夕暮 (初代神風型駆逐艦)

艦歴
計画 1904年度[1]
起工 1905年3月1日[1]
進水 1905年11月17日[1]
就役 1906年5月26日[1]
その後 1912年8月28日三等駆逐艦[1]
1924年12月1日掃海艇編入[1]
1928年7月6日廃駆逐艦第7号と仮称[1]
除籍 1928年4月1日[1]
売却 1929年11月12日[1]
性能諸元
排水量 常備:381t
満載:450t
全長 69.2メートル
全幅 6.6メートル
吃水 1.8メートル
機関 レシプロエンジン2基2軸、6,000hp
最大速力 29ノット
航続距離 11ノット/850カイリ
乗員 70人
兵装 80mm(40口径)単装砲 2門
80mm(28口径)単装砲 4門
450mm魚雷発射管 2門

夕暮(ゆうぐれ / ゆふぐれ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の15番艦である。同名艦に初春型駆逐艦の「夕暮」があるため、こちらは「夕暮 (初代)」や「夕暮I」などと表記される。

艦歴

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1905年明治38年)2月15日、命名(製造番号第15号)[2]。同年3月11日、佐世保海軍工廠で起工[3]。同年11月17日進水[3]。11月28日、駆逐艦に類別[4]1906年(明治39年)5月26日、竣工[3]

第一次世界大戦では、青島の戦いに参加[1]シベリア出兵時には沿海州の沿岸警備を行った[1]

1924年大正13年)12月1日、掃海艇に編入[5]1928年昭和3年)4月1日、除籍[6]。同年7月6日「廃駆逐艦第7号」と仮称。老朽化が進んでおり[7]、10月12日附で廃船認許[8]1929年(昭和4年)11月12日、売却。1930年(昭和5年)1月23日、千葉県君津沖で漁礁として海没[1]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • 守永喜三郎 大尉:1906年5月10日 - 1907年10月15日
  • 玉岡吉郎 少佐:1907年10月15日 - 1908年12月10日
  • (兼)丸尾剛 大尉:1908年12月14日 - 1909年2月1日
  • 中山友次郎 大尉:1909年2月1日 - 1909年12月1日
  • (兼)大金実 大尉:1909年12月1日 - 1910年10月12日
  • 小沢八郎 大尉:1910年10月12日 - 1911年10月25日
  • (兼)武久完 大尉:1911年10月25日 - 12月1日
  • 副島村八 少佐:1911年12月1日 - 1912年6月5日
  • 岩村兼言 大尉:1912年6月5日 - 1913年12月1日
  • 広瀬彦太 大尉:1913年12月1日 - 1915年5月26日[9]
  • 有地十五郎 大尉:1915年5月26日 - 12月13日
  • 石川哲四郎 大尉:1915年12月13日 - 1917年7月2日
  • 高橋真十郎 大尉:1917年7月2日 - 8月23日
  • 今泉美啓 大尉:1917年8月23日 - 12月1日[10]
  • 鎌田喜志衛 大尉:1917年12月1日[10] - 1919年6月1日[11]
  • 岸本鹿子治 大尉:1919年6月1日 - 1919年9月20日
  • 中込育三 大尉:1919年9月20日[12] - 1920年10月5日[13]
  • 実吉敏郎 大尉:1920年10月5日[13] - 1920年12月1日[14]
  • 柳原信男 大尉:1920年12月1日[14] - 1921年11月20日[15]
  • 杉山六蔵 大尉:1921年11月20日 - 1922年1月10日
  • 横山茂 少佐:1922年1月10日[16] - 1923年12月1日[17]
掃海艇長

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本海軍史』第7巻、292頁。
  2. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
  3. ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.567『夕暮|掃海艇|(要目略)|佐世保工廠|38-3-11|38-11-17|39-5-26|(武装略)』
  4. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.53『明治三十八年十一月二十八日(達一七五)軍艦及水雷艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「巻雲」ノ次ニ「朝風、夕暮、若葉」ヲ加フ』
  5. ^ #達大正13年12月p.1『達第百三十七號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪|軍艦ノ欄内「水雷母艦」ヲ潜水母艦ニ改ム|驅逐艦三等ノ欄内「有明、吹雪、潮、初霜、神風、彌生、子日、如月、朝風、夕暮、若葉、春風、追風、初雪、時雨、夕立、響、初春、疾風、夕凪、卯月、水無月、長月、菊月、浦波、磯波、綾波」ヲ削ル|掃海艇ノ欄内「第六號」ノ次ニ「夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、磯波、水無月、長月、菊月、綾波、潮、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ加フ|水雷艇ノ欄ヲ削ル|備考第三號ヲ左ノ通改ム 掃海艇ヲ呼稱スルニハ「掃海艇何」ヲ以テス但シ番号ヲ附スルモノハ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」等ト稱ス 備考第四號ヲ削リ第五號ヲ第四號トス』
  6. ^ #除籍駆逐艦(2)pp.34-36『舊夕暮(千噸以下)(略)(大正一三.一二.一驅逐艦夕暮掃海艇籍ニ入ル昭和三年四月一日掃海艇籍ヨリ除カル)』
  7. ^ #廃駆7号外4隻pp.2-3『横鎮第一五六八號 昭和三年九月二十一日 横須賀鎮守府司令長官 海軍大臣殿 廢驅第七號外四隻廢船ニ關スル件 左記除籍艦艇ハ別紙検査報告ノ通リ船体部ハ全般ニ亘リ老朽腐食甚敷修理再用ノ價値ナキニ付廢船ト致度候條御認許相成度右上申ス 記 廢驅第七號(舊掃海艇夕暮)|〃 第八號(〃神風)|〃 第九號(〃初霜)|〃 第十號(〃如月)|〃 第十一號(〃響)』
  8. ^ #廃駆7号外4隻p.1『昭和三年十月十二日 大臣 横鎮第一五六八號廃驅第七號外四隻廢舩ニ関スル件認許ス』
  9. ^ 海軍辞令公報 大正4年5月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071200 
  10. ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  11. ^ 『官報』第2048号、大正8年6月3日。
  12. ^ 『官報』第2141号、大正8年9月22日。
  13. ^ a b 『官報』第2454号、大正9年10月6日。
  14. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  15. ^ 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
  16. ^ 『官報』第2830号、大正11年1月11日。
  17. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正13年達完/12月』。Ref.C12070084200。 
    • 『廃駆第7号外4隻廃船に関する件』。Ref.C04016254700。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。 
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。

関連項目

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