方選挙惨敗後の内閣改造で外相を更迭され、庶民院院内総務に降格される。イラク戦争前後に、ブレアの政敵であるゴードン・ブラウン財務相への接近がブレアの不評を買ったとされる。
2007年のブラウン内閣では大法官兼司法大臣に就任し、2010年にブラウンが退陣するまで務めた。
ベトナム戦争で、韓国軍兵士から性的暴行を受けたベトナム人女性とその子供(ライダイハン)を支援するため、2017年9月12日にイギリスで設立された民間団体「ライダイハンのための正義」に「国際大使」として関わっており、国連人権理事会による調査や韓国によるベトナム人女性とその子供(ライダイハン)への謝罪を求める運動を行っている[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ストローと同様に、ブレア政権発足から第3次ブラウン改造内閣退陣までの約13年間に渡って連続して閣僚ポストに就いていたのは、後に首相となるゴードン・ブラウンと、アリスター・ダーリングの2人のみである。
- ^ ストローのサミット臨時議長は対外的なものであり、日本のシェルパを務めた藪中三十二外務審議官によると、実際にはイギリスのシェルパであるイギリス外務省事務次官が臨時にサミットの議長役を務めたという。
出典
[編集]- ^ “テロ対策 G8苦慮 サミット日程変更は最小限 毅然とした姿勢演出”. 読売新聞. (2005年7月8日)
- ^ 原川貴郎 (2020年4月4日). “ライダイハン ベトナム戦争時の韓国軍の所業を英BBCが報道”. 産経新聞. オリジナルの2021年5月28日時点におけるアーカイブ。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 チャールズ・ファルコナー | イギリス大法官 2007年6月28日 - 2010年5月11日 | 次代 ケネス・クラーク |
イギリス司法大臣 2007年6月28日 - 2010年5月11日 | ||
先代 ジェフ・フーン | イギリス庶民院院内総務 2006年 – 2007年 | 次代 ハリエット・ハーマン |
イギリス王璽尚書 2006年 – 2007年 | ||
先代 ロビン・クック | イギリス外務・英連邦大臣 第13代:2001年6月8日 - 2006年5月5日 | 次代 マーガレット・ベケット |
先代 マイケル・ハワード | イギリス内務大臣 第85代:1997年 – 2001年 | 次代 デイヴィッド・ブランケット |
先代 トニー・ブレア | イギリス影の内務大臣 1994年7月22日 - 1997年5月2日 | 次代 ブライアン・マウヒニー |
先代 ブライアン・グールド | イギリス影の環境大臣 1992年7月24日 - 1994年10月20日 | 次代 フランク・ドブソン |
議会 | ||
先代 バーバラ・キャッスル | 庶民院議員 (ブラックバーン選挙区選出) 1979年5月3日 - 2015年3月30日 | 現職 |