安藤仲市

安藤 仲市(あんどう なかいち、1900年2月13日 - 1987年11月6日)は、日本の牧師福音派の指導者。

生涯

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初期

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鳥取県で生まれる。1919年11月23日、神戸湊川パゼット・ウィルクスの説教を聞いて回心する。その後竹田俊造から洗礼を受ける。1926年 神戸聖書学校(現在の関西聖書神学校)を卒業。同期には安藤喜市がいる。

ホーリネス時代

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神学校卒業後、ホーリネス教会の教師となるが、ホーリネス分裂後は監督派のきよめ教会に属す。東須磨教会で伝道していたが、1935年に中田重治の招きにより、田中真三郎の後任として、分裂後のきよめ教会神田教会で牧師をする。この間、「大和民族の歌」出版に協力をする。

1939年、神田教会で牧師をしていた時に、宣教師として旧満州国(現、中国東北部)の瀋陽に赴任して20日目に、次男の潔(1年9か月)を急性疫痢で亡くす。[1]1942年のホーリネス弾圧事件の際に投獄される。途中で発疹チフスにかかり出獄する。[2]

同盟基督教団時代

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戦後1947年、内職をしつつヘブロン教会、後の世田谷中央教会を創立。1955年に出身神学校が同じ牧師野畑新兵衛と共に、日本同盟基督教団に参加する。1961年新改訳聖書刊行協力会に,日本同盟基督教団の代表として参加する。後年日本同盟基督教団の総会議長を努める。

福音派では重要な役を務める。それらに、日本福音同盟実行委員長、東京キリスト教学園の理事長・学園長、日本キングスガーデンの理事長などの要職がある。それらの功績が認められ最晩年の1986年日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者を受賞する[3]。元理事長安藤能成は子息。現理事朝岡勝は孫にあたる。

脚注

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  1. ^ 朝岡(1992年),p.7
  2. ^ 朝岡(1992年),p.10
  3. ^ 日本キリスト教文化協会 顕彰者一覧※2022年10月23日閲覧

著書

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  • 私の歩いた道
  • いのりの風
  • 安藤仲市著作集

参考文献

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  • 米田勇『中田重治伝』1959年
  • 朝岡満喜子「主の真実に生かされて」『麗しの白百合』一粒者社、1990年
先代
初代
東京キリスト教学園理事長
1978年 - 1987年
次代
吉持章