小笠原長煕
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄3年4月16日(1690年5月24日) |
死没 | 宝暦2年3月21日(1752年5月4日) |
戒名 | 乾享院殿貞山崇元大居士 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の龍光寺 |
官位 | 従五位下、壱岐守、佐渡守、山城守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 武蔵岩槻藩主→遠州掛川藩主 |
氏族 | 小笠原氏 |
父母 | 父:小笠原長重 |
兄弟 | 長道、長煕 |
妻 | 正室:染(松平頼貞の娘) |
子 | 次女(小笠原長庸正室) 養子:長賢、長庸 |
小笠原 長煕(おがさわら ながひろ)は、武蔵岩槻藩の第2代藩主。のち遠州掛川藩の初代藩主。忠知系小笠原家5代。
生涯
[編集]岩槻藩初代藩主・小笠原長重の次男。宝永7年(1710年)5月18日、父の隠居により跡を継いだ。宝永8年(1711年)2月11日、岩槻から掛川に移封される。その後は掛川藩の藩政確立に尽力し、享保7年(1722年)には大井川と天竜川の治水工事を行なっている。元文4年(1739年)4月16日、婿養子の長庸に家督を譲って隠居し、宝暦2年(1752年)3月21日に63歳で死去した。
系譜
[編集]父母
- 小笠原長重(父)
正室
- 染 ー 松平頼貞の娘
子女
- 娘(次女) ー 小笠原長庸正室
養子