松田宗寿

松田 宗寿(まつだ むねとし、1850年10月4日嘉永3年8月29日[1]〉 - 1911年明治44年〉11月21日[1][2])は、明治時代の官吏

経歴

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下総国千葉郡大神保村(千葉県千葉郡大神保村、豊富村を経て現船橋市)出身[1][注 1]1878年(明治11年)瀬戸正範等と滋賀県八等属を拝命する[2]1879年(明治12年)七等属、1881年(明治14年)頃に六等属、1882年(明治15年)五等属、1888年(明治21年)判任三等に進んだ[2]

のち滋賀県栗太郡長を経て[1]1893年(明治26年)7月、甲賀郡長に就任した[3]1899年(明治32年)から郡内各地に郡林を設け、560haの植林を行った[1]

著作

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  • 編『鹿深遺芳録』滋賀県甲賀郡教育会、1907年。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『国民過去帳 明治之巻』1236頁では滋賀県出身。

出典

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  1. ^ a b c d e 上田ほか 2001, 1779頁.
  2. ^ a b c 大植 1935, 1236頁.
  3. ^ 『滋賀県参事官松田宗壽滋賀県甲賀郡長ニ任叙ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治26年7月6日。

参考文献

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  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496