大阪府第7区 (中選挙区)
大阪府第7区(おおさかふだい7く)は、かつて存在した衆議院の選挙区。1975年に大阪府第3区から分割されて誕生した。定数は3。
区域
[編集]1975年(昭和50年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数3)[1]。小選挙区制度導入後、守口市・門真市は大阪府第6区、枚方市・交野市は大阪府第11区、寝屋川市・大東市・四條畷市は大阪府第12区となった。
選出議員
[編集]選挙名 | 年 | #1 | #2 | #3 |
---|---|---|---|---|
第34回衆議院議員総選挙 | 1976年 | 北川石松 (自由民主党) | 春田重昭 (公明党) | 馬場猪太郎 (日本社会党) |
第35回衆議院議員総選挙 | 1979年 | 春田重昭 (公明党) | 四ツ谷光子 (日本共産党) | 北川石松 (自由民主党) |
第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 | 北川石松 (自由民主党) | 四ツ谷光子 (日本共産党) | 春田重昭 (公明党) |
第37回衆議院議員総選挙 | 1983年 | 中村正男 (日本社会党) | 春田重昭 (公明党) | 北川石松 (自由民主党) |
第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 | 中村正男 (日本社会党) | 北川石松 (自由民主党) | 春田重昭 (公明党) |
第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 | 中村正男 (日本社会党) | 北川石松 (自由民主党) | 春田重昭 (公明党) |
第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 | 福島豊 (公明党) | 中村正男 (日本社会党) | 樽床伸二 (日本新党) |
選挙結果
[編集]解散日:1993年(平成5年)6月18日 投票日:1993年(平成5年)7月18日
当日有権者数:896,492人 最終投票率:64.20%(前回比:3.53ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 福島豊 | 35 | 公明党 | 新 | 131,714票 | 23.18% | |
当 | 中村正男 | 61 | 日本社会党 | 前 | 111,491票 | 19.62% | |
当 | 樽床伸二 | 33 | 日本新党 | 新 | 104,165票 | 18.33% | |
北川石松 | 74 | 自由民主党 | 前 | 88,927票 | 15.65% | ||
長野邦子 | 49 | 日本共産党 | 新 | 76,753票 | 13.51% | ||
中司宏 | 37 | 自由民主党 | 新 | 51,611票 | 9.08% | ||
井手柾夫 | 52 | 近畿政治ほほえみの会 | 新 | 3,667票 | 0.65% |
- 中司は1995年の第13回統一地方選挙後半の枚方市長選挙に立候補し、枚方市長となった。その後は大阪府議を経て、2021年の第49回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認で、小選挙区の11区から立候補し、当選。
- 小選挙区制度導入後の第41回衆議院議員総選挙以降、福島は6区、樽床・北川は12区で活動した。中村は政界を引退し、秘書だった平野博文が後継者となり、11区で活動した。
解散日:1990年(平成2年)1月24日 投票日:1990年(平成2年)2月18日
当日有権者数:847,630人 最終投票率:67.73%(前回比:1.19ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中村正男 | 58 | 日本社会党 | 前 | 164,277票 | 28.85% | |
当 | 北川石松 | 71 | 自由民主党 | 前 | 151,524票 | 26.61% | |
当 | 春田重昭 | 49 | 公明党 | 前 | 119,690票 | 21.02% | |
四ツ谷光子 | 62 | 日本共産党 | 元 | 98,861票 | 17.36% | ||
樽床伸二 | 30 | 無所属 | 新 | 35,145票 | 6.17% |
解散日:1986年(昭和61年)6月2日 投票日:1986年(昭和61年)7月6日
当日有権者数:798,831人 最終投票率:68.92%(前回比:7.13ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中村正男 | 54 | 日本社会党 | 前 | 147,638票 | 27.65% | |
当 | 北川石松 | 67 | 自由民主党 | 前 | 143,191票 | 26.82% | |
当 | 春田重昭 | 45 | 公明党 | 前 | 129,815票 | 24.31% | |
四ツ谷光子 | 59 | 日本共産党 | 元 | 113,250票 | 21.21% |
解散日:1983年(昭和58年)11月28日 投票日:1983年(昭和58年)12月18日
当日有権者数:771,669人 最終投票率:61.79%(前回比:6.86ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 中村正男 | 52 | 日本社会党 | 新 | 142,102票 | 30.07% | |
当 | 春田重昭 | 43 | 公明党 | 前 | 123,208票 | 26.07% | |
当 | 北川石松 | 64 | 自由民主党 | 前 | 109,420票 | 23.15% | |
四ツ谷光子 | 56 | 日本共産党 | 前 | 97,839票 | 20.70% |
解散日:1980年(昭和55年)5月19日 投票日:1980年(昭和55年)6月22日
当日有権者数:736,742人 最終投票率:68.65%(前回比:8.32ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 北川石松 | 61 | 自由民主党 | 前 | 156,999票 | 31.93% | |
当 | 四ツ谷光子 | 53 | 日本共産党 | 前 | 113,895票 | 23.17% | |
当 | 春田重昭 | 39 | 公明党 | 前 | 112,974票 | 22.98% | |
馬場猪太郎 | 56 | 日本社会党 | 元 | 107,791票 | 21.92% |
解散日:1979年(昭和54年)9月7日 投票日:1979年(昭和54年)10月7日
当日有権者数:730,404人 最終投票率:60.33%(前回比:4.39ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 春田重昭 | 39 | 公明党 | 前 | 113,388票 | 26.12% | |
当 | 四ツ谷光子 | 52 | 日本共産党 | 新 | 103,862票 | 23.93% | |
当 | 北川石松 | 60 | 自由民主党 | 前 | 88,151票 | 20.31% | |
馬場猪太郎 | 56 | 日本社会党 | 前 | 82,223票 | 18.94% | ||
森井勝 | 42 | 新自由クラブ | 新 | 46,424票 | 10.70% |
任期満了日: 投票日:1976年(昭和51年)12月5日
当日有権者数:714,541人 最終投票率:64.72%(前回比:ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 北川石松 | 57 | 自由民主党 | 新 | 127,991票 | 28.24% | |
当 | 春田重昭 | 36 | 公明党 | 新 | 114,800票 | 25.33% | |
当 | 馬場猪太郎 | 53 | 日本社会党 | 新 | 107,358票 | 23.68% | |
四ツ谷光子 | 49 | 日本共産党 | 新 | 103,134票 | 22.75% |
脚注
[編集]- ^ “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第075回国会 制定法律の一覧 >法律第六十三号(昭五〇・七・一五)”. 衆議院 (1975年7月15日). 2022年1月22日閲覧。地名は1975年(昭和50年)当時のものである。