帆足準三
帆足 準三(ほあし じゅんぞう、1871年4月7日(明治4年2月18日)[1] – 1913年(大正2年)10月3日[2])は、戦前の日本の朝鮮総督府官僚。
概要
[編集]長門国豊浦郡、後の山口県豊浦郡長府村(現下関市長府地区)出身[1]。1890年7月、明治法律学校卒業[1]。1895年11月、文官高等試験行政科試験に合格[3]。1896年1月、会計検査院に入院後、1899年6月、内務省に転じ試補となる[1]。以後、大分県参事官、千葉県内務部長などを歴任。渡韓し、朝鮮総督府道事務官[4]、1912年4月1日からは朝鮮総督府殖産局長を務めた[4]のち、1913年2月14日、咸鏡北道長官に就任[5]。同年10月3日、在任中に死去[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 「従七位帆足準三内務省試補ニ採用ノ件」
- ^ a b 『官報』第361号「彙報」1913年10月10日。
- ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、176頁。
- ^ a b 『官報』第8633号「叙任及辞令」1912年4月2日。
- ^ 『官報』第162号「叙任及辞令」1913年2月15日。