永井尚平
永井尚平 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄10年(1697年) |
死没 | 正徳4年8月29日(1714年10月7日) |
改名 | 左衛門(幼名)、尚平 |
別名 | 大学(通称) |
戒名 | 享徳院元英自性 |
墓所 | 東京都中野区上高田の功運寺 埼玉県岩槻市の弥勒寺 |
官位 | 従五位下、伊賀守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 武蔵国岩槻藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 | 父:永井直敬、母:永井直右の娘 |
兄弟 | 尚品、尚平、直陳、小四郎、尚方、内藤頼由 |
妻 | 正室:なし |
子 | 養子:直陳 |
永井 尚平(ながい なおひら)は、武蔵岩槻藩の第2代藩主。尚庸系永井家3代。
元禄10年(1697年)、初代藩主(当時は下野烏山藩主)・永井直敬の次男として生まれる。正徳元年(1711年)、父の死去により家督を継いで岩槻藩主となる。このとき、弟の永井直陳に1500石、永井尚方に1000石を分与した。
しかし家督相続から3年後の正徳4年(1714年)8月29日に死去した。享年18。跡を弟で養子の直陳が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子
- 永井尚陳 ー 実弟
脚注
[編集]- ^ 直敬の叔父