園田寛
園田 寛(そのだ ひろし、1883年(明治16年)8月18日[1] - ?)は、朝鮮総督府官僚。実業家。
経歴
[編集]兵庫県に衆議院議員田艇吉の三男として生まれ、従兄弟園田稔の跡を継いだ[1]。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した[1]。専売局書記、拓殖局属、同書記官、文部省参事官、拓殖局調査課長、同庶務課長を務めた[1]。その後、朝鮮総督府事務官・監察官に転じ、総督官房外事課長、同会計課長、財務局理財課長、山林部長を歴任し、1929年(昭和4年)に平安南道知事に就任した[1]。
1931年(昭和6年)に退官した後は、横浜商工会議所理事を務めた[2]。
親族
[編集]- 田艇吉 - 父。衆議院議員。
- 田昌 - 兄。大蔵次官・衆議院議員。
- 田健治郎 - 叔父。男爵。衆議院議員・貴族院議員・逓信大臣・司法大臣・農商務大臣・台湾総督・枢密顧問官。
- 山口宗義 - 妻の父。日本銀行理事
脚注
[編集]- ^ a b c d e 大衆人事録 1930.
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。