松平乗祐
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳5年9月29日(1715年10月26日) |
死没 | 明和6年9月4日(1769年10月3日) |
改名 | 源二郎(幼名)、乗祐 |
官位 | 従五位下主水正、和泉守、従四位下 |
幕府 | 江戸幕府 雁間詰、帝鑑間詰、奏者番兼寺社奉行、大坂城代 |
主君 | 徳川家重、家治 |
藩 | 下総佐倉藩主、出羽山形藩主、三河西尾藩主 |
氏族 | 大給松平家 |
父母 | 松平乗邑、柳瀬氏 |
兄弟 | 意乗、乗祐、乗薀、乗富、乗溥、ヒサ、 岡部長著正室 |
妻 | 土屋陳直娘堀口氏 |
子 | 乗孝、乗用、乗房、乗完、西郷員相、 堀直起、守惇、土井利見、忠順、乗峰、 里姫、牧野貞長正室、三浦矩次正室、 松平近儔正室、岩城隆恕正室、 永井尚志正室、岡部盛真室、井上正定正室 |
松平 乗祐(まつだいら のりすけ)は、江戸時代中期の大名。下総国佐倉藩2代藩主、出羽国山形藩主、三河国西尾藩初代藩主。官位は従四位下・和泉守。大給松平家宗家11代。大坂城代などを歴任した。
生涯
[編集]正徳5年(1715年)9月29日、松平乗邑の次男として誕生。兄・意乗は早世したため嫡男となる。父・乗邑が老中を罷免され隠居謹慎を命じられたため、大給松平家6万石の家督を相続したが、追罰を受け、直後に山形に懲罰的国替を命じられた。
その後、寺社奉行を経て大坂城代となり、西尾に転封となるが、同地は2万7000石しかないため、飛地という形で差分は越前国内に与えられた。
明和6年(1769年)9月4日、死去。享年55(満53歳没)。長男は早世していたため、五男の乗完が跡を継いだ。
年譜
[編集]- 1715年(正徳5年) - 出生
- 1728年(享保13年) - 雁間詰
- 1745年(延享2年) - 家督相続、帝鑑間詰
- 1746年(延享3年) - 山形に国替
- 1760年(宝暦10年) - 奏者番兼寺社奉行(8月15日)
- 1764年(明和元年) - 大坂城代(6月21日)、西尾に国替
- 1769年(明和6年) - 死去(享年55)
官位位階
[編集]系譜
[編集]父母
- 松平乗邑(父)
- 柳瀬氏 ー 側室(母)
正室
- 土屋陳直の娘
側室
- 堀口氏
子女
- 松平乗孝 (次男)
- 松平乗用
- 松平乗房
- 松平乗完(五男)生母は堀口氏(側室)
- 西郷員相
- 堀直起(七男)[1]
- 松平守惇
- 土井利見(十男)[2]
- 松平忠順
- 松平乗峰
- 里姫 - 酒井忠仰正室
- 牧野貞長正室
- 三浦矩次正室
- 松平近儔正室
- 岩城隆恕正室
- 永井尚志正室
- 岡部盛真室
養女