新栄電機産業
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 新栄電機 |
本社所在地 | 日本 〒125-0061 東京都葛飾区亀有三丁目18番1号 登記上 東京都葛飾区亀有一丁目12番11号 |
設立 | 1965年8月(創業:1959年) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 家庭電器販売 |
代表者 | 新井栄一 |
資本金 | 1,000万円 |
売上高 | 26億円(2002年2月期) |
従業員数 | 60名 |
決算期 | 2月 |
関係する人物 | 海野かつを |
特記事項:2003年2月13日、自己破産申請 |
株式会社新栄電機産業(しんえいでんきさんぎょう)は、1959年 - 2003年に存在した日本の家電量販チェーン。
概略
[編集]新栄電機産業は、1959年に創業、1965年8月に法人化した家電量販店である。東京都葛飾区亀有の本店を始め、東京の城東地区を中心に、千葉県、埼玉県にチェーン展開を行っていた。コーポレートカラーは黄色地に赤で、本店ビルは外壁が黄色くペイントされ、入口には『新栄電機産業』と赤文字で大書されていた。社名は、創業社長の新井栄一に由来している。
後述するテレビCMで関東地方にて高い知名度を誇り、1989年2月期で55億円を売り上げるまでに成長したが、1990年代に入ると個人消費の不振に加え、他社との競合の激化などから売上が低迷。店舗の閉鎖や人員削減などのリストラを進めるも、バブル期の拡大策による借入金の負担が重かったうえ、2002年2月期の売上が26億円と全盛期からほぼ半減するなど事業の好転が望めず、2003年2月13日に約16億円の負債を抱え東京地方裁判所に自己破産を申請し、営業を停止した。
テレビCM
[編集]1970年代半ばより、主に日本テレビの昼のワイドショー枠や平日16時の再放送枠『青春アワー』または『青春アクションシリーズ』[補足 1]で海野かつをを起用したCMを放映。再放送枠では番組スポンサーにもなっていた[1][補足 2]。海野バージョンのCMはインパクトの強い物であった[2] 。
CMは3パターンあり、
- 初期バージョン
- 海野が、折込チラシを読んで安さに驚き、「チラシだ。電話しなくちゃ」と急いで電話注文する客(アライ)と、柏店のオーディオフロアを走り回りダイハツ・ハイゼットで配達に赴く店員の、1人2役で出演
- 中期バージョン(1979年? - 1991年頃)
- 海野に加えて、黄色地に赤文字『S』の帽子と、同じく黄色地に『新栄電機』と朱記されたTシャツ、白のホットパンツ・ハイソックス・スニーカーで統一した14名の若手女性軍団が登場。軽快なジャズピアノに乗せて、「ファイト、ファイト、新栄」の掛け声で円陣を組んだり、「安いわよ~ん」と秋波を送ったりした後、カセットテープレコーダーから流れる「キミキミ、アライだよ」[補足 3]の声に海野が脱帽し、ひたすら恐縮するオチ。竹の塚店で撮影された[補足 4]。
- 後期バージョン(1990年代初頭)
- バブル景気後期に制作されたVTR収録によるCM。海野は出演しなかった。
海野は初期バージョンのCM出演当時、病気療養から再起を目指していたが、新井社長の説得を受け入れ、結局芸能界を引退して同社に就職。竹の塚店の店長として接客に励む傍ら、中期バージョンのCMにも出演し、堀切レコードショップで歌手のキャンペーンが行われる際には司会も務めていた。
このほか、TBSラジオでも「おはようからおやすみまで、今がホットな新栄電機」というフレーズのラジオCMが放送されていた。
最盛期の店舗網
[編集]東京都
[編集]千葉県
[編集]埼玉県
[編集]脚注
[編集]補足
[編集]- ^ 現在、「news every.」1部枠に当たる。
- ^ 『泉麻人の僕のTV日記』執筆時点では海野バージョンは放送を継続していた[1]。
- ^ 新井社長本人の声。
- ^ 中期バージョンの放映開始から十余年を経た1990年代初頭では、当時の水準に比してチープな作り、女性のファッションの古くささ、フィルムの退色が見られる映像がかえって強い印象を与え、カルト的な人気を博していた。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 東京商工リサーチ TSR情報 2003年2月17日号 11面
- 『泉麻人の僕のTV日記―ちょっといい84の話』(泉麻人・文化創作出版・1991年) ISBN 489387036X
- 『何様のつもり』(ナンシー関・角川文庫・1997年) ISBN 4041986028
外部リンク
[編集]- 株式会社新栄電気産業[リンク切れ] - 亀有中央商店街振興組合サイト記事