小室翠雲
小室 翠雲 | |
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生誕 | 小室 貞次郎 1874年8月31日 日本 栃木県邑楽郡館林町 |
死没 | 1945年3月30日(70歳没) |
著名な実績 | 南画 |
受賞 | 帝室技芸員 |
選出 | 帝国美術院 |
小室 翠雲(こむろ すいうん、1874年8月31日 - 1945年3月30日)は、日本画家、南画家。本名は貞次郎(ていじろう)。父は日本画家・小室桂邨。文展開設にあたって正派同志会副委員長として文展新派に対抗した。文展審査員・帝展審査員をつとめた日本画の大家である。
経歴
[編集]- 1874年 栃木県邑楽郡館林町(現在の群馬県館林市本町一丁目)に生まれる。(当時、邑楽郡は栃木県に属していた)
- 1889年 田崎草雲に師事
- 1899年 草雲が没したため上京し南画会に加わる
- 1921年 矢野橋村らと日本南画院結成に参加
- 1924年 帝国美術院会員
- 1935年 日本南画院を解散
- 1937年 帝国芸術院会員
- 1941年 大東南宗院を創設
- 1944年7月1日 帝室技芸員[1]
- 1945年 逝去、享年70。墓所は多磨霊園。
主な作品
[編集]作品名 | 画像 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 出品展覧会 | 落款・印章 | 備考 |
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白雲紅樹図 | 絹本着色 | 1幅 | 130.8x50.6 | 館林市立資料館 | 1892年 | 款記「白雲紅樹圖 明治壬辰翠湖生」 | |||
格天井花鳥図 | 板絵着色 | 内陣・外陣各72面(計144面) | 館林市・常光寺 | 1900年 | 館林市指定文化財。本堂内陣外陣天井画。原則一般拝観不可。 | ||||
春景の孤鴨 | 絹本着色 | セントルイス美術館 | 1904年 | セントルイス万国博覧会に出展。 | |||||
十六羅漢図 | 絹本著色 | 1幅 | 141.2x70.7 | 十一屋コレクション | 1904年 | 十一屋コレクションには他にも翠雲作品が数点あるという[2]。 | |||
渓山幽邃図 | 絹本着色 | 1幅 | 153.5x70.4 | 館林市立資料館 | 1905年 | 日本画会第8回展 | 款記「渓山幽邃 乙巳春杪寫於得嶽樓 翠雲」 | ||
喬林澗石図 | 宮内庁三の丸尚蔵館 | 1907年 | 第41回日本美術協会展 | ||||||
寒林幽居図 | 絹本着色 | 宮内庁三の丸尚蔵館 | 1913年 | 第7回文展二等賞 | 宮内庁買上げ | ||||
春庭・秋圃 | 絹本着色 | 双幅 | 宮内庁三の丸尚蔵館蔵 | 1919年 | 宮内庁買上げ | ||||
春雨蕭々 | 絹本着色 | 六曲一双 | 168.0x373.2(各) | 群馬県立近代美術館 | 1920年 | 第2回帝展 | 款記「白雲洞外柳千條人過春溪第幾橋 花事闌珊春已遠澹煙微雨晩蕭々 歳在庚申秋日寫於長興山莊 翠雲衜人」 | ||
海寧観潮 | 紙本墨画淡彩 | 1幅 | 120.0x240.0 | 山種美術館 | 1922年 | 第4回帝展 | |||
朝陽鳴鳳凰之図 | 絹本着色 | 六曲一双 | 宮内庁三の丸尚蔵館 | 1925年 | 大正天皇・貞明皇后銀婚式の際、日本銀行総裁からの献上品 | ||||
富士草花図 | 絹本着色 | 3幅対 | 129.2x29.9(各) | 宮内庁三の丸尚蔵館[3] | 大正期 | 款記:中幅「翠雲貞寫」・左右幅「翠雲貞」 | |||
賦色春風駘蕩図 | 紙本着色 | 1幅 | 246.0x92.2 | 豊川稲荷 | 1928年 | 第9回帝展 | |||
永平寺障壁画 | 永平寺 | 1929年 | |||||||
長興山荘図 | 紙本墨画 | 1幅 | 180.5x123.5 | 永平寺 | 1929年 | 第10回帝展 | |||
白乾坤 | 紙本着色 | 六曲一双 | 204x360 | 日本美術院 | 1936年 | 第1回改組帝展 | |||
孔雀図 | 絹本着色 | 1幅 | 132.9x71.3 | 館林市・茂林寺 | 制作年不詳 | 款記「翠雲貞」 | |||
雲龍図 | 荒川区・大雄山泊船軒 | 昭和初期 | 雲龍図周囲の絵は門弟の作品。 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 中田宏明 松下由里カタログ編集 『群馬県立館林美術館 企画展示 「小室翠雲(1874-1945)展 ―館林に生まれた近代南画の大家に―」』 群馬県立館林美術館、2010年
関連人物
[編集]外部リンク
[編集]- 日本書壇の巨星小室翠雲画伯の新年会書き初め式『歴史写真. 大正10年2月號』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)