寺沢徹
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寺澤徹, 1964 | ||||
選手情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 長距離走 | |||
種目 | 5000m・30km・35km・マラソン | |||
所属 | 倉敷レイヨン | |||
生年月日 | 1935年1月4日(89歳) | |||
生誕地 | 東京市 | |||
身長 | 1.63 m (5 ft 4 in) | |||
体重 | 54 kg (119 lb) | |||
コーチ | 村社講平 | |||
オリンピック | 東京五輪男子マラソン15位 | |||
自己ベスト | ||||
30000m | 1時間31分52秒 | |||
マラソン | 2時間13分41秒 | |||
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寺澤 徹(てらさわ とおる、1935年1月4日 - )は、東京都生まれの元マラソン選手で、元マラソン世界最高記録保持者。
来歴
[編集]出生からマラソン競技開始まで
[編集]1935年1月4日東京市に生まれる。第2次大戦中に富山県高岡市に疎開。高校入学当初はハンドボール部に所属していたが、2年次に健脚を買われて陸上競技部に転じた。1953年富山県立高岡商業高等学校卒業後、地元の自動車販売店に就職。会社員として働きながら独力で陸上競技を続け、1957年栃木国体5,000mで6位入賞[1]した。その後、10,000mや20kmにも挑戦したが、目立った結果を残すことはなかった。1959年にプリンス自動車富山工場に転職したことをきっかけに、マラソン競技に転向した。その後さらに練習環境を求めて1960年に倉敷レイヨンへ転職し、大阪へ移った[2]。
日本および世界最高記録の更新
[編集]初マラソンとなる1960年の福井マラソンで3位入賞。1961年3月の別府大分毎日マラソンで3位入賞、1962年5月の毎日マラソンで3位入賞。1962年10月には2年後に控えた東京オリンピックへ向けての強化選手7人に選ばれニュージーランド合宿に参加、現地のオークランドマラソンで2位となる。その年の12月に参加した朝日国際マラソンでマラソン初優勝を飾る[3]。このとき日本最高記録を更新(2時間16分18秒4)し、多くの国内主要マラソン大会で優勝する端緒となった。翌1963年1月の愛媛マラソンでは初代優勝となり、同年2月の別府大分毎日マラソンでは、アベベ・ビキラが持っていた当時の世界最高記録を上回る2時間15分15秒8で優勝し、マラソン世界記録を更新した[4]。この頃よりベルリンオリンピックで活躍した村社講平がチームのコーチに就任し、指導を受けた。
東京オリンピック出場
[編集]1964年東京オリンピックには、円谷幸吉(3位)、君原健二(8位)と共に出場したが、最も持ちタイムがよかったものの15位に終った[5]。
日本最高記録更新
[編集]一時は現役引退を考えるも、その年の11月に参加した朝日国際マラソンで2時間14分48.2秒の日本最高記録で優勝[6]。翌1965年2月の別府大分毎日マラソンでも再度日本最高記録を更新、これが4度目の日本最高記録更新となった。翌1966年2月にも別府大分毎日マラソンに出場し、前回の日本最高記録を更新、4大会連続優勝となった。4大会連続での優勝は唯一である。
1965年6月のポリテクニック・ハリアーズ・マラソン(ウィンザーマラソン)では5度目の日本最高記録を更新、自己ベストとなる2時間13分41秒を記録した[7]。このとき同時に出場した重松森雄が2時間12分00秒の世界最高記録で優勝している[8]。
1966年4月19日、ボストンマラソンに出場。63年、64年大会の優勝者のベルギーのオーレル・バンデンドリッシュは飛行機に乗り遅れたため不参加となった[9]。同大会で日本選手は1位から4位までを独占した。順位と記録は以下のとおり。君原健二(優勝、2時間17分11秒)、佐々木精一郎(2位、2時間17分24秒)、寺沢(3位、2時間17分46秒)、岡部宏和(4位、2時間18分11秒)。
国民体育大会出場
[編集]マラソン競技の傍ら国民体育大会の35kmロードに大阪府代表として参加、1963年山口国体、1964年新潟国体、1965年岐阜国体で3年連続で優勝し、3連覇を果たしている[1]。1965年には金栗記念熊日30キロロードレースで1時間31分52秒のタイムで優勝し、これは30km走での世界最高記録更新となった[10]。
後進の指導
[編集]1968年4月からはクラレ陸上部の監督に就任、1974年3月まで務めた。その後、1989年5月から2005年3月までYKK陸上部で監督や顧問を務めた。日本陸上競技連盟における長年の功績が認められ、2003年わかふじ国体にて「秩父宮章」が授与された。選手としての現役活動を終えてからはマラソン指導者として選手の育成や、マラソンの普及広報活動に携わり、現在も市民ランナー・ゲストランナーとして数多くの大会に参加し続けている[11][12][13][14][15]。
マラソン成績
[編集]年月日 | 大会名 | 開催地 | 順位 | 記録 | 参考 |
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1960年4月17日 | 福井マラソン | 福井市 | 3rd | 2:34:24 | |
1961年3月12日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 3rd | 2:27:14 | |
1961年6月25日 | 毎日マラソン | 大阪市 | 8th | 2:44:26 | |
1961年12月3日 | 朝日国際マラソン | 福岡市 | 6th | 2:24:32 | [16] |
1962年2月11日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 5th | 2:27:05 | |
1962年5月13日 | 毎日マラソン | 大津市 | 3rd | 2:31:54 | |
1962年10月20日 | オークランドマラソン | オークランド | 2nd | 2:19:14 | |
1962年12月2日 | 朝日国際マラソン | 福岡市 | 1st | 2:16:18.4 | 日本最高記録[3] |
1963年1月15日 | 愛媛マラソン | 松山市 | 1st | 2:20:25 | |
1963年2月17日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 1st | 2:15:15.8 | 日本最高記録、世界最高記録 |
1963年5月12日 | 毎日マラソン | 東京都 | 5st | 2:24:29 | |
1964年2月2日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 1st | 2:17:48.6 | |
1964年4月12日 | 毎日マラソン | 東京都 | 3rd | 2:19:43.0 | |
1964年8月23日 | タイムスマラソン | 札幌市 | 3rd | 2:20:35 | |
1964年10月21日 | 東京オリンピック | 東京都 | 15th | 2:23:09.0 | |
1964年12月6日 | 朝日国際マラソン | 福岡市 | 1st | 2:14:48.2 | 日本最高記録[6] |
1965年2月7日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 1st | 2:14:38 | 日本最高記録 |
1965年6月12日 | ポリテクニック・ハリアーズ・マラソン | ロンドン | 2nd | 2:13:41 | 日本最高記録更新、生涯最高記録 |
1965年10月10日 | 朝日国際マラソン | 福岡市 | 12th | 2:25:07 | |
1966年1月15日 | 愛媛マラソン | 松山市 | -- | 2:21:15 | オープン参加のため順位なし、2位相当 |
1966年2月13日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 1st | 2:14:35 | |
1966年4月19日 | ボストンマラソン | ボストン | 3rd | 2:17:46 | |
1966年8月23日 | タイムスマラソン | 札幌市 | -- | -- | 途中棄権 |
1966年10月30日 | ソウルマラソン | ソウル | 2nd | 2:19:35.0 | |
1966年11月27日 | 国際マラソン | 福岡市 | 5th | 2:15:51.2 | |
1967年2月5日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 6th | 2:17:48.2 | |
1967年4月19日 | ボストンマラソン | ボストン | 8th | 2:21:17 | |
1967年12月3日 | 国際マラソン | 福岡市 | 11th | 2:17:00 | |
1968年12月8日 | 国際マラソン | 福岡市 | 10th | 2:17:23 | |
1969年2月2日 | 別府大分毎日マラソン | 別府市 | 8th | 2:20:39.6 | |
1969年3月23日 | 信毎マラソン | 長野市 | 1st | 2:21:02.2 | [17] |
1976年3月7日 | 延岡西日本マラソン | 延岡市 | 2nd | 2:26:20.6 |
脚注
[編集]- ^ a b “国民体育大会【第1回(1946)-第65回(2010)】”. 公益財団法人日本体育協会. 2018年3月1日閲覧。
- ^ 毎日新聞. “毎日.jp:2012年2月22日Go!五輪「先輩」らエール 独力の公務員ランナー川内選手」”. 2018年3月1日閲覧。
- ^ a b 朝日新聞社. “福岡国際マラソンプレーバック1962”. 2018年3月1日閲覧。
- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、118頁。ISBN 9784309225043。
- ^ 寺沢徹 Profile: Toru Terasawa Profile: sports-reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
- ^ a b 朝日新聞社. “福岡国際マラソンプレーバック1964”. 2018年3月1日閲覧。
- ^ A history of the Fukuoka International Marathon Championships. IAAF
- ^ Marathon Won by Shigematsu in Record Time. 1965
- ^ 「ボストンマラソン 日本、四位まで独占」 『中日新聞』1966年4月20日付夕刊、D版、1面。
- ^ World Best Progressions – Road. arrs.net
- ^ 谷川真理. “谷川真理オフィシャルブログ2014-10-28”. 2018年3月1日閲覧。
- ^ 公益財団法人黒部市体育協会. “カーター記念黒部名水マラソン”. 2018年3月1日閲覧。
- ^ 読売新聞社. “Yomiuri Online2016年05月29日”. 2018年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。
- ^ 株式会社RIGHTS.. “愛媛マラソンで東京五輪代表の寺澤徹さんと君原健二の二人がゲストランナー!”. 2018年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月1日閲覧。
- ^ 日本ブラインドマラソン協会. “OSAKA EKIDEN in 長居 兼 第18回 全国視覚障がい者駅伝大会”. 2018年3月1日閲覧。
- ^ 朝日新聞社. “福岡国際マラソンプレーバック1961”. 2018年3月1日閲覧。
- ^ Ota, Shigenobu (2010-04-19). Nagano Olympic Memorial Marathon アーカイブ 2018年3月6日 - ウェイバックマシン. ARRS. Retrieved on 2010-04-30.
外部リンク
[編集]- 寺澤徹のヘルシーライフ
- 明日への言葉:寺澤徹(元マラソンランナー)/失速から復活へ、わがマラソン人生
- 大阪マラソン2016:ゲストランナー寺澤徹
- ARRS Runner profile:Toru Terasawa
記録 | ||
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先代 アベベ・ビキラ | 男子マラソン世界記録保持者 1963/2/17 – 1963/6/5 | 次代 バディー・エデレン |