日本橋馬喰町
日本橋馬喰町 | |
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![]() 馬喰町 | |
北緯35度41分37.07秒 東経139度46分54.9秒 / 北緯35.6936306度 東経139.781917度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
特別区 | ![]() |
地域 | 日本橋地域 |
人口 | |
• 合計 | 1,914人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 103-0002[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |

日本橋馬喰町(にほんばしばくろちょう)は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区に当たる日本橋地域内である。現行行政地名は日本橋馬喰町一丁目および日本橋馬喰町二丁目。郵便番号は103-0002[2]。
概要
[編集]東京都内屈指の問屋街である。2020年現在においても服の卸問屋が数多く展開する。かつて奥州街道の表通り町として商業地が広がっていた日本橋横山町に対して、奥州街道の裏通りの町として馬場[4]や郡代屋敷が存在した比較的穏やかな場所であった。バイパス道路の江戸通り(旧本町通り)が整備されて以降は開けた街並みが形成されていった。
中央区が定める正式な英語ローマ字表記は Nihonbashi-bakurocho である[5]。
地理
[編集]日本橋地域の最北端に位置し、千代田区(東神田)、台東区(浅草橋)との区境に当たる。
歴史
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かつてこの地にあった初音森稲荷神社の記録によると1551年(天文20年)に馬場が開設。江戸で一番古い馬場で、関ヶ原の合戦の際もここで軍馬が準備されたとされる。神社にちなみ初音の馬場と呼ばれた[6]。博労(牛馬の仲買商人)の集う町だったため博労町と呼ばれるようになり、博労頭を務めた高木源兵衛や富田半七の屋敷があった。徳川家康は慶長年間(1596年 - 1615年)に旧江戸宿の伝馬業者を馬場の近隣に移転させ、そこを伝馬町とした。
博労町の一角は多くの社寺が建ち並ぶ門前町であった。1632年(寛英9年)の江戸図を見ると一丁目に多くの寺が集まっているが、明暦の大火(1657年)以降は区画整理などにより移転が進む[7]。また正保年間(1644年 - 1648年)に博労町は馬喰町と名を改められた。
1735年(享保20年)には馬場が縮小され跡地は町家となる。馬喰町は小伝馬町と共に「旅人宿」の建ち並ぶ町で、八十二軒組と三十軒組の「百姓宿」と併せて「公事宿」と呼ばれた[8]。江戸後期に書かれた守貞謾稿によれば、宿泊費は二食付きで公定248文。大坂の公事宿に比べると質もサービスも下であったと評されている。1851年(嘉永4年)の記録では馬喰町の宿屋は100余軒[9]。
馬場は明治初年まで残っていたが、その後廃されて跡には高湯山温泉という白い薬湯の湯屋ができた。馬場の白湯と呼ばれたという[10]。1882年(明治15年)からは馬喰町にも馬車鉄道が通る[11]。日本橋区本石町三丁目角から馬喰町通りに新たに単線が追加され、浅草橋通りの軌道に接続した。
世帯数と人口
[編集]2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
日本橋馬喰町一丁目 | 802世帯 | 1,251人 |
日本橋馬喰町二丁目 | 469世帯 | 663人 |
計 | 1,271世帯 | 1,914人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
日本橋馬喰町一丁目 | 全域 | 中央区立久松小学校 | 中央区立日本橋中学校 | 調整区域。以下の学校と選択可能。 ・中央区立日本橋小学校 |
日本橋馬喰町二丁目 | 全域 |
地域
[編集]- 公園
- 左衛門橋南東児童遊園
- 商店街
- 教育(私学)
- 企業
交通
[編集]- 鉄道
- バス
- 道路
- 国道6号(江戸通り)
- 東京都道302号新宿両国線(靖国通り)
- 清洲橋通り
脚注
[編集]- ^ a b “町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2019年9月3日). 2019年9月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
- ^ 江戸名所図会 1927, pp. 107–109.
- ^ 中央区設置住居表示板
- ^ 有賀禄郎 編『日本橋横山町馬喰町史』横山町馬喰町問屋連盟、1952年、106頁。NDLJP:3015286/78。
- ^ 有賀禄郎 編『日本橋横山町馬喰町史』横山町馬喰町問屋連盟、1952年、39-41頁。NDLJP:3015286/44。
- ^ 豊島治左衛門 撰, 木村捨三 註解『名物かのこ』 中、近世風俗研究会、1959年、27-28頁。NDLJP:2488598/50。
- ^ 有賀禄郎 編『日本橋横山町馬喰町史』横山町馬喰町問屋連盟、1952年、110-112頁。NDLJP:3015286/80。
- ^ 有賀禄郎 編『日本橋横山町馬喰町史』横山町馬喰町問屋連盟、1952年、108頁。NDLJP:3015286/79。
- ^ 服部之総『初代長瀬富郎伝』 中、花王石鹸五〇年史編纂委員会、1940年、47頁。NDLJP:1685850/39。
- ^ “区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ 馬喰町商店街 国土交通省 p.87
参考文献
[編集]- 斎藤長秋 編「巻之一 天枢之部 馬喰町馬場」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、107-109頁。NDLJP:1174130/59。