松の音吉松
松の音 吉松(まつのおと きちまつ、1885年(明治18年)? - 没年不詳)は大阪府東成郡上辻村(現・大阪市旭区清水)出身の大相撲力士。本名は松山吉松(一時井川姓)。大阪相撲で活躍し最高位は大関。
略歴
[編集]3代中村に入門し、松の音(松ノ音)で1902年(明治35年)6月初土俵。1908年(明治41年)6月十両、1909年(明治42年)5月入幕。170cm105kgで左四つ寄り押しを得意とした。
十両落ちも経験したが地力を増して1913年(大正2年)5月関脇。1914年(大正3年)1月には8勝1敗1預で優勝相当成績を上げ翌5月大関に昇進した。大関昇進後は病気がちで休場が多く、1917年(大正6年)1月からは二枚鑑札で6代不知火 吉松を襲名し頭取(年寄)兼務となった。下の名はのち光右エ門(同年6月から)→靖祐(1918年(大正7年)5月から)と変わった。
大関を5場所で下がり晩年は全休が続き1920年(大正9年)1月限りで引退頭取専務となるが健康状態が思わしくなく1923年(大正12年)5月限りで廃業。料亭を経営していたが晩年の消息は不明。
幕内19場所 55勝33敗4分1預
参考文献
[編集]- 「大相撲人物大事典」、2001年 ISBN 9784583036403